一章:公爵子息と伯爵令嬢は運命的な出会いを果たす……?⑤


(これできっと上手くいきますわ)


 一方のエレオノールは上機嫌だった。


 シャルロットとアルベールの初回の顔合わせは予想に反して上手くいかなかった。

 とてもお似合いだと思うのに、シャルロットもアルベールもお互いに好意を抱くまでにはいかなかった。


(でも、それもきっと、まだお互いのことをよく分かってないからですわ。二人きりで過ごせば仲も深まるはずです)

 

 そんなすぐに親しくなるだろうと考えたのがそもそも浅はかだったのだ。愛情を深めるには時間が必要だ。――そう考えたエレオノールは二人を再度会わせる作戦を考えた。

 アルベールもシャルロットもお互い乗り気ではない。騙す形になってしまったのは申し訳ないが、きっと今度こそ上手くいくとエレオノールは信じていた。


(まずは少しずつでもお互いを知っていくことが大事ですわ。焦らず、ゆっくりと物事を進めていきましょう)


 エレオノールが今いるのは歌劇場の一階席だ。二人の様子を覗うためにエレオノールも会場までやって来た。


 アルベールたちがいるのは二階の正面にあるボックス席だ。エレオノールの席からは後ろを振り返り、上を見上げないと二人のいる場所は見えない。他のボックス席に一人でいるより、大勢に紛れたほうが気づかれないだろうと思い、エレオノールはこの席のチケットを用意した。


 ボックス席には既に二人の人影が見える。もうすぐ公演が開始になる時間だが、二人が席を立つ様子はない。


 オペラが始まる前に二人が帰ってしまうのではないか、というのがエレオノールの危惧するところだったが問題ないようだ。


(良かったですわ)


 安堵し、エレオノールは正面を向いた。


 歌劇場に来た目的は二人の様子を確認するためではあるが、――今回のオペラ自体エレオノールはとても興味を持っていた。


 今回上演されるのは新作のオペラだ。

 作曲をしたのはエレオノールも好きな作曲家だ。主役の女性歌手プリマドンナも国一番と言われるオペラ歌手。評判もとても良いと聞く。


 そのため、公演が開始されると、ここに来た目的の一つ目を忘れ、エレオノールは舞台を見るのに夢中になってしまった。

 二時間の公演が終わった時、エレオノールの胸は高揚感と満足感でいっぱいだった。


 周囲の観客が順番に座席を離れていくなか、エレオノールは余韻に浸る。


(本当に素敵なオペラでしたわ。これはぜひ、思いの丈を手紙ファンレターにしたためて送りましょう)


 音楽もさることながら、やはり歌手の歌声が素晴らしかった。


 帰ってからの予定を決め、そろそろ帰ろうかと思っていると――影が落ちた。


「エリー」


 聞き覚えのある声。そして、特徴的な呼び方だ。


 不思議に思いながらも、顔をあげると――そこにはボックス席にいるはずのアルベールがいた。


「やっぱりいた」


 エレオノールは数度瞬きをする。


 すぐに彼が何故ここにいるのか理解出来ない。


 いや、アルベールが同じ歌劇場にいるのは百も承知だ。だが、何でエレオノールの存在に気づいたのだろう。


(どうしてここにアルベール様が)


