二章:伯爵令嬢は侯爵令嬢の真意を知る④
エレオノールが皇太子であるジスランの婚約者に選ばれたのは、彼女が十二歳のとき。
一つ年上のジスランは当時十三歳だった。
国王は皇太子と年齢の近い侯爵家以上の令嬢を集め、皇太子妃に相応しい令嬢を見極めようとした。
作法は勿論、言葉遣い、立ち居振る舞い。歴史や周辺諸国の知識は勿論、語学、文学。令嬢たちに課された課題の内容は多岐に渡った。
エレオノールは七人いた令嬢の中で一番、成績が良かった。自慢ではないが、どの課題もずば抜けて優れた結果を残せた。
国王はエレオノールのことをいたく気に入ってくれ、その場で皇太子の婚約者にエレオノールを選んだ。
そして、そのあとにジスランと引き合わせる機会を設けてくれたのだ。
『お初にお目にかかります、ジスラン皇太子殿下。コルネイユ侯爵家のエレオノールと申します』
彼と初対面したのは王宮の一室だ。
広い部屋に一人、少年が待っていた。
その少年が誰かは聞くまでもない。
国王の第一子。皇太子であるジスランだ。
彼はエレオノールを一瞥すると、すぐに視線を逸らした。
『お前が父上が選んだ僕の婚約者か。父上がお前のことを大層褒めていたぞ』
『光栄でございます』
『ふん。勘違いするなよ。お前を認めたのは父上だ。僕じゃない。僕はまだお前が皇太子妃に――僕の結婚相手に相応しいとは認めていないからな』
彼はどうやら今回の縁談を不服に思っているらしい。
エレオノールは少し悲しくなる。
『……どうすれば、認めていただけるのでしょうか?』
『ハッ! それぐらい自分で考えろ。皇太子妃になりたいなら、それぐらい当然だろう』
ジスランの返答は冷たかった。
ただ、彼の言い分はもっともだ。
皇太子妃になるのであれば、それぐらい自分自身で考えなければいけない。
今までエレオノールはたくさん努力してきた。勉学に励んでいたのは――父の気を引くためだ。
生母を幼い頃に亡くしたエレオノールにとって、血の繋がった親は父だけだった。
しかし、父はエレオノールに興味を持っていない。こちらから話しかけることはあっても向こうからは挨拶くらいしか返してくれない。褒めることも、叱ることも一切してくれない。
だが、エレオノールが家庭教師の出した問題に全部正解した日、父は珍しくエレオノールに声をかけてくれた。「さすがコルネイユ侯爵家の娘だ」と褒めてくれた。
それが嬉しくて、エレオノールはずっと努力をしてきた。
しかし、父が褒めてくれたのはそのただ一度きり。それ以来、父が褒めてくれたことはない。それでも、エレオノールはいつかまた褒めてもらえるのではないかと思って勉学に励んだ。
その結果、各侯爵家から一人ずつ選ばれる皇太子の婚約者候補にエレオノールが選ばれ、試験の結果、皇太子の婚約者になることができた。きっと、父はエレオノールが皇太子の婚約者に選ばれたことを喜んでくれるかもしれない。
しかし、ここが終わりではない。皇太子の婚約者に選ばれればいいというものではないのだ。
今後もエレオノールは努力を続ける必要がある。皇太子妃に相応しい人間であることを示し続けなければいけない。
皇太子の言葉でそのことは理解した。
――それでもエレオノールは少しだけ悲しい。
夢見がちなエレオノールは王子という存在に夢を抱いていた。
金髪碧眼の王子様。
笑顔が素敵で、優しくて紳士的。
婚約者に甘い愛の言葉を囁いてくれる。
大好きな『レティシアの物語』に出てくる王子様はそんな人物だった。
他にも持っている恋愛小説には似たような男性が出てくることが多い。だから、エレオノールは王子様というのはそういった人物なのだと思っていた。
だが、そんなものは物語上の存在だ。
実際の皇太子は黒髪に赤い瞳で、不機嫌そうな表情を浮かべている。まだ成長過程の皇太子はエレオノールより少し身長も低い。ジスランはエレオノールの想像とは全く違う人物だった。
それにエレオノールは皇太子に求められてここにいるわけではない。あくまで国王に決められた婚約者というだけだ。
それでもエレオノールは少しだけ期待してしまったのだ。――誰にも愛されていない自分を、彼なら愛してくれるのではないかと。
だが、期待は外れていた。自分勝手だと思うが、期待が裏切られたことにエレオノールは少なからずショックを受けてしまった。
思わず、エレオノールは俯いてしまう。すると、「フン」とジスランは鼻を鳴らした。
『まあ、ただ、父上が認められたのだ。僕の婚約者を名乗るぐらいは許してやる』
彼はそう言って、ニヤリと笑った。
はじめて見せてくれたジスランの笑みは、どこか子供っぽい。しかし、気取らないものだった。
『精々、皇太子妃に相応しくなれるように努力することだな』
『――はい……っ!』
少しだけだけど、皇太子はエレオノールを認めてくれた。エレオノールはそのことがすごく嬉しかった。
目を輝かせるエレオノールからジスランは再び視線を逸らす。
――そうだ。これは始まりなのだ。
今からでも遅くはない。
ジスランに好きになってもらえるように努力すればいいのだ。そのことにエレオノールは気づいた。
そう思うと、すごく未来が希望にあふれたもののように思えた。
きっと、これからエレオノールは幸せになれる。彼と一緒に幸せな未来をつかみ取れる。そのために頑張ろう。出来ることは何でもしよう。
エレオノールはそう決めた。
ジスランはエレオノールを思い描いている王子様とは全然違う少年だった。
しかし、あの日、あのとき――あの笑顔を見たとき、確かにエレオノールは彼に恋をしたのだ。
✧
「エリー様は皇太子殿下のどんなところがお好きだったんですか?」
シャルロットの声音はどこまでも柔らかくて優しい。
その声が本当に心地よくて、エレオノールは問われるままに答えてしまう。
「真面目な方だったんです。とても、努力家でした」
周囲には傲岸不遜な態度をとることも多かったが、とにかくジスランは努力家だった。
自身が王座につくには何が必要なのか、何が足りないのか。それを自分で考え、足りないものは努力で補おうとしていた。
ジスランは決してエレオノールを顧みなかった。
でも、エレオノールはずっと彼を見ていた。だから、ジスランがどんな青年なのか知っている。
彼は本当に真面目な人だった。
「……尊敬しておりました。お慕いしておりました。あの方はご自分が王に相応しくあろうと努力されていました。だから、私を見てくださらないのは、私が皇太子妃に相応しくないからだと――ジスラン様が求めているレベルに達していないからだと思っていたんです」
あの日、ジスランはエレオノールに皇太子妃に相応しくなるよう努力しろと言った。言われたとおり、エレオノールは皇太子妃に相応しい教養を身につけるべく、努力をした。
だが、ジスランはあの日以来エレオノールに笑いかけることはなかった。目を合わせることもなかった。
エレオノールは皇太子の期待に応えられていない。――そう思った。
だから、それ以降はそれまで以上に努力をした。
少しでも関係を良くしようと贈り物を送ろうとしたし、様々な誘いをした。
でも、全てうまくいかなかった。
失敗したのだ。
――ジスランの態度はエレオノールが皇太子妃に相応しくないから。あの頃、エレオノールは愚かにもそう信じていた。
「……でも、違ったんです。そうじゃありませんでしたの」
エレオノールは立ち上がる。
「こちらへ」
シャルロットを机まで促す。
古風なデザインの机には幾つか引き出しがついている。
エレオノールはその一番上の引き出しから収納されている日記や小物を全て取り出す。そして、下に引いてある板を外し、その下に隠していた本を取り出した。
亡き母の形見の一つ。大好きだった本はところどころ破れたり、汚れが目立つ。
一生懸命エレオノールは綺麗に戻そうとしたが、完全に綺麗にすることは出来なかった。
表紙に描かれているのは金髪に可愛らしい顔立ちの少女だ。
題名には『レティシアの物語』と書かれている。
「この絵本がエリー様の宝物なんですね」
「……はい」
エレオノールはシャルロットに絵本を手渡す。彼女はそれを受け取ると優しい手つきで頁を捲った。
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