二章:伯爵令嬢は侯爵令嬢の真意を知る③
翌週、エレオノールはシャルロットを自宅――コルネイユ侯爵邸に招いた。
誰かを家に招いたのは初めてのことだ。エレオノールには家に招けるような親しい知り合いが一人もいなかった。
「ようこそいらっしゃいませ」
「お招きありがとうございます、エリー様」
エレオノールは馬車でやって来たシャルロットを出迎える。シャルロットははしゃいだような笑みを浮かべている。
彼女は本当に何も知らない。
本当に侯爵邸に呼んでよかったのかと今でも不安になる。――それでも、シャルロットに宝物を見せたいとエレオノールは思ってしまったのだ。
エレオノールはシャルロットを応接間ではなく、自室に招き入れた。
本来の作法からは外れてしまうが、本をなくすのが怖くて部屋から持ち出せないと言っていたためか、特にシャルロットが不審がる様子はなかった。
やって来た侍女が紅茶とお菓子の準備をする。
侍女は手際よく仕事を終えると「失礼します」と足早に部屋を出ていく。
紅茶を出された際にシャルロットが礼を口にしたのに、侍女は何も反応しなかった。シャルロットは不思議そうに扉を見つめている。
エレオノールは出された紅茶に口をつけ、安堵した。
(よかった。ちゃんとしたお客様用の紅茶だわ)
昨日からエレオノールは侍女に客人から来るからその用意をしてほしいと頼んでいた。
上客に出すとっておきの茶葉を使うことは断られたが、普段客人に出す茶葉を絶対に使うように言った。万が一でも、使用人が普段飲んでいる安価な紅茶を出されたら困るからだ。
しつこいぐらい何度も訴えておいたおかげか、侍女はエレオノールの要望を聞いてくれたらしい。
一緒に出されたケーキも公爵邸で出されたものに比べれば手間のかからないシンプルなパウンドケーキ。
だが、味は問題ない。シャルロットが口にしても問題ないだろう。
会話を始める前にまるで確認のように紅茶とケーキに口をつけるエレオノールにシャルロットは怪訝そうな視線を向けている。
エレオノールは誤魔化すように笑みを浮かべる。
「こうして二人きりでお茶をするなんて初めて会ったヴァロワ公爵夫人のお茶会以来ですわね」
「ええ、そうですね」
二ヶ月前にシャルロットに出会って以来、エレオノールは定期的にシャルロットとお茶とお喋りを楽しんでいる。しかし、エレオノールとシャルロットが会話に花を咲かせているとき、半分置き物になっているとはいえ、その場にはアルベールもいる。
こうして二人きりでのお茶会は最初に会ったとき以来だ。
「たまには二人きりでお茶会をするのもいいですよね。男性がいると出来ないお話もあるじゃないですか。最近も私、他に仲良くして頂いてる方々とお茶会をしたんですよ。やっぱり女の子だけじゃないと盛り上がれない話がありますよねって」
人見知りをするエレオノールと違って、シャルロットは外交的だ。
ヴァロワ公爵夫人のお茶会で出会った他の令嬢とも交流を重ね、そこから友人をどんどん増やしているらしい。
本当に、シャルロットはエレオノールと真逆だと思う。エレオノールも明るいシャルロットが大好きだ。
――なのに、自身と彼女の違いを見つける度に劣等感が疼くのはなぜだろう。
「女の子だけじゃないと盛り上がれない話ってどんなものですか?」
エレオノールはシャルロットのように親しい友人はいない。普通の令嬢がどんな話で盛り上がるのか気になった。
シャルロットは「そうですね」と、少し考えてから口を開く。
「例えば、初恋の話とか」
エレオノールは目を見開いた。シャルロットは楽しそうに笑っている。
――でも、少し彼女からも緊張感を感じるのは気のせいだろうか。
「私の初恋は馬丁のフランシスでした」
彼女の口から好きな男性の話が出るのははじめてだ。
エレオノールは少しだけ身を乗り出す。
「ちっちゃい頃の私って――まあ、いまでもお転婆なんですけど、それ以上にやんちゃだったんです。女の子らしい遊びをするより男の子と混じって遊ぶのが好きなような子供で、使用人とか周りの領民の子供たちとかけっことか騎士ごっことかして遊んでたんです。馬に乗るのも好きで、よく父様と遠乗りにも出かけて……そのうち、自分一人でも馬に乗って駆け回るようになりました。そうなると、馬丁ともよく話すようになったんです。フランシスは馬にとっても詳しくて、面白い話も沢山知ってたんですよ。ひょうきんで茶目っ気があって。でも、私より年上だったので、一緒に遊ぶ男の子達よりずっと大人で。私は馬に乗るのと同じくらいフランシスと話せるのが楽しみだったんです」
「その、告白はされたんですか?」
「しましたよ。そのときは『気持ちは嬉しいけど、応えられない』ってフラれちゃいました。でも、それからも以前と同じように接してくれたので、フランシスが馬丁を引退するまで仲良しくてもらってました」
「引退、ですか?」
何かフランシスにあったのだろうか。エレオノールは不安になる。
「フランシスは六十過ぎのおじいちゃんだったので、腰を痛めて隠居生活に入ったんです。今でも手紙のやり取りはしてますよ。息子さんとお孫さんと仲良く暮らしてるそうです」
エレオノールは瞬いた。
確かにシャルロットはフランシスは年上とは言っていたが――まさか、祖父ぐらいの年齢の男性とは思わなかった。
そこでエレオノールはシャルロットが悪戯めいた表情を浮かべてることに気づいた。エレオノールは思わず吹き出し、釣られたようにシャルロットも笑う。
「素敵な初恋ですね」
「姉様に言ったら呆れられましたけどね。『いくらなんでもそんな年齢の男性に恋するなんておかしい』って。――まあ、でも、フランシスは本当に素敵な人でしたよ。子供だからって私の気持ちを蔑ろにはしないでくれました。ちゃんと一人の人間として向き合ってくれたんです。場合によってはトラウマになってもおかしくないんですけど、今でもあの思い出は私にとって宝物で、ちょっとした話の種ですね」
そう笑って、シャルロットは紅茶を一口飲む。それから、優しい笑みを浮かべて訊ねてきた。
「エリー様の初恋はどうでしたか?」
当然といえば、当然の質問だった。
シャルロットが初恋の話を語ってくれたのだ。エレオノールも同じように話すべきだろう。
だが、すぐにエレオノールは答えられなかった。
初恋の相手が誰か分からないからではない。
――いまだ、エレオノールはあの頃の思いをうまく消化しきれていないからだ。
「私の、初恋は」
エレオノールの初恋。
それが誰かなんて、考えなくても分かる。
婚約を結んで五年。エレオノールはずっと彼を見ていた。ずっと、彼だけを見ていた。
――黒髪。赤い瞳。少し不機嫌そうな横顔。
最後に会ってからもう半年以上経つが、今もあの人の顔が記憶から薄れることはない。
「私が、はじめて、好きになったのは」
きちんと話をしたのは最初に会ったときだけ。それ以来、彼とはろくに話をすることも、視線を交わすこともなかった。あの人は決してエレオノールを顧みなかった。
それでも、エレオノールは確かに初めての婚約者に恋をした。
「――……ジスラン様です」
ポツリと、エレオノールは最初の婚約者であった皇太子の名前を口にした。
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