三章:伯爵令嬢は侯爵令嬢の望みを叶える①


 エレオノールは少しだけ後悔をしていた。

 後悔の内容はシャルロットをコルネイユ侯爵邸に招いた件だ。


 彼女に『レティシアの物語』を見せ、アルベールのいる前では話せない話をした。


 そのことでエレオノール自身はスッキリした気持ちになれた。本当のことを知らない彼女に真実を伝えられてよかったと思っている。


 しかし、それはエレオノールの都合だ。


 話を聞いたシャルロットはひどくショックを受けていた。彼女のことを想えば、あの話はしない方が良かったのかもしれない。


(シャーリィ様は今まで通り、仲良くしてくださるかしら)


 もしかしたら、エレオノールのことを面倒と思ったかもしれない。距離を置かれてしまうかもしれない。


 しかし、その考えは杞憂だった。


 念のため、翌週もいつも通りラルカンジュ公爵邸へ来るかと確認をしたところ、快諾する返事が来たからだ。この間ちゃんと見せられなかった宝物を見せる、と手紙には書かれていた。


 安心した気持ちでエレオノールはエライユ伯爵邸を訪れる。


 そこで馬車に乗り込んできたシャルロットの顔を見て驚いた。妙に辛そうな――いや、痛そうな表情をしていたからだ。


「シャーリィ様、どうかなさったんですか?」


「……ちょっと、筋肉痛になってしまったんです」


 そういうシャルロットの動きは確かに少し違和感がある。


 エレオノールは心配になる。


「一体、どうなさったんですか?」


「馬に、久しぶりに馬に乗ったんです。すごく遠くまで遠駆けして――本当に疲れた」


 シャルロットの出身であるオクレール領は良い馬を産出することでも有名だ。


 伯爵令嬢であるシャルロット自身も幼い頃から馬に乗っていたという話は以前に聞いた。しかし、王都では令嬢が馬に騎乗するのは一般的ではない。


「遠駆けなんて、どなたとされたんですか?」


 そう訊ねると、シャルロットの表情が固まった。


 沈黙が流れる。


「一人です。私一人でした」


「……お一人で遠くまで遠乗りをされたんですか?」


「ええ、そうです。久しぶりに良い馬に乗れたのでテンションがあがっちゃったんです」


 シャルロットの様子は明らかにおかしい。目が泳いでいるし、話し方もわざとらしい。


 しかし、シャルロットが「宝物持ってきましたよ」と話題を変えたので、エレオノールはそれ以上追求が出来なかった。


 ラルカンジュ公爵邸でシャルロットの異変に気付いたアルベールにも同様のことを伝えると、彼は怪訝そうな視線をシャルロットに向けた。


「――また、余計なことに首を突っ込んだのか?」


 エレオノールは驚いた。


 アルベールは今までほとんどシャルロットに興味を持たなかった。そのため、彼からシャルロットに話しかけることはほとんどなかった。


 なのに、今、アルベールはシャルロットに質問をした。

 その上、話し方も妙に砕けたものだ。


 エレオノールはアルベールがこんな気安い口調で女性に話しかけるのをはじめて見た。


「……また、ではありません。こないだの件の延長線上です」


「延長線上で余計なことに首を突っ込んだと」


「首を突っ込んだんじゃありません。……断れなかっただけです」


「似たようなものだと思うけどね」


 エレオノールは二人を交互に見つめる。


 どうやら、アルベールは何か事情を知っているらしい。


「あの、何かあったんですか?」


 エレオノールが訊ねると、二人は一瞬視線を合わせる。それから、アルベールが笑みを浮かべて答えた。


「君の大好きなシャルロット嬢は慈善事業を始めたんだよ」


「慈善事業?」


「慈善事業ではありません。お給金は戴けることになりました」


「そういう問題ではないと思うけど。そもそも、貰った給料を君はどうするつもりなんだい?」


「…………孤児院にでも寄付しようかと」


「ほら。やっぱり慈善事業だ」


 シャルロットは言い返せなくなり、俯いた。


「……困ってる人は放っておけないじゃないですか」


「君のそれは少し度を超していると思うけどね。馬の世話なんて、伯爵令嬢がする仕事じゃないだろう」


「――馬、ですか?」


 思いもよらない言葉に、エレオノールは素っ頓狂な声をあげてしまった。シャルロットがどこか気まずそうに「ええ、そうなんです」と頷く。


「まあ、好きにするといいんじゃない」


 冷たい言葉を発したのはアルベールだった。


「私には関係のないことだから」


 アルベールはそう言って、目を閉じる。


 経緯は全く分からないがシャルロットは馬の世話をすることになったらしい。


 人が良いシャルロットのことだ。善意で誰かの手助けを始めたのだろう。そのことは理解出来た。


 しかし、エレオノールが一番気になったのは、アルベールがシャルロットを「シャルロット嬢」と呼んだことだ。


