二章:伯爵令嬢は侯爵令嬢の真意を知る⑨
アルベールがエレオノールを愛していない、という言葉をシャルロットは信じられない様子だった。
当然だろう。
最初、エレオノールも彼の言葉を信じきっていた。それほど、アルベールは真実を語っているように見えたのだ。
「リディの部屋にはアルベール様からリディに宛てた恋文が残っていました。私も、アルベール様が所有されている馬車が
「そんな」とシャルロットはショックを受けたように呆然としている。
シャルロットは本当に優しい人だ。エレオノールのことなのに、自分事のようにショックを受けてくれている。
そのことが少しだけ嬉しかった。
彼女をアルベールに引き合わせたのはリディアーヌに似ていると思ったからだ。シャルロットのことをきっと、アルベールは好きになる。そう信じて、エレオノールは二人を引き合わせた。
その結果はエレオノールが望んだものとは違った。
何度も二人は顔を合わせているのに一向に距離を縮める様子はない。むしろ、エレオノールとシャルロットの距離ばかり縮んでいる気がする。
――おそらく、エレオノールとシャルロットの関係は友人と言ってもいいに違いない。今まで友人の一人も作れなかったエレオノールがそう思うのはおこがましいかもしれないが、エレオノールにとってシャルロットは大切なお友達だ。
シャルロットは一人きりのエレオノールに話しかけてくれた。エレオノールの気持ちを慮ってくれた。優しい言葉をかけてくれた。
――きっと、エレオノールはシャルロットのことを心から祝福できる。
彼女がアルベールと結ばれても、シャルロットは心から「幸せになって」と告げることが出来るだろう。
今、エレオノールが二人に結ばれてほしいと思うのは二人のためではなく、自分自身のためだ。利己的な考えが嫌になるが、それが事実だった。
「……私はレティシアではありませんでしたわ。王子様と結ばれる
「エリー様はアデールなんかじゃありません! 幸せな未来をきっと……」
「――どうやってですか?」
淡々とした口調で訊ねる。シャルロットは言葉に詰まらせた。
「アルベール様は私を愛していません。そんな方と結婚して、私は幸せになれるんでしょうか。――父は私の母を愛していませんでした。二人は完全なる政略結婚でしたの。父はずっと後妻であるリディの母のことを愛していましたわ。そのせいで母は苦しんでいたそうです。母が死んで、私は一人残されました。父は愛する人を後妻に迎えました。結果、前妻の子である私はこの家で浮く存在となっています」
そのこと自体はすでにエレオノールは受け入れている。
しかし、初耳だっただろうシャルロットの表情はどんどん悲しそうなものになっていく。
「もちろん、政略結婚でも上手くいっている関係もあるでしょう。アルベール様はとても優しくしてくださいますわ。もしかしたら、このまま結婚しても穏やかに暮らしていけるかもしれません」
恋愛感情がなくても夫婦にはなれる。
例えば、ラルカンジュ公爵と夫人も政略結婚と聞いている。しかし、いい関係を築けているとアルベールから聞いている。他にも上手くいっている夫婦はそれなりにいると思う。
同じように親愛や信頼で結ばれた夫婦になれるかもしれない。
「ですが、その後にアルベール様に他に好きな相手が出来たら」
エレオノールは目を閉じる。
アルベールは決して、エレオノールのことを異性として愛しているわけではない。いつか、アルベールも父と同じように別に好きな相手が現れるかもしれない。そうなったら、エレオノールはきっと。
「きっと、私はその相手とアルベール様を殺めかねません」
シャルロットは息を呑んだ。
――これはずっと認めたくなかった、本当の気持ちだ。
エレオノールは目を伏せたまま、言葉を続ける。
「分かっているんですのよ。少しずつですが、私の心はアルベール様に傾いています。このままいけば、本当に心からアルベール様のことを愛するようになるでしょう。その後にアルベール様の想いが他の女性に向けば、私はきっと嫉妬してしまいます。――リディがジスラン様に愛されているというのを知った時、私リディを階段から突き落としてしまったんです。私に無関心だったジスラン様の時でさえそうだったんです。きっと、同じようなことが起きたとき、きっと私はあのときよりひどい真似をしてしまいますわ」
エレオノールとアルベールとの結婚はまた不幸な存在を生みかねない。エレオノールは本当にアデールのようになってしまうかもしれない。それだけは避けなければならないのだ。
「だから、その前にアルベール様に他の方を好きになってほしかったんですの。今なら、まだ間に合いますもの」
結婚をしてしまえば、夫婦関係を解消するのは難しいことだ。子供が生まれでもすれば余計に離婚は難しいだろう。チャンスは婚約期間中の今しかないのだ。
エレオノールは一呼吸置く。
「ジスラン様との婚約解消後、私に婚約を申し出てくれたのはアルベール様だけでした。この婚約が解消されれば、もう私に縁談を持ち込んでくる人はいません。私は修道院に送られることになるでしょう。私の幼い頃の夢はどちらにせよ、叶わないんですのよ」
もう、エレオノールはそのことを受け入れた。
これからどんな未来が待ち受けているかは分からない。でも、どんな未来でもアデールのようになるよりはずっとマシだと思う。
だから、エレオノールはアルベールとは結婚できない。
アルベールはエレオノールと結婚しても幸せになれない。――そして、それはエレオノールも同じだ。
エレオノールには、お互いに不幸になる危険を孕んだ結婚を許容することはできない。それが頑なにアルベールと別の令嬢を結びつけようとした理由だ。
自分の選択が間違っているとは思わない。しかし、何も知らないシャルロットを巻き込んだことは少し申し訳なく思う。
シャルロットは今にも泣きそうな表情をしていた。エレオノールは安心させるように微笑む。
「シャーリィ様のお気持ちも考えずに無理やり巻き込んだことは申し訳なく思っています。本当に私の我儘に巻き込んでしまって、申し訳ありませんでした。――ですが、是非、アルベール様とのこと前向きに考えて欲しいんです。それが私のためでもあるのですから」
シャルロットは本当に悲しそうに視線を床に落とした。
それから屋敷を後にするまで、シャルロットは一言も喋らなかった。
✧
(分からない。分からない。分からない)
シャルロットには何が真実なのか分からなかった。
エレオノールの心を頑なにさせているのは前回の婚約解消が関わっていると思っていた。そして、実際にそうだった。
しかし、エレオノールの言う言葉は全く想像していなかったものだ。
アルベールがエレオノールを愛していないなんて信じられない。だが、エレオノールは確信を持っていた。彼女が嘘をついているとも思えない。
一体、何が真実なのだろうか。一体、シャルロットには何が出来るのだろうか。
その晩、シャルロットは悩みに悩みぬいた結果、手紙を書くことにした。
送り先はラルカンジュ公爵邸――アルベールに宛てたものだ。エレオノールのことで彼女には秘密で二人だけで話をしたい、という内容だ。
返事はしばらくかかると思っていた。しかし、手紙を届けた使用人がそのままアルベールからの返事を持ってきた。
返事の手紙には密会を了承する旨と、日時の候補日が書かれていた。そのうち、一番近い日程で会いたいとシャルロットはまた返事を書いた。
シャルロットがコルネイユ侯爵邸を訪れた三日後、彼女は一人でラルカンジュ公爵邸に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます