三章:伯爵令嬢は侯爵令嬢の望みを叶える③
翌週、シャルロットはいつも以上に晴れやかな表情だった。
その日も先週と同じく、シャルロットの迎えはせず直接ラルカンジュ公爵邸へ向かうように指示された。そして、その日通されたのは応接間ではなく、書庫だ。
机の上には何冊もの本が置かれ、椅子にはシャルロットが座っている。
エレオノールは首を傾げた。
「これは一体、何事ですか?」
「うん。エリーにはね、シャルロット嬢に勉強を教えてほしいんだ」
「勉強ですか?」
アルベールはにこやかな笑みを浮かべている。
「作法や立ち振る舞いは刺繍――まあ、貴族の令嬢として求められる諸々かな。彼女も最低限の作法は身につけてるけど、淑女と呼べるレベルでは全然ないだろ? エリー並みとは言わないけど、どこに行っても恥ずかしくないご令嬢になれるよう協力してほしいんだ」
「ぜひお願いします。エリー様」
シャルロットも随分とやる気に溢れている。エレオノールは困惑する。
「それはもちろん構いませんが……何のためにでしょうか?」
確かにシャルロットの立ち振る舞いは未熟な部分も多い。しかし、そもそも彼女はずっと領地で育ってきている。領地育ちの令嬢にはシャルロットのような子は珍しくない。いちいち咎める人間もいないだろう。
するとアルベールはとんでもないことを言い出した。
「天の加護を得るためだよ」
「……天の、加護?」
「主。絶対神。ある意味魔王と言ってもいいかな。言い回しは何でもいい」
アルベールの説明は比喩表現なのだろうが――全く理解できない。
「あの、おっしゃってる意味がよく」
「簡単に言えば、シャルロット嬢を一人前の淑女に仕立てあげたい。今日から二ヶ月の間にね」
具体的な数字を言われ、エレオノールは目を見開く。
「二ヶ月でですか」
「うん。だからしばらく、彼女にはこの屋敷にほぼ毎日通ってもらう。エリーも来れる日は極力ここに来て、シャルロット嬢の特訓に付き合ってほしいんだ」
思わずエレオノールはシャルロットを見る。
彼女はどこか遠い目をしながら「そうなんです」と乾いた笑みを浮かべる。
「ちゃんとした理由はまだ説明できないんですけど。――全部終わったらちゃんと説明します。エリー様のお力をお借り出来ませんか?」
エレオノールは考える。
シャルロットにエレオノールの知ることを教えるのはまったく構わない。
何か今は理由を教えられない事情があるのだろう。求められるなら理由を知らないまま、シャルロットの淑女教育の協力をしてもいいと思う。
しかし、気になるのはなぜかそれをアルベール主導で行おうとしているところだ。ほぼ毎日と言うが、その間アルベールの執務は問題ないのだろうか。
エレオノールはシャルロットに訊ねた。
「シャーリィ様ご自身は淑女になりたいんですか?」
大事なのはそこだろう。
教えるのは構わないが、それを本当にシャルロットが望んでいるのか。エレオノールはそれが気になった。
今のままでもシャルロットは素敵だ。無理にやりたくもないことをする必要はないと思う。
もしも、シャルロット自身が淑女になることを望んでいるわけではないのなら、エレオノールは無理強いをしたくはない。
「はい。私、エリー様みたいな素敵な立ち振る舞いと教養を身につけたいんです」
シャルロットは真っすぐエレオノールを見つめたまま、答えた。その答えに迷いはなかった。
エレオノールは微笑む。
「分かりました。精一杯ご協力いたしますわ」
こうして、エレオノールとアルベールによるシャルロットの淑女教育が開始された。
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シャルロットの淑女教育をするにあたって、アルベールは厳しかった。
「全然駄目だ。やり直し」
アルベールはシャルロットが縫った刺繍を一瞥すると、それをそのまま屑入れに捨てた。「うううう」と頭を押さえるシャルロットの肩を擦りながら、エレオノールは婚約者に声をかける。
「あの、そこまで厳しくなさらなくてもよろしいんではありませんの? シャーリィ様はシャーリィ様なりに頑張っていらっしゃると思うんです」
「エリーは本当に優しいね。――でも、駄目だよ。ただでさえ、二ヶ月っていう短期間で無理やり数年はかける教育をすまそうとしているんだから、厳しくしないと間に合わない」
普段、エレオノールを尊重してくれるアルベールも今回ばかりはエレオノールの言葉を聞き入れてはくれない。
「落ち込んでる暇があったら早く縫い直してくれ。一針でも多く経験を積むんだ」
「……分かりました」
そう言って、シャルロットは新しい白地の布を手に取る。エレオノールは何とか花の刺繍を完成させようとするシャルロットの隣で親切丁寧にコツを教えていった。