 今までアルベールはずっと彼女のことを「オクレール伯爵令嬢」と呼んでいた。そして、何故かアルベールはエレオノールが知らないシャルロットの事情を知っていた。


 エレオノールの知らないところで、二人に何かあったのは間違いない。


「……お二人とも、ずいぶんと仲良くなられましたのね」


 本来、それは喜ばしいことだ。ずっとエレオノールが望んでいた展開だ。――なのに、その事実に妙に胸がざわつくのは何故だろう。


 シャルロットは慌てた様子で両手を振る。


「違うんです違うんです! 勘違いされないでください」


「いいんですのよ。照れなくても」


「照れてるとかじゃなくて、本当に違うんです! 心配しなくても大丈夫ですよ。ねっ!」


 彼女はエレオノールを安心させるように笑みを浮かべる。それから、また話題を別のものに変えた。

 


 ✧



 ――問題はそれからだった。


 その日以降、日に日にシャルロットの様子がおかしくなったのだ。


 上の空であることも多い。反応も大袈裟なこともある。何より、沈んだ表情を浮かべることも増えた。


「本当にどうなさったんですか」


 思い切ってエレオノールはシャルロットに問いただした。


 その日、シャルロットはティースプーンを落とし、それを拾おうとしてテーブルクロスをひっかけてしまい、紅茶のセット一式を床にぶちまけてしまった。


 シャルロットはそれこそ頭を地面につけそうな勢いでアルベールとエレオノールに謝罪してきた。


 エレオノールは逆にシャルロットを心配し、アルベールは「問題ない。気にしなくていい」と使用人に片づけを命じた。


 その際にシャルロットのドレスが汚れてしまったため、シャルロットはラルカンジュ公爵邸で服を借りることになった。


 侯爵家には令嬢がいないため、侯爵夫人のドレスをシャルロットは借りた。少し古い意匠だが、一時的に着る分には問題ない。


 エレオノールもシャルロットの着替えを侍女と一緒に手伝った。その間も彼女は暗い表情のままだった。


 そのため、シャルロットの着替えが終わると、エレオノールは侍女にシャルロットと二人きりになりたいと頼んだ。


 エレオノールはシャルロットをソファに座らせる。そして、とうとうシャルロットの異変について訊ねたのだった。


「以前おっしゃっていた馬のお世話をされている件で何かありましたの?」


 ちょうど彼女の様子がおかしくなり始めたのは、あの頃からだ。


 図星だったようでシャルロットは黙り込んでしまった。


 アルベール曰く慈善事業と称されたその件について、エレオノールは詳しく話を聞いていない。まずはそこから訊ねるのがいいだろうか。


 しかし、何を聞いてもシャルロットはまったく教えてくれなかった。「言えません」の一点張りだ。


 ――言いたくないことを無理に聞き出すのは良くない。


 それでも、エレオノールはシャルロットが心配だった。なんとか力になりたいと思ったのだ。


 だから、せめて気持ちだけでも伝えようと思った。


「シャーリィ様のことが心配なんです」


 シャルロットは目を見開いてこちらを見た。その顔色は相変わらず良くない。


 エレオノールはシャルロットの手を握る。


「詳しく話せないならそれでも構いません。なにかお困りごとがあるのであれば、おっしゃってください。私にできることは本当に少ないと思いますが、シャーリィ様のお力になりたいです」


 彼女は悲しそうな表情を浮かべた。何か言いたげに、ただ苦しそうに俯く。


 そして、やっとのことで彼女が口にしたのは――。


「言えません」


 拒絶の言葉だった。


「言えません。エリー様だけには、絶対」


「シャーリィ様」


 シャルロットはエレオノールの手を解き、立ち上がる。

 そして笑った。


「心配させてしまってごめんなさい。でも、大丈夫です。こうしているのは今だけです」


 明らかに無理をして作った笑顔だとすぐに分かった。


「本当に大丈夫です。全部、今だけのことです。……時間が経てば、きっと」


 そう言って、ぎゅっとシャルロットは自身の手を握る。


 その後もずっと、彼女の表情は暗いままだった。



 ✧



 その次の日、エレオノールはアルベールと二人きりで会う約束をしていた。


 二人で会う時は外出することが多いが、今日はラルカンジュ公爵邸でのんびりとした時間を過ごす予定だった。


 だから、思い切って、エレオノールはアルベールに相談することにした。


「シャーリィ様が心配です」


 エレオノールがポツリと呟くと、隣に座るアルベールが少し考えるような表情を浮かべる。


 シャルロットと三人で会う時はそうでもないが、二人きりの時アルベールはエレオノールに触れたがる。今も彼の右腕はエレオノールの腰に周り、左手はエレオノールの左手を握っている。


