二章:伯爵令嬢は侯爵令嬢の真意を知る②


「最近はこういうのが流行っているんだね」


 ラルカンジュ公爵邸に着き、アルベールと合流する。到着してすぐに、話題はエレオノールがシャルロットに貸した小説の話になった。


 エレオノールが簡単に二冊のあらましを説明する。

 それを聞いたアルベールは本を手に取ると、パラパラと頁を捲った。彼が手にしたのは王女と王子の恋愛小説の方だ。


「シャーリィ様、またいくつかお持ちしますわね」


「ありがとうございます」


 エレオノールはシャルロットに微笑みかける。


 シャルロットはどちらかというとドキドキハラハラするような物語が好きらしい。それと明るいタイプの相手役が好きということなので、そういったヒーローが出てくるものを貸すのが良さそうだ。どの本を持ってこようか考える。


「エリー様はどれぐらい本をお持ちなんですか?」


「そうですわね。全部で百冊ほどはあるかと」


 きちんと数えたことはないが、おそらくそれぐらいはあるだろう。エレオノールの自室の本棚は恋愛小説でいっぱいだ。昔から勉強の合間に気分転換に読んでいた。


 「百冊」とシャルロットはポカンと口を開ける。


「すごいですね」


 ただし、エレオノールが集めたのはそのうち半分程度だ。

 残りの半分は死んだ母の遺品として受け継いだものだ。母も恋愛小説を好んでいたらしい。

 エレオノールは曖昧な笑みを浮かべる。


「エリー様は持っている本の中で一番どの本がお好きなんですか?」


 シャルロットは純粋に話題としてその質問をしただけだろう。

 しかし、エレオノールはその質問にとっさに応えることが出来なかった。突然沈黙してしまうエレオノールをシャルロットは不思議そうに見つめる。


「――私が」


 エレオノールは視線を彷徨わせる。


「私が一番、好きなのは、絵本なんですの」


「絵本、ですか?」


「『レティシアの物語』という子供向けの本ですわ。小さい頃から、お気に入りの大切な本なんです。宝物なんですのよ」


「ああ、確かに小さい頃に好きだった本って思い入れありますよね。どういうお話なんですか?」


 シャルロットの質問にエレオノールは今度こそ答えられなくなってしまった。

 

 脳裏に浮かぶのは過去の記憶だ。

 思い出したくない。

 思い出してはいけない記憶。

 あの時の感情は思い出したくない。

 なかったことにしたいこと。

 ――あの本について語ることがエレオノールにはどうしても出来なかった。


 シャルロットはきっと、エレオノールを変に思っただろう。今彼女としているのはただの雑談だ。なのに、突然黙り込んでしまうなんておかしい。


 しかし、シャルロットはその事を指摘しなかった。


「エリー様がそんなに気に入ってらっしゃるなら、きっと素敵なお話なんでしょうね」


 エレオノールはハッと、シャルロットを見つめる。彼女は笑顔を浮かべていて、何事もなかったかのように話を少し変えた。


「私も宝物あるんですよ。いろいろあるんですけど、王都に持ってきているものだと、以前お話しした村の子供たちからお別れのときに貰った手紙ですね。本当に小っちゃい、まだ自分の名前しか書けなかった子も頑張って書いてくれたんです。最初読んだときは思わず泣いちゃいました」


 シャルロットは子供たちに貰った手紙について語る。手振り身振りも交えての熱心なものだ。

 それが本当に楽しそうで、嬉しそうで――思わず、エレオノールは口を開いていた。


「今度、御覧になりますか?」

「へ?」


 村一番の問題児だった男の子が綺麗な字と文章で感謝の手紙を書いてくれたことを説明してくれていたシャルロットは、突然の言葉に手を動かすのを止めた。不思議そうな表情をしている。

 エレオノールは少し恥ずかしくなったが、言葉を続ける。


「先ほどお話しした絵本です。なくすのが怖くて、部屋から持ち出せないんですけれど、……シャーリィ様さえよければ我が家にいらっしゃいますか?」


「いいんですか?」


 エレオノールは頷く。

 

「本当に大したおもてなしが出来ませんが、それでもよろしければ」


 おそらく、シャルロットはエレオノールの言葉を謙遜と捉えただろう。だが、本当にシャルロットをコルネイユ侯爵邸に招いてもエレオノールを大したもてなしが出来ない。ラルカンジュ公爵邸のように美味しい最高級品の紅茶も料理長が作る絶品ケーキも用意できないだろう。


