序章:伯爵令嬢と侯爵令嬢は運命的な出会いを果たす④


 エレオノールによると、ヴァロワ侯爵夫人は呼ばれて席を外しているとのことだ。それから三十分近く、彼女は一人きりだったらしい。


「それじゃあ、退屈だったんじゃないですか?」


「いいえ。お茶会に参加したのは本当に久しぶりで……皆さんが楽しそうにお話してるのを見ているだけで楽しいんですのよ」


 嬉しそうに笑うエレオノールは嘘をついている様子はない。

 彼女の外見は大人びている。そのため少し年上かと思っていたが、笑うと少し幼く見える。年齢を訊ねると「十八歳」と返ってきた。


(外見は実際の御年齢より大人びていらっしゃるけど、内面は逆だわ。……ちょっと年下みたい)


 話していると年上の女性というよりは、少し年下の女の子と話している気分だ。この侯爵令嬢は外見と内面に大分ギャップがあるらしい。


 シャルロットの観察するような視線に気づくと、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「シャルロット様はオクレール地方のお生まれなのですよね?」

「ええ、そうです。ずっと領地で育ちました。王都に来たのは今回が初めてです」


 エレオノールはとにかくシャルロットの話を聞きたがった。

 オクレールの領地について。名産である牛酪バター乾酪チーズ、小麦、蕪。良い馬が多いというのは本当か。馬の品種について。オクレール伯爵家の成り立ちまで。話はとにかく多岐に渡った。


 そして、驚くべきはエレオノールの知識量の豊富さだ。

 彼女はシャルロット並みにオクレールについて知っていた。実際にオクレールの民がどうした生活を送っているのかなどは実際に目にしているシャルロットのが詳しいが、歴史の話になると完全に軍配はエレオノールに上がる。


「バルテの大飢饉でのオクレール伯爵家の功績は大きかったと聞きますわ」


「そうですね、そう言ってくださる方もいます。えっと、当時の当主が飢饉を事前に予測したとかなんとか。今も大きな食料庫が残ってるのは確かですけど、少し話を盛っている感じはありますよね」


 二百年前に起きた飢饉の話なんてシャルロットはろくに覚えていない。何年も昔に教わった歴史の授業の記憶を掘り返しながら、なんとかシャルロットは話を合わせていた。


 エレオノールは少し考えるようにシャルロットを見つめる。

 それから微笑んで。


「シャルロット様は領地ではどのようにお過ごしでしたか」


 と話題を変えた。


 ――どうやら、シャルロットが話についていけていないことに気づいたらしい。申し訳なさを感じつつも、シャルロットはエレオノールの厚意に甘え、自身について話し出した。


 エレオノールはシャルロットが何を話しても楽しそうに相槌を打ってくれた。聞き手の反応の良さについ調子を良くし、気づけばシャルロットは領地のとある村で子供たちに勉強を教えていたことまで話していた。

 伯爵令嬢としてはあるまじき行為だろうに、エレオノールはそのことを咎めもせず、逆に「すごい」と褒めてくれた。


「シャルロット様は本当に素晴らしい方ですのね。領民の生活を案じる者は多いでしょうが、実際に領民のために行動出来る方は限られていますわ。わたくしには決してシャルロット様のような行動はできませんもの」


 王都に住む、それも侯爵家のご令嬢にそんな風に言ってもらえるのは嬉しい。

 シャルロットは胸が温かくなるのを感じる。


 ――それにしても。


(やっぱり不思議だわ。何でマリエル様たちはエレオノール様と関わり合いになるのをあれほど嫌がったのかしら)


 話せば話すほど不思議に思う。

 エレオノールは話してみると全然悪い人じゃない。良い人――というより、良い子だ。

 年上で目上のご令嬢に『子』をつけるのも失礼かもしれないが、それが純粋なシャルロットの印象だった。


(何か他に問題、というか、事情でもあるのかしら)


