一章:公爵子息と伯爵令嬢は運命的な出会いを果たす……?④


「それで話というのが」


「分かっておりますわ。婚約解消についてですわよね!」


「違う」


 その反応は想定の範囲内だったが、あまりにも嬉々とした様子のため、思わず口調がきつくなる。


 否定されたエレオノールは理解が追いついていないようで、きょとんとした表情をしている。アルベールは一度咳払いをすると、彼女の手を握った。


「私は君以外と結婚する気はないよ。だからもう私の新しい婚約者候補だと言って、誰かを連れてくるのはやめてくれないか」


 最初、エレオノールがその発言をした時、アルベールは彼女はは誰も連れてこれないだろうと思った。


 社交界のことはアルベールの方が詳しい。周囲がエレオノールをどう思っているのかは彼女自身より理解している。

 エレオノールは社交界に顔を出すことはめったにない。友人どころか、知り合いもほとんどいない。

 例外はヴァロワ侯爵夫人ぐらいだろう。


 彼女はエレオノールの亡き生母の友人だ。

 友人の死後、遺されたエレオノールのことをヴァロワ侯爵夫人はとても気にかけていた。手紙を送ったり、定期的に自身主催のお茶会にエレオノールを招いている。


 しかし、彼女のような人は珍しい。多くのご婦人や令嬢はエレオノールと関わり合うことを避ける。

 その理由はエレオノールが皇太子に冷遇されていた以外に二つほどあるが――とにかく、アルベールは今回のお茶会もヴァロワ公爵夫人以外とはろくに話すことも出来ず終わると思っていた。


 ところが実際には領地から出て来たばかりの事情を知らないシャルロットがエレオノールに話しかけてきた。

 結果、エレオノールはシャルロットを気に入り、アルベールに紹介することになったのだ。


 幸運だったのはシャルロットが常識的な人物であったことだ。

 ラルカンジュ公爵夫人の座に魅力を感じる人間は一定数いる。

 地位や財目当てで、エレオノールの誘いを受ける人間が現れてもおかしくない。ある程度はエレオノールの自由にさせてやりたいが、こんなことを繰り返されると騒動を呼びかねない。何より、好きでも何でもない令嬢の相手をするのは面倒でしかたない。


 思い込みの強いところがあるエレオノールは一度信じると、視野が狭くなる。アルベールの言葉も聞き入れてくれない可能性もある。

 そのことを危惧していたが、エレオノールはあっさりと頷いてくれた。


「ええ、もちろんです」


 少し拍子抜けしていると、エレオノールが言葉を続ける。


「アルベール様と結婚出来るのは一人だけですもの。シャルロット様以外にお連れしても、困ってしまいますものね。……愛人に据えるという手段はありますけど、そういうのはあまりよろしくありませんものね」


 この国で一夫多妻が認められているのは王族だけだ。

 公爵家でさえ、複数の妻を娶ることは認められていない。その代わり、愛人を囲う者も少なからずいる。愛人に私生児を産ませたなんて話もそれほど珍しくない。


 しかし、エレオノールは愛人という存在にあまり好意的ではない。

 ――正妻以外に愛人を作ることで、不幸な人間が生まれてしまうことを彼女が一番よく知っている。


 アルベールは肩を落とした。


 頼みを聞き入れてはくれたが、やはり真意は理解してもらえていない。

 紹介する令嬢が一人でいい、という問題ではないのだ。誰が相手でも、アルベールはエレオノール以外と結婚するつもりはない。


「私は愛人を作るつもりはないよ。エリー以外と結婚するつもりもない」


 だから、思っていることをそのまま伝える。

 エレオノールは困ったように微笑んだ。


「シャルロット様のことはお気に召しませんでしたか?」


「エリーが期待している意味では全くね。エリーは彼女のことが随分と気に入ったみたいだね」


 すると、途端にエレオノールは目を輝かせる。


「ええ、もちろんです。とっても素敵な方だと思いませんか?」


「……本当に気に入ったみたいだね」


 ここまであからさまにシャルロットへの好意を表されると、女性が相手とはいえ嫉妬心が芽生えてくる。ただ、そのことを口にしても、エレオノールは理解してくれないだろう。


 彼女の表情はまるで恋するような乙女のものだ。


「シャルロット様は本当にレティシアみたいですわ」


「レティシア?」


 エレオノールが口にしたのは聞き覚えがない女性名だった。


 アルベールが記憶する限り、エレオノールの近辺にレティシアという女性はいない。社交界であれば七十歳過ぎの伯爵家の夫人が同じ名前だったはずだが、エレオノールとの接点がまるで思い浮かばない。


