一章:公爵子息と伯爵令嬢は運命的な出会いを果たす……?③
『
彼女がそう言い始めたのはいつのことだっただろう。
最初、アルベールとの縁談が持ちあがったと聞いて、エレオノールはひどく困惑した様子だった。
『本当によろしいんですの?
エレオノールは昔からひどく自己評価の低い少女だった。
昔から勤勉で真面目なエレオノールはどの令嬢より博識であった。
作法も完璧だし、内気で自分から他人に話しかけるのは苦手だが、周囲への気遣いも出来る少女だ。
しかし、本人はその事の自覚がない。
自身を卑下してしまう理由にいくつか心当たりがある。その一つが、皇太子とのことだろう。
エレオノールを皇太子の婚約者に選んだのは皇太子の父、つまりは国王だ。
皇太子の十三歳の誕生日に、主だった公爵及び侯爵令嬢が集められた。
国王を令嬢たちに幾つかの試験を受けさせ、その中で優れた成績を残した者を皇太子妃にしようと決めていた。
多岐に渡る試験の全てで一番の成績を残したのが当時十二歳だったエレオノールだ。国王は優秀なエレオノールを認め、皇太子の婚約者に据えた。
しかし、皇太子は自身の婚約者を顧みようとしなかった。皇太子はエレオノールとろくに会話をしようともしなかった。贈り物は全て送り返し、誘いは全て断った。
『
そう言って、エレオノールはめげずに何度も何度も皇太子の気を引こうと頑張った。しかし、結局、皇太子にエレオノールの想いが通じることはなかった。
皇太子はエレオノールの妹を妃に迎え、元々の婚約を解消されることになった。
『混乱するのも無理はない。突然、私から婚約の申し出があったと聞いて驚いただろう?』
エレオノールは頷く。
『こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないが、私はずっとエリーのことが好きだったんだ。皇太子殿下の婚約者である君にそんなことを告げるわけにはいかないからずっと、黙っていたけどね。だから、今回、君と皇太子殿下の婚約が破談になって、私は内心喜んだよ。軽蔑する?』
そう訊ねると、彼女は『いいえ』と慌てた様子で首を横に振る。
『私は決して君を傷つけたりしない。必ず、君を幸せにする。エリーがずっと皇太子殿下を好きだったことは知ってるから、今すぐ私に心変わりしてほしいとは言わない。でも、少しずつでも私のことを愛してくれるようになってくれたら嬉しい』
エレオノールは一途だった。
政略結婚とはいえ、婚約者となった皇太子にずっと想いを寄せ続けた。その姿をずっとアルベールは近くで見てきた。
そんな彼女に突然アルベールを男として好きになってほしいというのは我儘だろう。
アルベールはこの日を何年も待った。今更、一年や二年、エレオノールの気持ちが変わるのを待てないわけはない。
『分かりましたわ』
彼女は戸惑いながらも、アルベールの想いを受け止めてくれた。
少し恥ずかしそうにはにかむ。
『どうぞよろしくお願いしますわね、アルベール様』
『ああ、こちらこそ』
そうやって、アルベールとエレオノールは正式に婚約を結んだ。
最初の頃はエレオノールは素直にアルベールの言葉を聞いてくれた。
――それが突然のことだった。
婚約を結んだ一ヶ月経った頃。
突然エレオノールはアルベールの言葉を信じなくなったのだ。
『アルベール様はお優しいですから。私と婚約をしてくださったのも私を慮ってのことでしょう? 分かっていますわ』
そんな風にアルベールがエレオノールに婚約を申し入れたのはただの優しさと解釈するようになってしまった。
いくら、アルベールが愛の言葉を伝えても、全く聞き入れなくなってしまった。
エレオノールがアルベールをどういう風に思っているかは知らないが、アルベール自身は好きでもない女性と優しさだけで結婚する気はまったくない。
今まで婚約者を作らなかったのもそれが理由だ。エレオノール以外の女性と結婚する気がなかったため、縁談を全て断ってきた。
それがようやく、愛する相手と結婚出来ることになった。アルベールは人生でこれ以上ない幸福な時間を過ごしていた。
――まさか、こんな形で苦しめられる羽目になるとは思ってもいなかった。
「……なんというか、アルベール様も大変なんですね」
そんな感想をもらしたのはエレオノールが連れてきたシャルロットという令嬢だ。
エレオノールという婚約者がいるにも関わらず、アルベールに会いに来る令嬢なんてろくな相手じゃないと思っていた。
しかし、予想に反してシャルロットはとても真っ当な少女だった。エレオノールに強引に連れてこられた、ただの被害者なのは間違いなかった。
今、この場にいるのはアルベールとシャルロットだけだ。
先ほど、エレオノールは「馬車に忘れ物をしました」とわざとらしく部屋を出ていった。アルベール達を二人きりにさせたいという魂胆が見え見えだ。
アルベールとしても、エレオノールのいない場できちんと事情説明をしたかったので彼女が出ていくのを止めはしなかった。
