一章:公爵子息と伯爵令嬢は運命的な出会いを果たす……?①


『お隣、よろしいですか?』


 顔をあげたエレオノールの瞳に映ったのは一人の少女だった。

 栗色の長い、癖のない髪。大きな輝くような翠色の瞳。


 はじめて見る令嬢だった。


『はじめまして。オクレール伯爵家のシャルロットと申します』


 オクレールと云えば南方の豊かな平原地方を領地に持つ伯爵家だ。

 伯爵は家族と共に領地で生活し、王都に出てくることはほとんどない。シャルロットというのはオクレール伯爵の二番目のご令嬢の名前だったはずだとエレオノールは思い出す。


『一緒にお話しませんか?』


 彼女は一人きりのエレオノールに笑いかけた。


 シャルロットが発する声はとても明るく、聞き心地が良い。表情もとても生き生きとしていて、――エレオノールには彼女がとても輝いて見えたのだ。



 ✧



わたくし、運命を感じましたの」


「運命、ですか」


 エレオノールは恍惚と虚空を見つめる。

 一方、馬車の向かいに座るシャルロットは引きつった笑みを浮かべていた。


「ええ。アルベール様の新しい婚約者に相応しい方を探して参加したお茶会で、婚約者がまだいらっしゃらないシャルロット様にお会いできるなんて――これは運命に違いないと思いませんか? これはきっと神の思し召し。わたくしにアルベール様とシャルロット様を引き合わせろという啓示だと思いますの」


「……えーっと、それはどうなんでしょうね」


 嬉々とエレオノールは力説するが、シャルロットは肯定的ではない様子だ。


 しかし、彼女がどう言おうと、どう思おうとエレオノールは確信している。


 ――きっと、これは運命だ。


 エレオノールがアルベールと婚約をしたのは皇太子との婚約解消から、すぐのことだった。


 新しい婚約者となったアルベールとは、エレオノールが皇太子の婚約者となった頃からの付き合いだ。王家に近しい公爵家の嫡男ということもあり、皇太子からも頼りにされている存在らしい。


 彼はエレオノールにとって兄のような存在であった。

 昔から何かとエレオノールのことを気にかけてくれていた。そのため、ラルカンジュ公爵家から縁談を持ちかけられた時には驚いた。


 エレオノールはアルベールが自分のことを好いているわけではないことを知っている。

 もちろん、昔馴染みとして、妹のような親愛の情を抱いてはくれているだろう。しかし、そこに男女の恋愛感情のようなものがないのは明白だ。


 だって、エレオノールは皇太子との件をアルベールに相談していた。それも一度きりではない。何度も、何度もだ。

 エレオノールにとって、皇太子との仲を相談できる相手はアルベールだけだった。


 皇太子の婚約者に選ばれたのは、エレオノールが十二歳のとき。

 今から約六年前のことだ。将来皇太子の妃となる令嬢を選抜するために、国王が侯爵家以上の令嬢を集めた。エレオノールもそのうちの一人だった。


 令嬢たちは様々な試験を課された。その結果、エレオノールは皇太子の婚約者になった。

 エレオノールはそのことに喜んだ。まさか自分が選ばれるとは思っていなかったからだ。


 もちろん、皇太子の婚約者に選ばれてそこで終わりではない。

 だから、エレオノールはそれからも皇太子妃に相応しい人間になれるように努力を重ねた。

 勉学を今まで以上に励んだ。作法やマナーも誰から見ても恥ずかしくないものを身につけた。病院や孤児院の訪問などの慈善事業にも精を出した。――しかし、肝心の皇太子はエレオノールを認めてはくれなかった。


 本来、皇太子の婚約者となれば、社交界にも積極的に参加するのが通例だ。

 しかし、エレオノールは貴族たちが開くお茶会や夜会に参加した経験がない。婚約者である皇太子から誘いがほとんどなかったためだ。


 皇太子は必ず同伴者パートナーを必要とするような限られた集まりにしか、エレオノールを呼ばなかった。

 呼んでもほとんど会話をすることもない。ダンスだって一緒に踊った回数は片手で数えられるほどだけだ。


 誰から見ても、皇太子がエレオノールを同伴させるのが渋々であることは明らかだった。


 社交界だけではない。個人的な誘いも一度もされなかった。

 お茶をしたり、どこかに出かけたり――本来、婚約者であればある交流が一切なかったのだ。皇太子はまったく、エレオノールと親交を深めようとしなかった。


 それでも、エレオノールはなんとか皇太子との関係を良くしようと努力をした。

 どれだけ返事がないと分かっていても、夜会で会話を振り続けた。何かと王宮に足を運び、一緒に過ごす時間を作ろうとした。


 しかし、皇太子の素っ気ない態度は崩れなかった。そして、傷心したエレオノールに気づいたアルベールが慰めてくれて終わるのが常だった。


 アルベールは本当にエレオノールに親身になってくれた。

 どうしたら皇太子と交流が図れるのか。仲良くなれるのか。悩むエレオノールと一緒に、方法を考えてくれた。


 手紙を送ったこともある。自分で刺繍したハンカチや、手作りのお菓子を贈ったこともある。観劇や植物園に誘ったこともある。どちらもエレオノールの趣味で、皇太子の趣味ではないことに気づいた。だから、皇太子が好きな遠乗りに誘ったこともある。そのために、苦手な乗馬も練習した。