「私の好きな本の主人公です」


 彼女が読書好きなことはアルベールも知っている。

 アルベールも本はよく読むが、学問や政治関係の書籍が多い。エレオノールは若い令嬢向けの恋愛小説を好んで読むので、そういった本の主人公のことだろうか。


 エレオノールが立ち上がった。アルベールの手が彼女の手から離れる。


「明るくて優しくて可愛らしくて、皆から愛される女の子なんです。――アルベール様も、そういう女性がお好みでしょう?」


 エレオノールはアルベールの好みが『明るくて優しい可愛らしい令嬢』と信じている。

 なぜそんな風に思うようになったのか――正直、心当たりがないわけではない。ただ、そのことを直接問いただす勇気がアルベールにはない。


 あの女・・・の存在はエレオノールのきずだ。

 話題に出すことさえはばかられる。下手をすれば、アルベールは一生エレオノールの心を手に入れることが出来なくなるかもしれない。


「私の好みはエリーだよ」


 だから、アルベールは同じ言葉を告げ続ける。


「ずっと昔から君のことだけを愛してる」


 アルベールの声は届いても、言葉の意味は届かない。愛の言葉を彼女は受け入れてくれない。例え、そのことが分かっていても、アルベールには愚直に愛を囁くことしかできない。


 エレオノールは困ったように笑う。


「本当にアルベール様はお優しいんですのね」


 案の定、エレオノールはアルベールの言葉を信じなかった。

 アルベールはポツリと呟く。


「――ここまで来ると呪いだな」


 彼女は不思議そうな表情を浮かべる。


「アルベール様? どうなさいましたの?」


「いいや、何でもないよ」


 アルベールはエレオノールを安心させるために笑みを浮かべる。


「エリー。次会う時は二人きりがいいな。ゆっくり、二人きりで過ごそう」


 いくら焦ってもすぐに結果は出ないだろう。一緒に過ごす時間を重ねていけば、いつかエレオノールの心にも変化が現れるかもしれない。


 アルベールの言葉に、エレオノールは「はい、分かりました」と微笑んでくれた。

 


 ✧



 その数日後のことだ。

 アルベールはエレオノールとオペラを見に行くことになった。


 「二人きりで会いたい」というアルベールの希望を反映された結果、用意されたのは二人用のボックス席のチケットだ。

 会場で会おうというエレオノールの希望で、その日アルベールはコルネイユ侯爵邸へ迎えに行かず、直接歌劇場へ向かった。時間より少し早めに会場へ着くと、既に席には彼女・・の姿があった。


 アルベールは声をかけようとして――目が合った振り返った相手と、数秒お互いに固まってしまった。


「『はい、分かりました』って、本当は分かってないじゃないか……っ!」


「本当にごめんなさいごめんなさいごめんなさい! こんなことになるとは思ってなかったんです!」


 席にいたのはエレオノール――ではなく、シャルロットだった。

 エレオノールは自分と二人きりではなく、シャルロットと二人きりの状況を作り出してしまった。本当にエレオノールの「分かりました」が信用できないことがよく分かった。


 話を聞くと、どうやらシャルロットはエレオノールと二人でオペラを見るつもりでやって来たらしい。

 楽しみに来たらしいシャルロットは顔を真っ青にしており、多少不憫だ。――ただ、それ以上にアルベールもひどい仕打ちをされていると思っている。


「わ、私たち、どうしましょう」


 シャルロットは心底困っている様子だった。


 会場は薄暗い。ボックス席は仕切られていて、周囲からは姿が見えにくくなっている。


 アルベールは諦めて、席に座った。


「とりあえず、このままオペラを見よう」


 シャルロットは「え?」と驚いた様子だ。


「いいんですか?」


「エリーの行動は大体想像がつく。どちらかというと、今は周囲から目立つような真似をすることを避けたい。私が隣にいては集中出来ないかもしれないが、君はオペラを楽しんでいるといい」


 そう言って、アルベールは目を閉じる。

 しばらくシャルロットは困ったように右往左往していたが、最終的に諦めて座席に座った。


 定刻になると幕があがり、衣装を身にまとった歌手が舞台で歌声を披露し始めた。

 最初はアルベールの方を気にしていたシャルロットもあっという間にオペラに夢中になった。こちらを気にする様子はなくなる。


 アルベールはシャルロットの注意がこちらに向かなくなったのを確認すると、舞台ではなく、他の席に視線を向ける。


 薄暗く、他の席に座っているのがシルエットから男女のどちらなのかぐらいは分かるが、それ以上のことは分からない。


 それでも、注意深く座席の一つ一つを観察し、アルベールは目的の人物を探し続けた。

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