シャルロットが一番苦労したのは刺繍で、他の作法や立ち振舞いの習得にはそこまで時間がかからなかった。
特に立ち振る舞いに関しては、シャルロットは体の動かし方をよく承知しているようでエレオノールが見本とポイントを伝えたらあっという間に覚えてくれた。あとは普段からその動きが出来るように習慣化させるだけだ。
エレオノールがラルカンジュ公爵邸を訪れる回数は週に四日に増えた。
どうやらアルベールがシャルロットに教えようとしているのはそれだけでなく、他にも語学、歴史、地理、文学なども身につけさせようとしているらしかった。そして、その辺りはエレオノールではなく、アルベールが直接シャルロットに教えていた。
「最初から全部をこの二ヶ月で覚えてもらおうとは思っていない。普通何年かけて覚えるものだと思ってるんだい? 一から十まで覚えるなんてとてもじゃないけど無理だ。まずは要点だけかいつまんで覚えてもらう。表面的に知識があるように振舞えて、表面的に相手の話に合わせられるようになったらそれでいい」
「それってつまり、ハリボテってことですか?」
「そうだね。相手が本当に造詣が深かったらすぐカンパされるけど、それほど詳しくなければハリボテでもバレないよ。充分君の方が知識があると思わせられる」
そう言って、アルベールは本当に要点だけを教えていった。
その上、――エレオノールにとっては信じられないことだが――知識があるように見える振舞い方、ハリボテの誤魔化し方をシャルロットに伝授した。
「なんだが、あくどいやり方に思えるんですけど」
「そういう文句は一人前に知識が身についてから言ってくれるかな? それと、こういうのは要領がいいって言うんだよ」
そう微笑むアルベールはエレオノールの目からしても、ちょっと怖かった。
こうしたアルベールの工夫もあってか、少しずつシャルロットは語学や歴史、地理などの知識を身につけていく。
エレオノールが教える項目が一通りひと段落つくと、今度は「ダンスのレッスンだね」とダンスの授業まで始めることになった。
三人はホールに移動する。動きやすいようにシャルロットは髪をまとめている。
「シャルロット嬢。ダンスに自信は?」
アルベールの質問にシャルロットは苦笑いを浮かべた。
「体を動かすのは好きなんですけど、ダンスは正直そんな得意じゃないですね。実際に踊った回数も多くないですし、相手に合わせるのが難しくて――」
「これは実際に踊ってみたほうがいいな」
アルベールが合図をすると、侍女がピアノを弾き出す。
音楽に合わせて、二人はステップを踏み始める。踊るのはワルツだ。エレオノールはそれを壁際から見守る。
アルベールがリードをしつつ、二人は軽やかなステップを踏む。
シャルロットは得意じゃないと言ったが、エレオノールの目から見ても十分上手く踊れているように見えた。最初緊張気味だった表情も、どんどん明るいものになっていく。
二人はほとんどミスをすることもなく、一曲を踊りきった。
踊り終えたシャルロットが嬉しそうに笑った。
「私、こんなに楽しく踊れたのはじめてです!」
「驚いた。全く問題ないな」
アルベールも感心したように言う。それから手を顎に当てて少し考え込む。
「今まで誰と踊ったか覚えているかな?」
「ええと、全員は覚えてないですけど、確か――」
そう言って、シャルロットは何人かの男性貴族の名前を挙げる。納得したように「なるほど」とアルベールは苦笑した。
「それは相手が悪い。彼らはそんなダンスが上手くない。リードが全然出来ないんだよ。シャルロット嬢が下手なわけじゃない」
「そう、だったんですか?」
「ちゃんとした相手なら問題なく踊れる。よかった。やるべきことが減ったな」
シャルロットは首を傾げる。それから「あ」と気づいたように声をあげる。
「もう一曲、もう一曲踊ってみませんか!」
「じゃあ、次はヴェニーズワルツにしようか」
そう言って、二人は再び踊り出す。動きは先ほどより早い。
今度は最初からシャルロットは楽しそうだ。アルベールもシャルロットの実力の見極めが終わり、余裕があるためか、少し笑っているように見える。
エレオノールは二人が楽しそうに踊る様子をただ黙って見ていることしか出来なかった。
二人が踊り終わる。
シャルロットは全く疲れた様子を見せない。本当に踊るのが楽しそうだ。
「アルベール様、あともう――」
「――私」
エレオノールはシャルロットの言葉を遮り、口を開いた。
二人の視線がエレオノールに向く。
「私、少し疲れたので向こうで休んで来ますわね」
アルベールとシャルロットの返事を待たず、エレオノールはホールを出た。先ほどまでいた書庫に戻ろうと、廊下を進んでいく。
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