 しかし、皇太子はエレオノールが贈ったものをすべてそのまま返してきた。

 手紙も、ハンカチも、お菓子もだ。何一つ受け取ってくれず、エレオノールの手元に返されてしまった。

 外出の誘いもすべて断られた。いつも「忙しい」と断られた。エレオノールは訓練以外で馬に乗ることはなかった。


 失敗する度に落ち込むエレオノールを、いつもアルベールは励ましてくれた。そして、次はどうしようかと一緒に悩んでくれたのだ。二人の婚約が解消される最後まで。


 そのときの真面目な表情は本物に見えた。もし、本当にアルベールがエレオノールを好きだったら、あんなことは出来なかったはずだ。


 ――きっと、アルベールはエレオノールに同情してくれたのだと思う。


 エレオノールの悩みを聞いてくれたのも、皇太子との婚約が破談になったエレオノールと新たに婚約を結びたいと申し出てくれたのも、すべて彼の優しさからだ。


 皇太子との婚約解消後、コルネイユ侯爵邸に持ち込まれた縁談はラルカンジュ公爵家からのものだけだ。

 もし、アルベールとの縁談がなければ、エレオノールは修道院に送られることになっていただろう。アルベールはエレオノールの境遇を不憫に思って、手を差し伸べてくれたのだ。


 婚約者になったアルベールは以前と変わらずエレオノールに優しい。


 毎週のように手紙と花を贈ってくれるし、一緒に観劇も植物園にも行ってくれる。エレオノールの話を真剣に聞いてくれるし、本当にちょっとしたことでも気を遣ってくれる。本当に素晴らしい婚約者だと思う。


 しかし、それもアルベールの優しさゆえだ。


 彼は何年もエレオノールが皇太子との冷めた関係に悩んでいるのを知っている。だからこそ、新しい婚約者となった自身はよき婚約者でいようとしてくれる。


 エレオノールがそう言うと、アルベールは「そんなことはない」と否定する。しかし、それもエレオノールを気遣ってのもの。

 そのことを考えると、エレオノールは無性に悲しくなってくる。


 エレオノールにはこのままアルベールと結婚するという道がある。

 貴族である以上、誰もがお互い好きな相手と結婚出来るわけではない。恋愛感情がなくとも、親愛さえあれば穏やかで幸せな結婚生活は送れるかもしれない。

 でも、エレオノールはこのまま結婚するのはよくないと思っている。


 アルベールは身分だけでなく、性格も外見も素晴らしい男性だ。

 焦げ茶色の髪に淡褐ヘーゼル色の瞳。端正な顔立ちで、昔から令嬢から人気がある。穏やかで紳士的な性格も人気の一つなのは間違いないだろう。

 本来であればもっと以前から婚約者がいて、とっくに結婚していもおかしくない人物だ。今でもアルベールと婚姻したいと考える令嬢は数えきれないほどいるはずだ。


 アルベールはいくらでも相手を見つけられる。ただの同情や優しさでエレオノールを選ぶ必要はない。愛する相手を見つけて、幸せな結婚をしてほしい。エレオノールはそう思っている。


 しかし、それも二人が結婚してしまってからは難しい。

 結婚する前にアルベールには好きな相手を見つけてほしいが、彼は何を言ってもエレオノールに遠慮して動こうとしない。あちらが動かない以上、エレオノールが動くしかなかった。


 そんな思いを抱いて参加したのがヴァロワ侯爵夫人の主催するお茶会だ。

 