シャルロットはティーカップのふちを指でなぞりながら、「でも、良かったです」と呟いた。
「何がかな?」
「アルベール様が本当にエレオノール様のことを愛していらっしゃるのが分かってです。どうか、お幸せになってください」
シャルロットはそう言って笑った。
それから、「あ」と気づいたように声をあげた。
「私なんかが余計な一言でしたね」
「いや、ありがとう。私もエリーを幸せにするつもりだし、彼女が隣にいてくれれば私も幸せだよ。――問題は」
エレオノールが大人しくアルベールと結婚してくれるかだ。
婚約を結んだ際、アルベールはエレオノールの気持ちを慮って特に婚姻時期を決めなかった。「エリーの気持ちの整理がついたら」と伝えたことを今では後悔している。無理やりにでも結婚時期を決めておくべきだった。
アルベールは口には出さなかったが、シャルロットも察したようだ。同情的な視線を送られた。
「さて、そろそろエリーを呼んでこようか」
話はひと段落ついた。
エレオノールが部屋を出てから結構な時間が経つが、まだ戻ってくる様子はない。こちらから迎えに行かないといけないだろう。
アルベールはソファから立ち上がる。
「そうですね。それと、私はそろそろ失礼しますね」
そう言って、シャルロットも立つ。
「ここに来た目的も――まったく余計なことだったみたいですが――果たせました。お二人の貴重なお時間をこれ以上お邪魔するわけにもいきませんから」
「なら、こちらで馬車を手配しよう。コルネイユ侯爵邸の馬車に一緒に乗って来たんだろう? ウチの馬車で送るよ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいます」
アルベールは執事に馬車の準備を頼み、シャルロットと二人エレオノールを捜しに行く。
本当に馬車まで戻ったのだろうか、と廊下を進んでいると、玄関でエレオノールの姿を見つけた。
植物が好きなエレオノールは玄関前の花壇の花を眺めていた。
「エリー」
声をかけると、エレオノールが顔をあげる。
アルベールとシャルロットが一緒にいるのを見て、エレオノールは嬉しそうな表情を浮かべる。
「どうでしたか、アルベール様。シャルロット様とはお話出来ましたか?」
「オクレール伯爵令嬢はもうお帰りになるそうだ」
アルベールはエレオノールの質問に答えず、そう告げる。
「そうなんですか?」
エレオノールはシャルロットを見る。
「すみません。お先に失礼しますね」
「シャルロット様。アルベール様は素敵な方でしたでしょう?」
きっと彼女はアルベールとシャルロットが二人きりで話す中で距離が縮まることを期待しているのだろう。
シャルロットは「そうですね」と笑う。
「エレオノール様とよくお似合いの素敵な方だと思います。お幸せになってくださいね、エレオノール様」
エレオノールは困惑したような表情を浮かべる。
きっと、思い通りにいかなかったことに戸惑っているのだろう。
肩を落とし、こちらを向く。
「では、アルベール様。
「いや、エリーは残ってくれ」
アルベールの言葉に、彼女は瞬きをする。
「ですが、それだとシャルロット様が帰れませんわ」
「彼女は公爵家の馬車を使ってもらう。エリーには大事な話があるんだ」
そう告げると、エレオノールは何か考えだした。
それから、何か気づいたように顔を明るくする。
「分かりましたわ」
彼女は上機嫌に笑みを浮かべているが、――これは絶対に何も分かっていない。
玄関にラルカンジュ公爵邸の馬車が現れる。
そのまま、アルベールとエレオノールはシャルロットを見送ることになった。
「あの、シャルロット様」
馬車に乗り込んだシャルロットにエレオノールが遠慮がちに声をかけた。
「これから先のご予定はいかがですか? お忙しいのでしょうか?」
シャルロットは一瞬驚いた表情をしてから、笑う。
「そうでもありませんよ。夜会への出席で予定が埋まってる日もありますが、比較的日中は暇してます」
「では、また会っていただけますか?」
会う対象が誰なのか迷ったのだろう。一瞬、シャルロットはアルベールに視線を向ける。
「ええ。私もエレオノール様とまたゆっくりお話したいです。またご連絡しますね」
アルベールと会うことは言外に否定した形だ。
彼女の真意がエレオノールに伝わったか分からない。
それでも、エレオノールは嬉しそうに微笑んでいるので、アルベールも何も言わなかった。
シャルロットを乗せた馬車は彼女が滞在するエライユ伯爵邸に向かって出発する。馬車が門をくぐるのを見送ると、アルベールはエレオノールに向き直った。
「エリー。ちょっと、話をしようか」
「はい」
エレオノールは嬉しそうに返事をする。
アルベールはエレオノールを連れ、応接間に戻る。彼女をソファに座らせて、アルベールは口を開いた。
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