序章:伯爵令嬢と侯爵令嬢は運命的な出会いを果たす③
その日、シャルロットはお茶会に参加するために、ヴァロワ侯爵邸に足を運んだ。エリザベトも一緒だ。
お茶会の会場である庭園にはたくさんのテーブルが並び、既に二、三十人の女性の姿があった。参加者の年齢層は十代の若い令嬢から六十代頃のご年配の貴婦人まで幅広い。
シャルロットが今まで参加してきた夜会にも当然貴族令嬢は参加していた。
彼女たちは全員未婚の婚約者のいない令嬢――いわゆる、シャルロットにとってはライバルにあたる相手だった。そのため、夜会ではろくな交流が出来なかった。
しかし、今この場にいるの令嬢は既に婚約者がいる子ばかりだという。そのため、ほとんど顔も見覚えのない、知らない令嬢ばかりだった。
「じゃあ、シャルロット様はテシエ子爵夫人の妹さんなのね」
「王都には慣れた? せっかく都に来たんだから、夜会ばっかりに参加してちゃ駄目よ。城下町には見どころがたくさんあるのよ! 私のおススメは」
「マリエル。相手の好みを聞かずに、自分の好きなものを押しつけるのは貴方の悪いところよ。ねえ、シャルロット様のご趣味は何かしら?」
シャルロットは今、三人の同世代の少女たちと一緒のテーブルを囲っている。
彼女たちはヴァロワ侯爵夫人に挨拶に行った際に紹介された令嬢たちだ。
全員婚約者がいるか、結婚しているため、シャーリィの参加するような夜会にはもう参加しなくなっている。当然、初対面だった。
彼女たちは地方から出てきたというシャルロットに興味を持ってくれた。いろんな質問をし、自身や王都の話をたくさんしてくれた。夜会に参加しているときより何倍も、何十倍も楽しい。
そのため、気づけばシャルロットも笑いながら彼女たちと談笑していた。
王都に来てから、エライユ伯爵一家と姉一家以外の人たちとこんなに楽しい時間を過ごすのははじめてのことだと思う。
「でも、災難ね! こんな時期に婚約者探しだなんて」
しばらくすると話題はシャルロットの縁談相手探しの話に移った。
大袈裟に溜め息をつくのは黒髪の令嬢マリエルだ。
「半年前に来ていればまだ相手もいたでしょうに」
「しかたないわよ。シャルロット様にもご事情があるんだもの」
マリエルを窘めるのは金髪の令嬢、フェリシエンヌだ。
彼女は先ほどから何度もマリエルの発言を注意してはシャルロットを気遣ってくれる。
「でも、確かに今の夜会でいい殿方を探すのは大変よね」
頬に手を当て、思案しているのは銀髪の女性、サロメだ。
彼女はマリエルたちより少し年上で、唯一結婚している。
困った表情をするサロメに「ねえ」と声をかけたのはフェリシエンヌだ。
「サロメ。誰かシャルロット様にご紹介できる方を知らない?」
突然の発言にシャルロットは手にしたティーカップを落としそうになった。慌ててカップを両手で押さえる。中身は零れていない。
シャルロットは安堵の息をもらす。
「そうね。今度お兄様に聞いてみましょうか」
「私も――そうね。婚約者(ドミニク様)に聞いてみるわ。仲の良い方はほとんど婚約してしまってるからちょっと期待できないかもしれないけれど」
「いい考えだわ。確かに夜会で探すより、知り合いを当たったほうがいいわね。私も聞いてみるわ!」
「……マリエル。誰に聞こうって言うの?」
「誰って
「クリストフ様はどんな殿方だって『良い人』って仰るじゃない。頼りにならないわ」
シャルロットが気を取られている間に、話はどんどん進展していく。
慌ててシャルロットはティーカップをテーブルに置くと口を開いた。
「皆さん、手伝ってくださるんですか?」
シャルロットの言葉に、サロメはほほ笑んだ。
穏やかな優しい笑顔だ。
「ええ。実際に紹介できるかはお約束できないけれど、探してみます。困ったときはお互い様ですもの」
「オクレールの
「マリエル。シャルロット様に気を遣わせるようなことを言うんじゃありません」
マリエルの調子のいい発言をまたフェリシエンヌが窘める。シャルロットはその様子につい吹き出してしまう。