 驚きのあまり固まるエレオノールに、アルベールは笑いかけた。


「エリーは今回のオペラ楽しみにしてただろう? 私達のことも気になるだろうし、絶対に会場にいると思ったんだ。見つけられて良かった」


 まるで心を読んだかのようだ。

 そして、彼は笑っているのに、雰囲気はとても怖く思える。圧を感じるのは気のせいだろうか。


「話があるんだ。来てくれるよね?」


 ――とてもではないが、首を横に振れそうにはなかった。


 エレオノールはアルベールに手を引かれ、ボックス席がある二階へ向かう。

 そこに不安げな表情を浮かべていたシャルロットが待っていた。彼女はエレオノールの姿に気づくと、安堵したように息を吐く。


「とりあえず場所を変えようか。公爵邸うちに来てほしい」


 シャルロットもアルベールの提案を拒否しなかった。

 三人はアルベールの馬車に乗って、ラルカンジュ公爵邸へ向かった。



「とっても素敵なオペラでした。私、オペラ見るのはじめてですけど、すごく面白かったです。特にあの歌姫の人、とっても歌が上手で――」


 馬車の中で、シャルロットはとても楽しそうにオペラの感想を話してくれた。


「有名な方なんですよね? お名前はえっと」


「ミス・ジョアンナ・ヴィドンヌですわね」


「そう! びっくりしました。あんなに高い音程の曲を綺麗に歌えるなんて尊敬しちゃいます」


 シャルロットがオペラを気に入ってくれたようでエレオノールも嬉しい。


 しかし、なぜか、シャルロットはアルベールにはまったく目をくれず、ひたすらエレオノールに話しかけている。

 エレオノールの隣に座るアルベールはアルベールで、馬車に乗ってから一度も口を開かない。眠ってはいないのだろうが、目をつぶったまま動かないのだ。

 しかし、ずっと右手はエレオノールの左手を握ったままだ。試しに手を離そうとしたが、向こうは手を離す気がないようでまったく動かせない。


(これはどういうことでしょうか)


 エレオノールの思惑どおりに全然事が進んでくれない。

 こんなはずではなかったのに。


 困惑した気持ちを抱えながら、エレオノールは馬車が公爵邸に着くのを待つことになった。



 ✧



 ラルカンジュ公爵邸に着くと、前回と同じく応接間を使うことになった。


 テーブルには三人分のお茶とケーキが並ぶ。

 シャルロットは「いただきます」と紅茶に手を伸ばしていた。


「エリー。この間、私が言ったことは覚えているかな?」


 アルベールは淡々とした口調で訊ねてくる。

 普段柔らかい話し方をするアルベールには珍しい。


「この間というのは、どちらのお話でしょうか?」


「私は君以外と結婚するつもりはない。もう令嬢を紹介するのはやめてほしい。次は二人きりで会いたい。全部だよ」


「ええ、覚えていますわ」

 

 そう言われたことはエレオノールも覚えている。

 頷いてから、言葉を続ける。


「ですが、アルベール様はシャルロット様のことをまだほとんどご存じないでしょう? お互いのことをよく知れば、お考えも変わると思いますの」


「変わらないよ。私にとってエリー以上の存在はいない」


 ――その言葉にエレオノールは少しだけ悲しくなった。


 目を伏せ、膝の上の自分の手を見つめる。


「私と結婚しても、アルベール様は幸せになれませんわ」


 それから笑みを作ってみせた。


「きっと、シャルロット様と私が出会ったのも運命なんですのよ。シャルロット様となら、アルベール様も幸せになれると思いますの」


「違う。私の幸せはエリーとじゃなきゃ得られない。君のこともきっと幸せにしてみせる」


 アルベールの言葉が妙に遠く聞こえる。


 こうやって彼は何度も愛の言葉を囁いてくれる。


 ――だけど、彼の言葉はまやかしだ。優しさから告げられているもので、彼の本心じゃない。


 エレオノールは両手をギュッと握りしめる。


(どうしたらアルベール様は分かってくださるんでしょう)


 エレオノールとアルベールが結婚しても幸せにはなれない。

 いや、幸せになれる可能性はゼロではないが、それ以上に不幸せな結果を招く危険な行為だと思っている。

 二人は結婚するべきじゃない。


 それをどう伝えればいいのかが、エレオノールには分からない。


「あの」


 その時、口を開いたのはシャルロットだった。

 エレオノールはゆっくりと視線を彼女に向ける。アルベールもシャルロットを見た。


「少し確認をさせてもらってもいいですか?」


 先ほどから困ったような表情を浮かべていたシャルロットがこの時ばかりは真っすぐにこちらを見ていた。先ほどまで浮かんでいた困惑の色は全くない。――ヴァロワ侯爵夫人のお茶会で、エレオノールの言葉を否定したときと同じ表情をしていた。


