二章:伯爵令嬢は侯爵令嬢の真意を知る⑥


 エレオノールが二人の関係を知ったのは噂話であった。


 リディアーヌは社交界デビューを果たすと、すぐにたくさんの異性から言い寄られるようになった。コルネイユ侯爵邸には毎日のように手紙や花束が届くようになった。


 リディアーヌが誰と結婚するのか。それはエレオノールも気になるところではあった。


 夜会での楽しい時間や、もらった手紙のことを教えてくれたときに好きな相手がいるか訊ねたことがある。しかし、リディアーヌは可愛らしい笑みを浮かべて「秘密よ」と決して好きな相手を教えてくれなかった。


 リディアーヌは周囲に乞われるまま、たくさんの男性と出かけていた。


(あの子ならきっと、好きな相手と結婚出来ますわね)


 あの天使のような笑顔を向けられて、好意を抱かない男性はいないだろう。エレオノールはいつ婚約の報告をしてもらえるのか、と楽しみに待っていた。



 その話を教えてくれたのはヴァロワ侯爵夫人だった。

 「もう大分噂になっているから、変な風に伝わるぐらいなら」と彼女は嫌な役割を自ら引き受けたのだ。


 彼女が語った話はこうだ。


 ――今、社交界ではジスランとリディアーヌの関係が噂されている。しかも、それは根も葉もない噂ではなく、れっきとした証人がいるものだと言う。


 ジスランは例年、夏の時期を離宮で過ごす。その年の夏もそうだった。


 エレオノールは離宮に数週間向かうジスランに挨拶にいった。「ごゆっくりお過ごしください」と言ったエレオノールに、ジスランは「ああ」としか答えてくれなかった。離宮に手紙も送ったが、返事は来なかった。


 しかし、そのとき、ジスランは一人ではなく――なんとリディアーヌを離宮に呼び寄せていたのだという。

 確かにちょうどその時期、リディアーヌは屋敷を留守にしていた。「お友達と一緒に別荘に行くことになったの」と彼女は楽しそうに出かけていったのを覚えている。


 偶然、皇太子の友人たちもその頃離宮近くの別荘地に出かけていたらしい。せっかくだから皇太子に挨拶に行こうと、離宮を訪れた彼らはそこでリディアーヌの姿を見たらしい。


 ジスランはいつも離宮で一人で静かに過ごすのを好んでいる。友人でさえ離宮に呼んだことがない。それが、同世代の令嬢を離宮に入れたのだ。


 このとき、ヴァロワ侯爵夫人は言葉を濁したが――おそらく、リディアーヌがいたのは皇太子の寝室だ。二人一緒に寝台にいる姿が目撃されたのだ。


 リディアーヌは社交界でもかなり注目を集めていた。彼女が皇太子と深い仲にあることはすぐに知れ渡った。この事態を収めるために、国王と父はジスランとエレオノールの婚約を解消し、代わりにリディアーヌを皇太子妃に据えることを決めた。


 エレオノールは婚約解消について、直接ジスランから話をされた。


 その日はじめてジスランからエレオノール宛に手紙が届き、――本当に久しぶりにエレオノールはまともにジスランと会話をしたのだ。


 案内されたのは奇しくもはじめて顔合わせをしたのと同じ部屋。


 しかし、はじめて会った時から五年の歳月が経っている。


 背の低かったジスランの背丈はエレオノールより伸びたし、声も低くなった。可愛らしさがあった顔立ちも今は凛々しいものに変わっている。


 子供だった二人は結婚できる年齢になっていた。


 ジスランは最後の最後までエレオノールと視線を合わせなかった。しかし、いつもと違って、その日ばかりは彼の視線も床に向けられていた。


 多少なりとも、エレオノールに後ろめたい思いを感じているようだった。


 気まずい重苦しい空気の中、ジスランが告げた。


「君の妹との結婚が決まった。君との婚約は解消することになった」


 それは既に決定事項であった。国王も、コルネイユ侯爵も承諾している。エレオノールに反論は許されない。

 でも、何も言わずにはいられなかった。


「何故、私じゃ駄目だったのですか」


 エレオノールは泣いていた。


 どんな時もエレオノールはジスランの前で笑みを浮かべていた。

 泣くなんて皇太子妃に相応しくない。そのため、彼の前ではどれだけ辛くても泣かなかった。


 でも、その時ばかりは涙をこらえきれなかった。


「私は皇太子妃に相応しくなるように努力をしました。ジスラン様に認めていただきたくて、出来ることは全てやってきました。私に何が足りなかったのでしょうか。教えてください」


 リディアーヌは可愛らしい娘だ。

 この国で一番と言っていいほど美しい。明るくて知り合いも多いし、とっても優しい。


 ――でも、それだけだ。


 ジスランの言うような皇太子妃に必要な教養も知識も、リディアーヌには圧倒的に足りていない。作法だって、言葉遣いだって、立ち居振る舞いだって。歴史や周辺諸国の知識だって、外国語、文学の知識だって、全てにおいてエレオノールの方が上回っている。


 だから、五年前の皇太子の婚約者選びにリディアーヌは参加しなかったのだ。姉であるエレオノールのほうが皇太子妃に求められる才覚については優れていたから。


 なのに、皇太子はエレオノールではなく、リディアーヌを選んだ。


 皇太子妃に相応しくなれるように努力しろと言ったのは、ジスランだ。なのになぜジスランはリディアーヌを選んだのか、エレオノールは教えて欲しかった。


 ジスランは、はじめて会った時のように『それくらい自分で考えろ』とは言わなかった。


「――君に非はない。足りないものはない。君以上に皇太子妃の座に相応しい女性を僕は知らない」


 それは、本来、エレオノールがずっと求めていた言葉だった。


 皇太子妃に相応しい人間になりたくてずっとエレオノールは努力してきた。


 ジスランは婚約解消が決定したからようやく、――いや、今更になってエレオノールは皇太子妃に相応しいと認めたのだ。


「では、なぜ、私では駄目なのですか」


 ジスランは目を閉じる。


「教えてください、ジスラン様!」


「――最初から」


 彼はポツリと呟く。


「最初から決まっていたんだ。僕と君が会う前から全部。こうなる運命だったんだ」


 運命とはどういう意味なのか。エレオノールには分からない。


 ジスランは立ち上がる。もう話はすんだとばかりにエレオノールの横を通り、部屋を出ていこうとする。

 エレオノールはその背中に追いすがろうとする。


「ジスラン様」


「その呼び方で呼ぶな!」


 声を荒げるジスランにエレオノールは肩を震わせる。


 皇太子が声を荒げるところを初めて聞いた。怒鳴り声に慣れていないエレオノールは委縮する。


「僕たちはもう婚約者ではない。今後は侯爵令嬢として、節度を持った態度で僕に接しろ」


 本来、皇太子であるジスランのことを臣下は「皇太子殿下」と呼ぶのが礼儀だ。それが、婚約者であるエレオノールは特別にジスラン様と呼ぶことが許されていた。


 しかし、もう婚約者でないエレオノールには彼を今まで通り呼ぶ権利はない。


「君は何も悪くない。――僕を恨め」


 彼はそう言い残し、部屋を出ていった。


(分からない。分からない。どうしてなの)


 何故、自分では駄目だったのか。その答えがエレオノールには全く分からなかった。

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