二章:伯爵令嬢は侯爵令嬢の真意を知る⑧


 ジスランとの婚約が解消されたあと、エレオノールは新たにアルベールと婚約を結んだ。


 アルベールは昔からエレオノールに優しくしてくれる数少ない人だ。縁談の話を聞いた時にはとても驚いたが、彼は昔と変わらず誠実な態度でエレオノールのことがずっと好きだと告白してくれた。


 ――彼となら、うまくやっていけるかもしれない。


 彼の言葉を聞いて、エレオノールは本気でそう信じた。


 エレオノールがジスランとうまくいかなかったのはジスランがエレオノールを愛していなかったからだ。しかし、アルベールは違う。彼はエレオノールを愛していると言ってくれた。


 あとはエレオノールさえ彼に想いを返せるようになれば、レティシアと王子のような関係を築けるかもしれない。

 フラれたばかりですぐに別の男性に好意を向けるのは少しはしたなく感じるが、エレオノールはアルベールとの関係を作りあげようと前向きに思っていた。――最初の頃は。


 アルベールは婚約して早々、婚約記念の夜会を開いた。「婚約者の顔見せをしたい」と言われ、エレオノールも張り切って着飾った。


 夜会に参加するのは本当に久しぶりのことだ。


 しかも、パートナーであるアルベールは何かとエレオノールを気遣い、フォローしてくれる。こんなことははじめてで、エレオノールはとてもドキドキしていた。


 夜会の参加者は「婚約おめでとうございます」と声をかけてくれる。しかし、複雑そうな表情をしている者もいて、エレオノールは少し不思議に思っていた。婚約者のいない令嬢たちだけなら、アルベールが婚約してしまったことにショックを受けているのかもしれないとも思ったが、アルベールの友人らしい男性も同様の表情をしていたのが気にかかった。


 途中、エレオノールは化粧直しのため、席を外した。


 アルベールが付き添うと申し出てくれたが、夜会には彼に話しかけたい人がたくさんいる。エレオノールは申し出を辞退して、一人で控室へ向かった。

 その途中、若い令嬢たちの話し声がした。


「まさか、リディアーヌが皇太子妃になるなんて思わなかったわ」


 きっと彼女たちも招待客の誰かだろう。

 顔を見れば誰かは分かるが、ちょうど彼女たちの声は曲がり角の向こう――死角から聞こえる。だから、エレオノールには誰が話しているかは分からなかった。


 盗み聞きなんて良くない。そのことは分かっていても、リディアーヌの名前を聞いて、エレオノールは足を止めてしまった。


 そして、彼女たちは信じられないことを言い出したのだ。


「ねえ、てっきりアルベール様と結婚すると思っていたのに」


「アルベール様も可哀想ね。あんな女狐に騙された挙句、捨てられるなんて」


「あんなに仲睦まじかったのにね。やっぱり、ラルカンジュ公爵よりは次期国王の方が良かったってことでしょう?」


「ホント、何で皆あんなのに引っかかるのかしら。社交界に男を漁りに来たなんて見え見えでしょうに」


「男って単純なんだもの。あんな風に可愛く甘えられたら騙されてしまうんじゃない?」


「もう、本当に単純」


 令嬢たちはまるでアルベールがリディアーヌを好きだったかのように話す。


 確かにリディアーヌは魅力的な娘だ。皇太子以外に好意を抱いている人間はたくさんいる。だが、まさか、アルベールまでリディアーヌを好きだったなんて噂話が流れているなんて思いもよらなかった。


(でも、アルベール様は昔から私のことが好きだったっておっしゃってましたわ)


 このときはまだ、エレオノールはアルベールの言葉を信じていた。


 見知らぬ令嬢たちの噂話より、アルベールの言葉の方が信ぴょう性は高い。

 きっと、彼女たちは何かを勘違いしているのだろう。


「でも、何で姉と結婚することにしたのかしらね」


「同情じゃないの? 私だって、あの人はちょっと可哀想だと思うわ。あんなに皇太子殿下に蔑ろにされて、妹に取られちゃったんだもの」


「じゃあ、仲良くしてあげれば? 全然、社交界に出てこないじゃない。あの人」


「そんなの嫌よ。コルネイユ侯爵夫人に睨まれたくないもの。あの人もきっと良い気分でしょうね。目障りな前妻の娘じゃなくて、実娘を皇太子妃に出来たんだもの。今まで以上に大きい顔するんでしょうね」


「まあ、リディアーヌとは全然タイプ違うものね。好きになった、ってのは考えにくいんじゃない?」


「もしかして、あれじゃない。妹の代わりってやつ。そういう考えをする人もいるでしょう?」


「全然似てないのに? それが本当だったらアルベール様もひどいお方ね」

 