「喜んで! 私も宝物の手紙を持っていきますね」


 何も知らないシャルロットは純粋に喜んでいる。

 ふと、隣を見るとアルベールがこちらを驚いたように見ていた。


 コルネイユ侯爵家の事情はアルベールも知っている。まさか、エレオノールが誰かを家に招こうとするとは思わなかったのだろう。


 エレオノールは彼から視線を逸らした。一方のシャルロットは笑顔だ。


「エリー様のおうちにお邪魔出来るなんて楽しみです」


「妬けるね」


 そう、口を開いたのはアルベールだ。

 彼は本を閉じると、エレオノールに微笑みかけた。


「エリー。私は屋敷に招いてくれないのかな。私もエリーの宝物を見てみたい」


「駄目です」


 間髪入れず反射的に答えてから、ハッと気づく。


 アルベールもシャルロットも驚いたような表情をしている。

 思わず、早口で即答してしまった。らしくないと思われただろう。

 慌ててエレオノールは取り繕う。


「アルベール様にご足労いただくわけにはいきませんわ。それに本当にお構い出来ませんもの。ご不快な思いをさせてしまうだけですわ」


 前半はアルベールの来訪を断る理由の一つであるが、後半は完全に嘘だ。

 ラルカンジュ公爵家嫡男が来訪するとなれば、それ相応のもてなしは期待できるだろう。――いくらエレオノールに無関心の父でも、使用人たちがラルカンジュ公爵家嫡男への無礼を働くことを許容するとは思えない。


 エレオノールは誤魔化すように微笑む。


「他にも大好きな本はたくさんありますのよ。今手に取ってらっしゃった本も最近のお気に入りなんです。よろしければ置いていきますので、お時間がある際に御覧になってみてください」


 エレオノールの言葉にどこかアルベールは不服そうな表情を浮かべる。


 彼はエレオノールが嘘をついていることも、誤魔化そうとしていることも気づいているのかもしれない。ただ、彼はとても優しいから、このまま誤魔化されてほしいと思う。


 少しの間、アルベールは何も言わなかった。そして、何か諦めたように溜息をつくと、首を横に振った。


「いや、いいよ。もう全部読んだ」


 エレオノールは数度瞬きをした。


 確かにアルベールは先ほどから会話に加わらず、本を見ていた。

 しかし、彼が本を手にしてからまだ十分も経っていない。比較的薄い本とはいえ、読むのに一時間はかかる分量だ。流し読みにしても早すぎる。


 アルベールは椅子から立ち上がると、エレオノールの足元に跪いた。


「『我が愛しのエリーよ』」


 向かいに座るシャルロットはアルベールが置いた本を手に取ると、顔を隠した。


 時折、三人でいるときもアルベールはエレオノールに愛の言葉を囁く。そういったとき、シャルロットは見て見ぬふりをするのが常だった。


「『あの月夜の晩。貴方にはじめて出会った夜から僕の心は貴方のものです。どんな美しい花でも、どんな美しい星でも、貴方の存在以上に僕の心を惹きつけるものはありません。僕にとって貴方が全てです』」


 そこまで聞いて、エレオノールも気づく。


 物語のクライマックス。王子は王女にプロポーズをする。最初に呼んだ名前こそエレオノールのものだが、――アルベールはシーンの王子の台詞を諳んじている。


「『我が女神よ。どうか僕に慈悲を。僕のものとなっていただけませんか』」


 そう言って、アルベールはエレオノールの手の甲に口付けを落とした。


 頭が真っ白になる。どう答えればいいのか、とっさに分からない。シャルロットは先ほどと変わらず顔を隠したままだ。


 長い沈黙の末、――エレオノールは作り笑みを浮かべた。


「さすがアルベール様。あんな短時間で台詞まで暗記されるなんてすごいですわね。驚いてしまいました」


「エリーはああいう甘い台詞を言う男が好き?」


「そうですね。物語上であっても、ああいう愛の言葉には胸が高鳴りますわ」


「それならいくらでも私が言うよ」


 アルベールの言葉にエレオノールは悲しくなる。

 エレオノールが聞きたいのはそういうことじゃない。表面的な言葉を求めているわけではないのだ。本心からの言葉でなければ意味がない。

 そのことをきっと、アルベールは理解していない。でも、エレオノールを慮っての言葉は嬉しい。

 ――そして、それと同じくらい悲しさも募る。


「アルベール様は本当にお優しいですわね」


 だから、エレオノールはいつもと同じ言葉を口にする。


 本当にエレオノールの新しい婚約者は優しい。エレオノールが望む、素晴らしい婚約者でい続けようとしてくれる。

 

 

 だからこそ、こんな不毛なことは少しでも早く終わらせないといけないのだ。

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