 彼女は一呼吸置いてから、エレオノールを見た。


「エレオノール様はなんで私とアルベール様を結婚させたいとお考えなんですか?」


 シャルロットの質問は以前説明した内容だ。

 そのことを訊ねられたことに不思議に思うものの、エレオノールは素直に答えた。


「私と結婚しても、アルベール様は幸せになれませんわ。私、アルベール様に幸せになっていただきたいんです。シャルロット様はアルベール様の好みのタイプそのものですもの。お二人ならきっと素晴らしい関係を築けると思いますの」


 エレオノールの言葉にアルベールが何か言おうとする。

 しかし、その前にシャルロットが別の質問を口にした。


「今のところ、私もアルベール様もお互いにそういうつもりは一切ありません。それについてはどうお考えですか?」


「それはお互いのことをよくご存じないからですわ。お互いの良い所を知っていけば、お気持ちも変化すると思いますわ」


「分かりました」


 シャルロットは頷くと、今度はアルベールを見る。


「アルベール様のご意見はいかがですか?」


「私はエリーを愛している。だから、エリー以外と結婚するつもりはないよ。私の幸せはエリーと結婚することだ」


 アルベールも同じ主張を繰り返す。

 シャルロットはティーカップに視線を落とし、「平行線ですね」とポツリと呟いた。それから視線をあげる。


「なんとなく分かりました。お二人の問題はお二人だけで話し合っても、ずっと平行線のままです。エレオノール様も、アルベール様もお互いに主張を変えるつもりはないんでしょう?」


 その言葉にアルベールは頷く。


 エレオノールも考えを変えるつもりはない。


「エレオノール様は私がアルベール様と親しくなれば、気持ちが変わるとお考えなんですよね」


「はい」


「分かりました」


 シャルロットはエレオノールに明るい笑みを見せた。


「――エレオノール様。私、これからもアルベール様とお会いしてもいいですよ」


 その言葉にエレオノールは顔を輝かせた。一方、アルベールは表情を険しくする。


「まあ、本当ですかっ」


 あれほど乗り気ではなかったシャルロットが考えを変えてくれたのだ。嬉しさのあまり頬が緩む。


「ただ、一つだけお願いがあります。アルベール様とお会いする際は必ず、エレオノール様もご一緒にです。三人でお会いしましょう。今回みたいにだまし討ちみたいな形で二人きりにするのはやめてほしいんです。どうですか?」


 エレオノールとしては出来ればシャルロットとアルベールには二人で会って、仲を深めてほしい。

 しかし、シャルロット側が考えを変えてくれたのだ。こちらも譲歩するべきだろう。それに、もしかしたら、エレオノールがいた方が二人の仲を取り持てるかもしれない。


 エレオノールは考えを改めた。


「ええ、分かりましたわ」


 一方のアルベールは探るような視線をシャルロットに向けている。

 シャルロットは困ったように笑う。


「そういうわけなので、すっごいお邪魔虫ってことは重々承知してますが、これからもエレオノール様と三人で会っていただけませんか?」


 アルベールはしばらく返事をしなかった。

 少ししてようやく口を開く。


「分かった。こちらも妥協しよう」


 シャルロットはホッと息をもらす。


「君の言うように、三人で会うなら私は構わないよ。それとは別にエレオノールと二人の時間は欲しいけれどね」


「ではこうしましょう。二人がお会いするうちの半分、私がご一緒します。残りの半分は今まで通り、お二人で過ごしてください。それなら、アルベール様のご希望も叶えられます。どうですか?」


 エレオノールとしては、アルベールと二人だけの時間は特に必要ではないのかと思う。

 なかなか答えられずにいるエレオノールにシャルロットが言葉を重ねる。


「アルベール様はエレオノール様に対して譲歩してくださいました。エレオノール様もアルベール様に対して譲歩して差し上げてもよろしいのではないでしょうか」


 彼女の言うことには一理ある。


 エレオノールは迷ったものの、「分かりました」と頷いた。

 シャルロットは笑う。


「決まりですね」

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