 ――なんてひどい噂をしているんだろう。


 皇太子周辺の恋愛事情は退屈を嫌う貴族の中では格好の話の種だろう。


 元皇太子の婚約者であるエレオノールはともかく、エレオノールと新たに婚約を結んだアルベールにまで火の粉がかかるのは許せなかった。

 しかし、エレオノールには彼女たちを直接咎める勇気がない。


 そのため、エレオノールは逃げるようにその場を立ち去った。


(あんなの、ただの噂話ですわ)


 エレオノールはそう思って、その時の記憶に蓋をした。


 それからもアルベールは優しかった。一緒に出掛けてくれた。贈り物をくれた。手紙もくれた。時折、「愛している」と囁いてくれる。

 エレオノールはアルベールのことを信じていた。


 ――だが、ある日気づいてしまったのだ。


 それはエレオノールがラルカンジュ公爵邸を訪れたときのことだ。


 約束より少し早めの時間についたエレオノールは、ちょうど入れ違いに見覚えのない馬車が門を出ていったのを見かけた。

 なんとなく馬車が気になって、そのことを執事に訊ねた。


「ああ、あれはアルベール様の馬車ですよ。もうご不要とのことで、処分することにしたんです」


「アルベール様のですか? それにしてはずいぶんと質素な造りでしたけれど……」


 ラルカンジュ公爵家の跡取りが使うには少し安物のように見えた。下級貴族や裕福な商家なんかが使うような馬車だった。


「ああ、あれはお忍び用ですから。こっそり、お出かけをされる際によくアルベール様が使っていらっしゃったんですよ。アルベール様は普通侯爵家嫡男が出入りされないような――賭博場などにも遊びに行かれていましたから」


「まあ」


 新しい婚約者の意外な一面を知って、エレオノールは驚いた。


「賭け事というよりは人との駆け引きが楽しいと仰ってました。まあ、昔の話です。ここ数年はパッタリおやめになっていらっしゃます。このことは秘密ですよ」


「ええ、分かりました」


 エレオノールより六つも年上の婚約者は大人だ。

 彼の若い頃のエピソードを聞けて、エレオノールは少し嬉しかった。


 約束より早くエレオノールが到着してしまった為、アルベールはまだ戻っていないらしかった。


 エレオノールは早く来過ぎたことを謝罪し、応接間で一人アルベールを待つ。その間、エレオノールは――先ほどの馬車のことを考えていた。


(なぜでしょう。あの馬車、見覚えがありました)


 それほど特徴的な形の馬車ではない。

 だが、エレオノールはあの馬車を以前にも見たことがある。それは間違いない。


(どこで)


 そこまで考えて、エレオノールは思い出した。――思い出してしまった。


 リディアーヌは皇太子と結婚前、たくさんの異性に求婚されていた。彼女は彼らの誘いに応じてよく出かけていた。


 その中に、よくリディアーヌを屋敷まで迎えに来る人物がいた。


 それがどこの誰かはエレオノールも知らない。


 だが、その馬車は頻繁に屋敷にやって来ては、リディアーヌを連れてどこかへ去っていった。エレオノールも何度もその馬車を見ている。――さっきの馬車はリディアーヌを迎えに来ていたあの馬車だ。

 

『ねえ、てっきりアルベール様を狙ってると思っていたのに』


『あの方も可哀想ね。あんな女狐に騙された挙句、捨てられるなんて』


『あんなに仲睦まじかったのにね』


 信じないと決めた、令嬢たちの言葉が脳裏に蘇る。


(そんなの嘘です)


 信じたくない。きっと、エレオノールの記憶違いだ。


 その後、エレオノールは「少し体調が悪くなった」と嘘をつき、アルベールが戻ってくる前にラルカンジュ公爵邸を後にした。


 自宅に戻り、確認したい事があった。


 エレオノールはリディアーヌの部屋に向かった。


 最悪、誰かに見つかってもいいと思った。なりふりなど構っていられなかった。


 リディアーヌの部屋の引き出しを漁る。大量の手紙が入っている段を見つけたエレオノールはそれを一つ一つ確認していく。


 それらは全て恋文だ。


 皇太子妃となるリディアーヌがこんなものを王宮には持っていけない。


 手紙の贈り主はエレオノールが名前だけ知っている伯爵や子爵家の令息たちだ。送り主は二十人以上はいる。


 その中に一通だけ、送り主の名前が「A」というイニシャルしかない手紙を見つけた。


 ――きっと、違う人だ。「A」というイニシャルは珍しくもなんともない。


 祈るようにエレオノールは手紙に目を通す。


 最初に手に取った手紙は先日の逢瀬が楽しかった、という内容のものだった。


 一緒に王都近くの湖まで馬車で出かけたらしい。湖も綺麗だったが、それ以上にリディアーヌは美しいと書かれていた。また、次に会えるのが楽しみだ。いつものようにまた手紙を送る、という文章で手紙は締めくくられている。