 しかし、やはりシャルロットにはさっぱり分からない。


 窺うように隣に座る黒髪の令嬢を見つめる。

 エレオノールは相変わらず綺麗な所作で紅茶に口をつける。その動作には気品を感じる。

 彼女はティーカップを置く。そして、少し視線を彷徨わせてから遠慮がちに口を開いた。


「……オクレール伯爵家の家督は、嫡男のフェリクス様が継がれるんですのよね」


「はい、そうです。弟のこと、よくご存じですね」


「伯爵家以上の方々のお名前は大体頭に入っていますわ。もちろん、シャルロット様のお名前も存じ上げておりました」


 さらり、と何でもない事のようにとんでもないことを言われる。

 「すごい」と思わず呟くと、エレオノールは苦笑し。


「皇太子殿下の婚約者であれば、これぐらい当然のことですわ」


 さらにとんでもない発言をした。

 シャルロットは固まる。


「元ですけれどね。すでに婚約は解消された身ですから」


 固まって、フォークに刺したケーキを落としてしまった。


 まずい。

 とんでもなくまずい。


(こ、皇太子殿下の婚約解消の件、もっと姉様に聞いておけばよかった……!!)


 胸中を占めるのは深い後悔だ。


 なぜ、姉に詳細を聞いておかなかったのだろう。せめて、婚約解消された令嬢の名前は聞いておくべきだった。

 いや、以前父に説明はされていたはずなので、それを覚えておくべきだった。

 何も知らなかったとはいえ、無神経な発言をしてしまったのではないだろうか。失礼なことをしたのではないか。


 一気にシャルロットは血の気が引いていくのを感じる。


「皇太子殿下の婚約者になってから一生懸命、国内の貴族の方々とその歴史について学びましたの。今思えば、無駄な努力だったと思いますわ」


 エレオノールは微笑む。

 その瞳は少し悲しげに揺れている。


わたくしの努力は意味のない、的外れなものでした。大事なのはもっと別のことで――ずっと、私はそのことに気づかずにおりました」


 シャルロットは彼女の事情を詳しくは知らない。

 皇太子と婚約を結んでいたのが彼女で、妹に皇太子妃の座を奪われたことしか知らない。

 だから、エレオノールにかけるべき適切な言葉を見つけられない。

 何を言っても見当違いな言葉か、傷つけるような言葉になってしまいそうで、エレオノールの名を呼ぶことしか出来なかった。


「エレオノール様」


「お気になさらないでください。結果的にこれで良かったと思っておりますのよ。わたくしは殿下のことをお慕いしておりましたが、わたくしの想いは殿下にとって邪魔なものでしかありませんでしたもの。愛し合う二人が結ばれるのが一番だと思いませんか?」


 姉は皇太子妃になった令嬢は皇太子の心を射止めたと言った。きっと、エレオノールの妹も皇太子のことを愛したのだろう。


 シャルロットは思ったことを迷わず口にした。


「いいえ、違うと思います」


 はっきりと彼女の言葉を否定する。

 エレオノールは驚いたように目を見開く。


「元々皇太子殿下の婚約者はエレオノール様だったのでしょう? そのエレオノール様を蔑ろにしている時点でお二人の結婚が一番だとは思いません。エレオノール様が傷ついているのに、それが良かったなんて私は言えません。それにエレオノール様の努力が無駄だったとか、意味のないものだったとも思いません。何かのために努力をするって大変なことです。それはエレオノール様の美点だと思います。誇っていいものだと思います」


 愛し合う二人が結婚する。それは確かに素晴らしいことだろう。

 しかし、その裏で傷ついている人間がいる。

 そのことを知っていながら、傷ついている相手にシャルロットは「愛し合う二人が結ばれるのが一番」とは言えなかった。言いたくなかった。


 それに彼女の努力だってそうだ。

 結果が出なかったとしても、大事なのは努力をしたというその過程だ。どんな理由であれ、婚約が解消されたからと言って、彼女の頑張りが全部無意味なものに変わるわけではないのだ。

 そのことをシャルロットは彼女に訴えたかったのだ。


 エレオノールは瞬きを忘れたように、こちらを見つめたまま動かない。


 ――まずい。また余計なことを言ってしまったのだろうか。


 シャルロットが発言を後悔していると、エレオノールはゆっくりと俯いた。


「……シャルロット様はお優しいんですのね」


「そうですか? エレオノール様の方がお優しいと思いますよ」


 彼女の発言を聞く限り、エレオノールは自分を裏切った皇太子や婚約者を奪った妹を怨んでいる様子がない。シャルロットが同じ立場だったら、相手に文句の一つでも言わなければ――いや、少なくとも一発は叩かないと気がすまない。