「いいえ、フェリシエンヌ様。お礼をさせてください。ぜひ、仲良くなった友好の印に贈り物をさせてほしいんです」
本当に、こんなに嬉しい気持ちになるのは王都に来てはじめてのことだ。
嬉しいのは結婚相手が見つかるかもしれないからではない。出会って間もないシャルロットに親切にしてくれる彼女たちの好意が、だ。
シャルロットは今度実家から最高級の
それからまた四人は話に花を咲かせた。
マリエルの婚約者の笑い話。フェリシエンヌが飼っている猫の話。サロメの好きな演劇の話。
彼女たちの話を笑いながら聞いていたシャルロットはふと周囲に視線を向け――変化に気づいた。
先ほどまでヴァロワ侯爵夫人が座っていたテーブルだ。
五、六人の御夫人やご令嬢が腰かけていた席からすっかり人がいなくなっている。今、テーブルに残っているのは一人だけだった。
周囲を見回すがヴァロワ侯爵夫人の姿は見えない。周囲にいた御夫人たちは各々別のテーブルに散らばって談笑している。
それなら、残っている彼女も席を移動すればいいと思うのだが、その人物は席を立つ様子はない。一人、静かにお茶を飲んでいる。
「どうかなさったの?」
シャルロットの視線に気づいたのはフェリシエンヌだ。
フェリシエンヌもシャルロットの視線を追い、
シャルロットは三人に訊ねる。
「あのご令嬢はどなたですか?」
一人きりで座っているのはシャルロットたちとそう年齢も変わらなそうな黒髪の――おそらく――令嬢だった。
もし話し相手がいないのならこのテーブルに誘ってみようか。他の三人は良いと言ってくれるだろうか。そもそも、彼女は誰なのだろう。
そう思って質問を口にしたのだが、シャルロットの問いに誰も答えない。
こういう時にマリエルが真っ先に口を開きそうなものだが、彼女は何も言わない。黙って、その令嬢を見ている。いや、睨んでいるというのが正しい。サロメは視線を手許のティーカップに落としたまま、顔を上げない。
(私、何かおかしいことを言ってしまったのかしら)
テーブルに気まずい沈黙が流れる。
シャルロットが困惑していると、フェリシエンヌが笑みを浮かべた。少し困ったような表情だ。
「あの方はコルネイユ侯爵家のエレオノール様よ」
シャルロットはもう一度令嬢を見る。
長い黒髪の綺麗な女性だった。
同性のシャルロットから見ても見惚れるような美人だ。美人はどこか近寄りがたい雰囲気があるが、
ただお茶を飲んでいるだけなのにその姿が様になっていた。シャルロットにはあんなに美しいティーカップに口をつけることは出来ない。もしかしたら、育ちの違いだろうか。
(それにしても不思議だわ)
シャルロットは思う。
侯爵令嬢となれば周囲が気を遣って話しかけそうなものだが、彼女の周りには誰もいない。
「あの方にもお声をかけてみませんか?」
せっかくのお茶会で一人でいるのはつまらないだろう。
そう思って、シャルロットは三人に訊ねた。しかし、三人の反応は芳しくない。
口を開いたのは今度もフェリシエンヌだった。
「……やめた方がいいと思うわ。身分が違うもの。私たちと話してもきっとご不快にさせてしまうだけよ」
確かに侯爵の地位につくのは国内で五つの名家だけ。
五十以上ある伯爵家との間には越えられない壁がある。身分が違うというのは正しいかもしれない。
しかし、先ほどからこのお茶会の参加者は身分関係なく話しているように見える。この三人が良い例だろう。
フェリシエンヌは伯爵令嬢。サロメは伯爵夫人だが、元は子爵令嬢だったらしい。マリエルは男爵令嬢だ。
シャルロットはフェリシエンヌの言い分に違和感を感じる。
「――いいのよ、そんな回りくどい言い方しなくても」
ようやくマリエルが口を開いた。
しかし、その口調はひどく冷たいものだった。先ほどまで楽しそうに婚約者の失敗談を口にしていた人物と同じとは思えない。
「私、あの人に関わりたくないの。頼まれたって話してなんかやらないわ!」