 エレオノールは絶望した。


 その手紙の筆跡は間違いなく、――アルベールのものだった。


 エレオノールも婚約してから何度も手紙を貰った。何度も繰り返し読み返した。だから、間違えるわけがない。この手紙を書いたのはアルベールだ。


(信じてたのに)


 昔からアルベールはエレオノールに優しくしてくれた。


 エレオノールはアルベールのことが好きだった。それはジスランに抱いていたような恋心ではなかったけど、信頼できる相手だと思っていた。


 あの人は嘘なんてつかない。ずっと、そう信じていた。


 なのに、アルベールは『昔からエレオノールが好きだった』なんて嘘をついた。――本当はリディアーヌのことを愛していたのに。


(嘘つき。嘘つき。嘘つき。嘘つき)


 エレオノールは手紙を引き出しに戻すと、自室に戻った。


 椅子に座り、ぼんやりと虚空を見つめる。


 もう何も信じられない気持ちでいっぱいだった。令嬢たちが言っていたのは本当のことだった。アルベールは本当にリディアーヌのことが好きで、二人が結婚すると社交界では思われていたのだ。


 そう考えると、参加者たちの微妙な表情の理由も理解出来た。

 彼らもまた、アルベールはリディアーヌと結婚するものだと思っていたのだろう。だから、心から祝福出来なかったのだ。色々なことが腑に落ちた。


 ――ただ、一つ疑問も残る。


(何故、アルベール様は私と婚約しようと思ったのでしょう)


 リディアーヌの結婚後、多くの貴族子息が婚約をした。

 想い人であったリディアーヌが結婚したためだ。彼らは別の令嬢を結婚相手として選んだ。

 アルベールも同じだったのだろうか。


 愛する相手を皇太子に取られ、しかたなく別に結婚相手を探そうとした。

 そして、エレオノールをちょうどいいと思ったのだろうか。あるいはエレオノールの境遇を不憫に思ってくれたのかもしれない。


『もしかして、あれじゃない。妹の代わりってやつ』


 エレオノールはギュッと膝の上の手を握り締める。


 ――違う。きっと違う。アルベールは優しい人だ。そんな理由でエレオノールと結婚しようなんて考えない。


 エレオノールをリディアーヌの代わりにしようと思っているなんて、それが事実ならエレオノールは耐えられない。


(アルベール様はお優しいから、きっと、私に同情してくださったんですわ。愛していると仰ってくださるのも、今まで皇太子殿下と上手くいっていなかった姿を見ていらっしゃるから。私に夢を見せようとしてくださってるんですわ)


 だから、エレオノールはそう信じることにした。


 彼の言葉が優しさから来る嘘なら許せる。でも、エレオノールをリディアーヌの代わりと思っているなら、――エレオノールはアルベールさえも許せなくなるだろう。


(このままでいいんでしょうか)


 次に思ったのはそんなことだ。


 アルベールはエレオノールを愛しているわけじゃない。このまま結婚して、エレオノールとアルベールは本当に幸せになれるのだろうか。


 二人の婚姻の時期はまだ未定だ。

 エレオノールの気持ちを慮ったアルベールが「エリーの気持ちの整理がつくまで待つ」と言ってくれた。


 ――きっと、エレオノールとアルベールが結婚するのは良くない。


 そう思って、アルベールに真意を訊ねもしたが、彼は「エリーを愛してる」と嘘ばかりを口にする。決して本音を語ってくれない。婚約を解消する気もなさそうだ。


 エレオノールにはこの婚約を破談にする発言力はない。エレオノールが婚約を破棄したいと言っても、父は聞き入れてくれないだろう。

 どうにか、アルベール側の考えを変えないといけない。


 必死にエレオノールは考えた。


(きっと、アルベール様も結婚前に新しく好きな相手が出来れば、きっとこの婚約はなかったことにしてくれるはずですわ)


 アルベールは誠実な男性だ。


 他に愛する相手がいるにも関わらず、そのままエレオノールを妻に迎えるような双方に対して不誠実な真似はしないだろう。


 アルベールの好きになりそうな相手。そう考えて思いつくのは、彼が好きだったのはリディアーヌだ。


 彼女のように可愛らしく明るい優しい令嬢。そういった令嬢を見つければきっと、アルベールもその令嬢のことを好きになるだろう。そうすれば、この婚約を解消できる。そう思った。


 アルベールが動く気がないなら、自分自身で動くだけだ。


 自分でアルベールの新しい婚約者を見つける。そして、二人に幸せになってもらう。そして、それをエレオノールは祝福するのだ。――今度こそ、本心から。


 そう心に決めたエレオノールは、ヴァロワ侯爵夫人のお茶会でシャルロットに出会ったのだ。

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