 エレオノールは一度目を閉じる。それからシャルロットを見た。


わたくしは、貴方のような方を探していたんです」


 その眼差しは真剣だ。

 しかし、エレオノールの言葉の意味がシャルロットには分からない。


「えっと、私のようなっていうと、どんな人のことですか?」


「シャルロット様のようにお優しくて明るくて可愛らしい方を、です」

 

 そう言って、エレオノールは視線を膝の上に落とす。

 

わたくしは今、ラルカンジュ公爵家の嫡男アルベール様と新しく婚約を結んでおります」


 婚約が破談になったエレオノールにも新しい婚約者がいることにシャルロットは安堵する。

 ラルカンジュ公爵家は王族の血も引く由緒正しい家系だ。公爵家は侯爵家よりさらに少ない。たった二つだけだ。

 皇太子妃になる教育をされていたエレオノールに相応しい嫁ぎ先だろう。


「アルベール様というのはどんな方ですか?」


「……とってもお優しい方です。昔からわたくしにも親身になってくださって、兄のような存在でした」


 新しい婚約者は良い人らしい。それであれば、ぜひエレオノールと二人幸せになってほしいと思う。


 しかし、新しい婚約者の話題をしていると思えないほど、エレオノールの表情は暗い。

 彼女は膝の上でぎゅっと両手を握りしめる。


「ですが、アルベール様とわたくしはこのまま婚姻するべきではないと思っています」

 

 シャルロットは目を瞠る。


 それは一体、どういう意味だろう。


「シャルロット様」


 突然、シャルロットはエレオノールに手を取られた。気づけばエレオノールとの距離が近い。シャルロットは反射的に体を後ろに退ける。

 エレオノールは熱い眼差しを向けてくる。


「シャルロット様には婚約者はいらっしゃらなかったですわよね」


「ええ、はい、そうですけど」


「では今、縁談相手を探していらっしゃる最中ということですわよね? 夜会で、どなたか良いご縁はありましたか?」


「…………いいえ、まだ生憎と」


 表情を引きつらせるシャルロットに、エレオノールは嬉しそうに目を輝かせる。


「それなら、シャルロット様にぜひご紹介したい方がいますの」


「え、え? ホントですか!」


 エレオノールの言葉に思わずシャルロットも顔を明るくする。


 『紹介したい人を探す』ではなく、『紹介したい人がいる』だ。先ほど以上の吉報だ。

 まさか、気分転換にと誘われたお茶会でこうも婚約者探しが進展するとは思わなかった。――先ほどまでの話と縁談話がどう繋がるのかはまったく理解出来なかったが、シャルロットは純粋に喜んだ。


 エレオノールは「ええ、ええ」としきりに頷く。


「シャルロット様は婿を取られる必要はありませんのでしょう? それなら、爵位を継がれる方でも問題ありませんわよね」


「ええ、もちろんです。ご紹介いただけるなら、どなたでも!」


「とてもお優しいお方なんですのよ。優しくて可愛らしいシャルロット様にはぴったりのお方だと思いますの」


「あ、ありがとうございます。それでご紹介してくださるというのはどなたなんですか?」


 エレオノールは一切の邪気のない、満面の笑顔で答えた。


「ラルカンジュ公爵家のアルベール様ですわ」


 シャルロットは再び固まった。

 今度は完全に思考が停止した。


 ――今、エレオノールは何と言った?


 聞き覚えがある名前――どころではない。

 シャルロットも鳥頭ではない。少し前に話題に出ていた人物名くらい覚えている。

 エレオノールが口にしたのは、間違いなく先ほど彼女が現在の婚約者として挙げた人物と同じ名前だ。

 

「アルベール様は本当にお優しい方で、皇太子殿下に婚約解消されてしまったわたくしと結婚してもいいとおっしゃってくださいました。でも、アルベール様が婚約を結んでくださったのはわたくしの境遇を哀れに思ってくださってのことです。このままわたくしと結婚しても、アルベール様は幸せにはなれませんわ」


 「だから」と、侯爵令嬢は言葉を続ける。


「シャルロット様にはアルベール様と会っていただきたいんです。そして、わたくしの代わりにアルベール様と結ばれて、お二人で幸せになってほしいんです」


 侯爵伯爵の爆弾発言に、シャルロットは「はい!?」と大声をあげてしまった。

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