三章:伯爵令嬢は侯爵令嬢の望みを叶える②


 アルベールは宣言どおり、シャルロットの件で動いてくれたらしい。


 次に三人で会う約束の日、コルネイユ侯爵邸には「シャルロット嬢は先にラルカンジュ公爵邸に来ている。エリーも直接こちらに来てくれ」というアルベールからの手紙が届いた。


 指示通り、エレオノールは直接ラルカンジュ公爵邸へ向かうと、応接間にはアルベールとシャルロットがいた。シャルロットの表情はいつも以上に暗い。


「シャーリィ様」


 エレオノールはシャルロットの隣に腰かける。シャルロットは泣きそうな表情のまま、何も答えなかった。視線も合わせてくれない。


 彼女の身に何かあったことは明らかだった。


「エリー、君に聞きたいことがあるんだ」


 口を開いたのはアルベールだった。彼は真剣な顔でエレオノールの前に膝をつく。


「大事なことなんだ。真剣に考えて欲しい」


 エレオノールは一度、シャルロットに視線を向ける。彼女は俯いたままだ。状況を飲み込めないまま、エレオノールは頷いた。


「はい。何でしょうか」


「もしも――うん、本当にもしもの話なんだけど」


 一瞬、間を置いてからアルベールは質問をした。


「今、皇太子殿下と結婚できるってなったら、エリーは殿下と結婚する意志はあるかい?」


 エレオノールは瞬く。


 大事な話。真剣に考えて欲しいと切り出されたのに、あまりにも現実的でない仮定の質問をされたからだ。


 異母妹であるリディアーヌが皇太子妃になった今、何をどうしてもエレオノールは皇太子に嫁ぐことは出来ない。だから婚約が解消されたのはアルベールもよく分かっているはずだ。


「ええと、それはどういう意味でしょうか?」


 エレオノールは質問の意図を確認したくて訊ね返した。アルベールは真面目な表情をしたまま「そのままの意味だよ」と言う。


「そうだね。……例えば、政治的問題が解決して君も殿下と結婚できるようになった。あるいはリディアーヌと殿下が離縁して、その後釜に座ることになった。なんでもいい。私の存在も無視してくれて構わないよ。どんな状況でもいい。とにかく、今、全ての問題が解決されて殿下と結婚出来るようになったとしたら、君は皇太子殿下と結ばれたいと思うかい?」


 どうしてアルベールがそんなことを訊ねてくるのかは分からない。しかし、決してふざけているようでもない。最初に言われた通り、真剣な回答をアルベールは聞きたがっているように見えた。


 エレオノールは視線を床に落とす。


(もし、ジスラン様と結婚できるとなったら……)


 エレオノールはずっとジスランのことが好きだった。リディアーヌのことも、アルベールのことも一回なかったことにして、今エレオノールはジスランと結婚したいかどうか。


 全く考えたことがない質問のため、その状況を想像するのに時間がかかった。しかし、想像さえ出来てしまえば答えはすぐに出た。


 エレオノールは苦笑する。


「――いいえ。もし、もう一度皇太子殿下と結婚できる機会が出来たとしても、私はあの方と結ばれたいとは思っていませんわ」


「なぜだい?」


 アルベールは質問を重ねる。


「君はずっと、あんなに殿下のことを愛していたじゃないか」


「そうですわね。私は皇太子殿下をお慕いしていましたが、それも昔の話です。あの方への想いは捨て去りました」


 エレオノールの初恋はジスランだった。エレオノールは初めての婚約者を愛していた。


 でも、全て過去の話だ。すでに皇太子に対するエレオノールの想いはない。今更、ジスランと結婚できるとなっても、エレオノールは結ばれたいとは思わない。


 あの恋は終わったのだ。――今はただ、健やかで、幸せでいてほしい。そんなことを願うだけだ。


「そうか」


 アルベールはどこか安心したように息を吐いた。それから笑みを浮かべた。


「――なら、そろそろ私の想いに応えてくれてもいいと思うんだけど、どうかな?」


 そう言って、アルベールはエレオノールの手を握る。突然のことにエレオノールはろくな反応が出来なかった。


「今まではエリーの気持ちを優先して、あまり急かすようなことはしてこなかった。けれど、もう婚約して半年以上経つ。そろそろ婚姻の準備を進めてもいいと思うんだ。いつエリーが来てもいいように、屋敷にもエリーの部屋も用意しているんだよ。良かったら、見ていくかい?」


 アルベールの笑顔は常以上に輝いて見える。


「ええと、その」


 アルベールは今まで愛の言葉を囁くだけで、具体的に婚姻についての話はしてこなかった。突然婚姻の話を持ちだされたことと、結婚の予定も決まっていないのにエレオノールの部屋の準備がすんでいるという事実にエレオノールは困惑した。


「アルベール様。エリー様が驚いてらっしゃいますよ」


 そのとき、シャルロットが口を開いた。弾かれたようにエレオノールはシャルロットを見る。


 彼女はまだどこか疲れたような様子ながらも、いつものように困ったような笑みを浮かべていた。


「突然そんなこと言われても困っちゃいますよね、エリー様」


「え、ええ。そうですわ。それに何も私たちが結婚するとはまだ決まったわけではありませんでしょう?」


 エレオノールはまだ、この婚約の解消を諦めていない。


 出来るだけ今の婚約期間を長引かせて、その間にアルベールに本当に好きな相手を見つけて欲しい。出来れば、その相手はシャルロットであってほしいと思うが、――とにかく結婚の時期はなるべく引き伸ばしたい。


「いや、決まってるよ」


 エレオノールの言葉が否定されるのはいつも通りのこと。


 しかし、アルベールの口調にエレオノールは違和感を感じる。


「エリーは私と結婚する。それ以外の道はないよ。ずっと前から、そう決まってるんだ」


 アルベールはいつも通り微笑んでいる。


 だが、彼はまるで当たり前のことのようにそう言った。確信めいた口調だ。――どうして、アルベールはそんな風に言うのだろう。エレオノールには分からなかった。


 そのとき、シャルロットが立ち上がった。


「ごめんなさい。私、帰ります」


「――もう、ですか?」


 エレオノールは驚く。


 だって、まだエレオノールが到着して十分も経っていない。全然シャルロットと話が出来ていない。シャルロットの様子がおかしかった理由も分かっていない。


「ちょっと用事を思い出しちゃって。また、来週来ますね」


 そう微笑むシャルロットはどこかスッキリしたような表情を浮かべている。


「あの、シャーリィ様」


 応接間を出ていこうとするシャルロットをエレオノールは引き止める。


「本当に大丈夫ですか?」


「……エリー様には心配かけちゃいましたね」


 シャルロットは苦笑を浮かべる。


「でも、もう、大丈夫です。どうするか、決めました」


 一体、彼女は何の話をしているのだろうか。


 だが、ここしばらくと様子が変わっているのは確かだ。今のシャルロットは明るくて優しいいつものシャルロットだ。


「今度、ちゃんと説明しますね」


 そう言って、今度こそ彼女は応接間を出ていった。エレオノールをアルベールを振り返る。


「……あの、どういうことなんでしょうか?」


 シャルロットの様子が戻ったことは確かだ。しかし、結局ここ数週間の異変については何も分かっていない。おそらく、アルベールは彼女の事情を知っているはずだ。


 アルベールは肩を竦める。


「エリーのおかげで彼女の悩みは解決した。それだけだよ」


「私は何もしていませんわ」


「そんなことはないさ」


 何を言われているのかが本当に分からない。


 エレオノールは眉尻を下げる。


「何があったのかは教えてくださらないですの?」


「シャルロット嬢が今度ちゃんと説明するって言っただろう? まだ、決着がついたわけじゃないし、私の口からは説明できない。――いずれ、分かるよ」

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