 皇太子の件を除いたとしてもエレオノールは社交界には疎い。

 皇太子との仲が良くなかったことを知られているためか、はたまた別の理由か――とにかく、エレオノールには社交界の催しに招待する手紙は全く届かない。


 唯一の例外はヴァロワ侯爵夫人だ。

 彼女は昔から何かとエレオノールを気にかけてくれ、時折お茶会に誘ってくれた。


 ヴァロワ侯爵邸の庭園には多くのご令嬢がいた。

 しかし、殆どが既に結婚しているか、婚約者がいる相手だ。さすがに既婚者や既に相手がいるご令嬢に「アルベール様と結婚しませんか?」なんて誘いは出来ない。


 人見知りな性格も手伝って、自分から誰かに声をかけることも出来なかった。


 ――シャルロットが声をかけてきてくれたのはそんなときだ。


 領地から縁談相手を探しに王都にやってきたオクレール伯爵家の二女。

 優しくて明るくて可愛らしいご令嬢。彼女はエレオノールが探し求めている人物像そのものだった。


 半ば諦めかけていたところでシャルロットに出会えたのは運命としか思えなかった。



 そのシャルロットは今、馬車の向かいで落ち着きない様子で座っている。


 ――もしかしたら、緊張しているのかもしれない。


 エレオノールは安心させるために、シャルロットに微笑みかける。


「運命ですわ。間違いありません。シャルロット様はアルベール様の好みのタイプですもの。きっと、うまくいきますわ」


 アルベールの好みは優しくて明るくて可愛らしい女性だ。

 外見でいえば、背丈もそれほど高くなく、可愛らしい顔立ち。性格は愛嬌があって、優しくて、社交的なタイプ――と言っていいと思う。


 しかし、エレオノールは彼の好みと真逆に位置する。

 エレオノールの背は女性の中でも高めだ。ヒールを履くと平均的な身長の男性と目線が同じになる。男性の中でもかなり背の高いアルベールとは多少身長差があるが、皇太子とはほとんど目線が同じだった。

 顔立ちだって大人びている。瞳も切れ長で冷たい印象を与えやすい。とても『可愛らしい』顔立ちではないことは自覚している。


 性格も内向的で、人見知りをしやすい。自分から人の輪に入っていく勇気が持てない。つまりはアルベールの好みの対極に位置する。――このことも、アルベールがエレオノールを好きになったわけじゃないと思っている根拠の一つだ。


 その点、シャルロットは優しくて明るくて可愛らしい。

 見知らぬ人ばかりのヴァロワ侯爵夫人のお茶会でも周囲とうまく交流をしていた。初対面のエレオノールにも積極的に声をかけてきてくれた。こちらの心情を気遣ってくれる優しさを持っている。


 少し、気になるのは外見の部分だろうか。

 シャルロットは瞳も大きく、可愛い顔立ちをしている。とても可愛らしい令嬢だと思う。

 しかし、あの子・・・は誰もが見惚れる美しさを持っていた。

 身長も、シャルロットは平均ぐらいだが、あの子・・・はもう少し背が低かった。そういった多少の差異はある。


(いえ、でも、大丈夫ですわ。シャルロット様はこんなに素敵な方ですもの。アルベール様も人を見た目で判断するような方ではありませんわ。きっと、シャルロット様の内面を知れば、絶対に気に入ってくださいますわ)


 そんなこんなで馬車は二人を乗せて、目的地であるラルカンジュ公爵邸に到着した。

 今日、エレオノールがシャルロットと会っているのは、彼女とアルベールを引き合わせるためだ。アルベールにも「会わせたい相手がいる」と事前に手紙を送っている。


 エレオノールは先に馬車を下りる。

 後から下りてきたシャルロットは公爵邸を見上げ、「大きいお屋敷」と呟いた。


 ラルカンジュ公爵邸は王都にある貴族邸の中でも最も大きい屋敷だ。

 白い壁の三階建ての邸宅だ。敷地自体もかなり広く、門から玄関までは一面芝生が広がっている。


 エレオノールたちは執事に出迎えられる。何度もラルカンジュ公爵邸に足を運んでいるエレオノールはよく見知った相手だ。


 彼に案内されるようにエレオノールは屋敷に足を踏み入れる。しかし、後ろのシャルロットが動かない。エレオノールは立ち止まる。

 どうしたのだろうとエレオノールは首を傾げている。

 シャルロットは胸元をぎゅっと握りしめた。


 その表情は心なしか青ざめているように見えるのは気のせいだろうか。


「……何だか勢いに押されて、ここまで来ちゃったけど本当に良かったのかしら」


「何をおっしゃってるんですか。もちろんですわ」


「いえ、でも、エレオノール様――いえ、やっぱりいいです。直接アルベール様にお伝えします」


 シャルロットは当初、エレオノールの誘いを頑なに断った。


 「確かに結婚相手を探しているが、そういうのは良くありません」とか「身分も全然違います」とか「本当に私普通の人でいいんです」とか全く首と縦に振る様子がなかった。


 エレオノールも必死でシャルロットを説得した。

 きっと彼女を逃したら次はない。そう思ったからだ。


 「婚約者の私が良いと言ってるんです。大丈夫ですわ」とか「アルベール様は身分を気にする方ではありませんのよ」とか「とにかく一度実際にお会いしてみませんか」とかとにかく言葉を尽くした。


 三十分以上そんな問答をし――シャルロットは「分かりました。一度お会いするだけなら」とようやく首を縦に振ってくれたのだ。


 エレオノールはとにかく自信があった。

 今はシャルロットもあまり乗り気ではない様子だ。

 だが、アルベールは素晴らしい人物だ。少し話せばシャルロットにもその良さが伝わるだろう。


(きっとうまくいきますわ)


 エレオノールはそう信じてやまなかった。

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