 そのことに最初はドキドキしていたが、今は大分慣れてきた。――アルベールがエレオノールへの好意から触れているわけでないというのを分かっているからだ。


 特に触れられて嫌なわけではないので、アルベールの自由にさせている。


「まあ、確かに最近の彼女は少し様子がおかしいね」


「ええ。アルベール様もそう思われますでしょう? でも、何があったのかは教えてくださらないんです」


 なんとかしてシャルロットを助けたい。エレオノールはその一心だ。


 しかし、アルベールはそうではなかったらしい。


「……本人が何でもないと言ってるなら、放っておけばいいんじゃないのかな」


 そう、冷たい言葉を吐いた。

 エレオノールは目を見開く。


 最近、アルベールとシャルロットはたまに会話をするようになった。しかし、アルベールは妙にシャルロットに冷たい。


 エレオノールにはあんなに優しくて紳士的なのに、シャルロットに対してはそうでもないのだ。


 今だって、シャルロットの様子がおかしいことに気づきながら、心配している様子もない。

 それがどうしてなのかが、エレオノールには分からない。


「アルベール様はシャーリィ様が心配ではありませんの?」


 アルベールは一瞬、目を泳がせた。そして、諦めたように溜息をついて、こう言った。


「私自身としては全く。――この際だからハッキリ言っておくが、私はそもそもそれほど情に厚い人間じゃないよ。シャルロット嬢のことはエリーの良い友人という意味で好意的に思ってはいるけど、それだけだ。助けを求めてきたら私が面倒と思わない範囲でなら手を貸してもいいとは思うけど、彼女は私にそういうものは求めてこないだろう? 私から何かをしようとは思わないよ」


 エレオノールは驚いた。


 だって、アルベールはいつもエレオノールに自分から声をかけてきてくれた。どうしたら皇太子と仲良くなれるのか、そう言ったエレオノールの悩み相談に嫌な顔をせず何時間も付き合ってくれた。


 あれは明らかに面倒の範疇だ。


「でも、アルベール様は私の相談に乗ってくれていたではありませんか。お声も、アルベール様からかけてくださいましたわ」


「それはエリーだからだよ。エリーが困ってたから自分から声をかけたんだ。君以外だったら、私は放っておいたよ」


 その言葉を聞いて、正直エレオノールは複雑な気持ちだった。


 エレオノールはアルベールがどういう人間なのか、エレオノールに対する態度しか見ていない。だから、シャルロットという別の相手を通せば別の側面が見えるのは当然のことかもしれない。


 ただ、シャルロットはエレオノールにとって大切な友人だ。その彼女のことをアルベールがどうでもいいかのように思っているのはとても悲しかった。


「……シャーリィ様は私にとって大切な方なんです」


 エレオノールは目を伏せる。


「アルベール様がそのようにおっしゃるのは、少し悲しいです」


 そのことを告げると、アルベールは少し焦ったように身を乗り出してくる。

 エレオノールの左手を握る力が強まった。


「すまなかった。そうだね、エリーはシャルロット嬢が心配だよね。――分かった。彼女のことについて私の方でも調べておこう。そもそも彼女が慈善事業を始めるキッカケを作ったのは私みたいなものだしね。何か分かったら、君に伝えよう」


 その件についてエレオノールは教えてもらえていないが、アルベールはシャルロットが何をしているかはある程度知っている様子だ。事情を知る彼なら、シャルロットを助けることが出来るかもしれない。


 エレオノールは少しだけ安堵する。


「ありがとうございます、アルベール様」


「これぐらい何でもないよ。愛するエリーのためならね」


 先ほど、アルベールはシャルロットから手助けを求められなければ何もしないと言った。それなのに、エレオノールがそのことを悲しいと言った途端に態度を翻した。


 皇太子との関係に悩んでいるとき、声をかけたのもエレオノールだったからだと言ってくれた。


 ――まるでエレオノールを本当に特別だと思ってくれているようで、エレオノールは不謹慎にも嬉しく思ってしまった。


(……期待するのは間違いですわ)


 ――今までずっとエレオノールは裏切られ続けてきた。


 今更、アルベールに異性として好きになってもらえるなんて期待をするのは間違いだ。


 アルベールはきっと、エレオノールを妹のように思ってくれているのだろう。そういう意味で少しだけ特別扱いしてくれているだけだ。


 彼がエレオノールを愛してくれるなんて、期待をしてはいけない。

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