「マリエル」
「誤魔化さなくてもいいじゃない。サロメだって私と同じ気持ちよ。でしょ?」
サロメは目を伏せたまま、何も言わない。
否定しないということがマリエルの言葉を肯定しているようだった。
突然マリエルが立ち上がった。
「私、庭園を散歩してくるわ!」
そう言うと、マリエルは足早に庭園へと向かっていく。
「マリエルったら!」
その後を慌てた様子でフェリシエンヌが追う。サロメも立ち上がる。
「あの」
「また今度は四人で集まりましょう。お誘いするわ」
サロメは一礼すると、ゆっくりとした足取りで二人を追っていった。シャルロットは一人、その場に残される。
シャルロットの耳には周囲の歓談の声が届く。皆、先ほどまでと変わらず楽しそうに会話をしている。
取り残されてしまったかのような気持ちになっているのは、きっとシャルロットだけだ。
(これはどういうことなのかしら)
周囲を見回すと、遠くのテーブルで年上の夫人と話すエリザベトの姿が見える。会話に夢中でこちらの様子には全く気づいていない。
シャルロットはもう一度、侯爵令嬢に視線を向けた。
彼女は先ほどと同じテーブルに一人でいる。
――シャルロットには分からないことばかりだ。
なぜマリエルは彼女に関わりたくないと言ったのだろう。サロメも同じように考えているように見えた。フェリシエンヌは相手を不快にさせるかもしれないと言った。なぜ彼女たちがあんな態度を取ったのか、シャルロットには分からない。
――でも、一つだけ分かることがある。
小さな村で子供たちに勉強を教えていたときのことを思い出す。
シャルロットが勉強を教え始めた頃、なかなか輪に入ってこない子供がいた。
彼は一人だけ遠巻きにシャルロットたちの姿を見ていた。他の子供たちは「放っておけばいい」と言ったが、シャルロットはその子に話しかけた。
少年は最初シャルロットに罵詈雑言を浴びせた。しかし、シャルロットが話しかけ続けると段々態度は軟化していった。そして、最後に彼は自分の事情を教えてくれた。
『アイツらと一緒に遊びたい。でも、俺は乱暴だって嫌がられるんだ』
少年は同世代の子供より力が強かった。彼の父親は乱暴な言葉遣いをする人らしく、その口調が彼に移ってしまっていた。だから、他の子とうまく関われなかった。
だから、シャルロットは少年に「一緒に勉強しよう」と誘った。
言葉の使い方や、力の弱い子への接し方を教えた。今ではその子はシャルロットの優秀な教え子になり、「後のことは俺たちに任せて」と言ってシャルロットを見送ってくれた。
シャルロットは侯爵令嬢と話したことがない。彼女がどういう人物なのかも分からない。――それでも、きっと一人ぼっちがいい人なんていない。きっと彼女も一人きりでつまらない思いをしているはずだ。
決心はすぐについた。
シャルロットが取るべき行動は一つだけだ。
勢いよく、シャルロットは立ち上がる。
一人しか座っていないテーブルに近づいていく。笑みを作る。
「お隣、よろしいですか?」
侯爵令嬢の反応は少し遅れた。金色の瞳がこちらに向けられる。
シャルロットはスカートを持ち上げてお辞儀をする。
「はじめまして。オクレール伯爵家のシャルロットと申します。一緒にお話しませんか?」
シャルロットの考えが独り善がりなもので、本当に彼女が一人が良いと思ってる可能性はある。
しかし、それなら後で謝ればいいだけだ。
侯爵令嬢はシャルロットに返事をしない。ただ、目を瞬かせているだけだ。
(……失敗だったかしら)
シャルロットの行動はただのお節介だったと自身で結論づけようとしたとき、やっと公爵令嬢は口を開いた。
「――ええ、ぜひ。お声をかけていただけて嬉しいです」
ゆっくりとした、穏やかな話し方だ。
シャルロットは顔をあげる。
「
侯爵令嬢――エレオノールは嬉しそうに笑ったのだ。
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