序章:伯爵令嬢と侯爵令嬢は運命的な出会いを果たす②


 姉にはそういわれたものの、シャルロットの結婚相手探しは難航した。


 王都に来てから一週間後。無事、シャルロットは社交界デビューを果たした。

 若い貴族子息と令嬢が参加する夜会に参加するようになったのだ。 


 シャルロットはしっかり髪を結い、化粧を施し、社交界用のドレスと宝飾で着飾った。

 領地で貴族令嬢というよりは普通の領民と変わらない暮らしをしていた。服装だって町娘に近いものを好んで着ていた。そのため、ここまで着飾ったのは生まれてはじめてだ。鏡に映る自分はきちんと貴族令嬢らしく見えるのだから不思議だった。


 パートナーとして夜会に同行してくれたのはエライユ伯爵だ。父よりいくらか若い伯爵とともに夜会に出席すると、シャルロットはさまざまな貴族子息に声をかけられた。


 元々シャルロットは誰とでも話せるタイプである。とはいえ、王都の作法には疎い。

 エライユ伯爵夫人や姉に教わったマナーに気をつけながら、慣れない上品な笑みを作り、シャルロットは彼らと交流を深めようとした。


 ――問題はそこからだった。


 まず、シャルロットは相手の名前と顔を覚えてるのに苦労した。とにかく、覚えられないのだ。


 領地では人の顔と名前を覚えるのはそれほど苦手ではなかった。

 その人の顔と服装、職業、話し方、話した内容。そういったところから相手の人となりは何となく分かる。その人がどういう人か分かれば、覚えるのも難しくない。


 しかし、夜会で出会う貴族子息は誰も彼も同じように見えてしまうのだ。

 彼らは似たような服装で着飾り――貴族子息は令嬢ほど夜会に出席する服装に違いがない――、口にするのは「美しい」とシャルロットを褒める言葉か、自身の自慢話ばかり。とてもではないが覚えきれなかった。


 それに加えて、彼らとの会話も全然楽しくない。

 誰かの自慢話ばかりを聞くのがこれほど苦痛だとはシャルロットは知らなかった。


 最初は王都育ちの人間とはここまで話が合わないのかと思っていた。しかし、地方出身者と話しても同じような結果に終わった。

 何度も夜会に出席したものの、毎度毎度そんな感じだ。


 夜会の出席回数が両手で数えられるようになった頃には、シャルロットは社交界にすっかり辟易してしまっていた。



「シャーリィでも駄目だったか」


 そうエリザベトが呟いたのは、姉の嫁ぎ先であるテシエ子爵家に遊びに行ったときのことだ。


 夜会に出席してばかりでは大変だろうと、姉に息抜きとして遊びに来るよう誘われたのだ。シャルロットはその誘いを快諾した。


 可愛い可愛い甥姪と再会するのは四年ぶりのこと。兄のエリクはなんとなくシャルロットと遊んだときのことを覚えてくれていたが、妹のソレーヌはまったく覚えていなかった。


 最初は恥ずかしそうに兄の後ろに隠れていたソレーヌもシャルロットが話しかけ続けると、どんどん笑顔を見せてくれるようになった。シャルロットは二人と楽しいひと時を過ごした。


 しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎる。

 途中で二人は授業の時間だと家庭教師に連れていかれてしまった。残されたシャルロットは姉と二人でお茶をすることになった。


 結婚相手探しに難航しているという話をしたシャルロットに、姉は意味深長な発言をしたのだ。


「姉様、どういう意味?」


 シャルロットが問う。

 エリザベトは少し迷った様子を見せてから口を開いた。


「実は今、社交界にいる未婚の貴族子息はろくなのがいないのよ」


「…………え?」


「簡単に言えば売れ残りね。令嬢に選ばれなかったか奴らばっかりよ」


「え?」


「まあ、令嬢の方にも同じようなことが言えるんだけどね。だからこそ、アンタのツラと性格ならその中から良い相手を探せるんじゃないかと思ったんだけど――それじゃあ、もう良い男は軒並みいなくなった可能性が高いわね」


「えええええええ!?」


 青天の霹靂だった。

 口をパクパクと開けて、シャルロットは絶句する。


 姉はそれからここ一年の社交界の事情を教えてくれた。


「皇太子殿下がご結婚されたのは知ってる、わよね? さすがに知らないとは言わないわよね?」


「も、もちろん。それぐらい知ってるわよ。村のみんなで殿下の御成婚をお祝いしたもの」


 今年十九歳になる皇太子が結婚したのは半年前のことだ。


 その吉報はシャルロットが滞在していた小さな村にも伝わり、村人たちはささやかながら宴を開いたのだ。そのことはよく覚えている。

 

「どなたが皇太子妃になったかは知ってる?」


 訊ねられて、シャルロットは記憶を手繰る。


「ええと、確かどこかの侯爵家のご令嬢と婚約してらしたわよね。その方とじゃないの?」


 皇太子には数年前から婚約を結んでいるご令嬢がいたはずだ。――残念なことにシャルロットは侯爵家のご令嬢としか覚えていないが。


 しかし、姉は首を横に振った。


「違うわ。皇太子妃になったのは――別の令嬢よ」


 怪訝そうな表情を浮かべるシャルロットに姉は冷静な口調で続ける。


「皇太子妃となったご令嬢は大層お美しくてね。天使とか女神とかに形容する馬鹿もいたわね。確かにすっごい美人……いえ、美少女だったわね」


 姉は「一度遠目に見たことがあるわ」と遠くを見つめる。


「そのご令嬢が社交界デビューしたのが去年。愛想も良かったらしくてね。当然、男たちはそのご令嬢にメロメロよ。とても社交界を賑わせていたらしいわ」


「す、すごいわね」


 彼女が社交界にいたのが去年であれば、シャルロットが適齢期に社交界デビューしていれば出会えていたかもしれない。


 誰もを虜にする美しいご令嬢が同じ社交界にいては、それはそれで縁談相手を探すのは大変そうである。しかし、それほどの美少女であれば見てみたかったという興味もある。


「まあ、それでその子は社交界を賑わせて、最終的に見事皇太子殿下の御心を射止めたわけよ」


「それじゃあ、婚約者のご令嬢じゃなくて、その子が皇太子妃になったの? 側室じゃなくて?」


 この国の王室は一夫多妻を認めている。そのため、国王は数人妃を迎えるのは珍しい話じゃない。皇太子にもその権利はある。

 婚約者がいたのであれば、側室に迎え入れるのが通例だろう。それがその令嬢が皇太子妃になるなんてどういうことだろう。


 エリザベトは眉間に皺を寄せる。


「……妹だったのよ」


「妹さん?」


「そう。その子は婚約者だったご令嬢の妹だったの。要は妹が姉の婚約者を盗ったの。同じ侯爵家から二人も皇太子に嫁がせるわけにはいかないじゃない。だから、姉の婚約は破談になったのよ」


 シャルロットはぽかんと口を開ける。


 ――姉の婚約者が妹に盗られる。


 まるで、物語かなにかにありそうな話だ。シャルロットにはあまり現実味を感じられない。

 エリザベトは持っていた扇をばさりと開く。


「まあ、今話題にしたいのはそこじゃないわ。問題は別にあるの」


 そう言って、姉は話を続ける。


「恋破れた男たちはその後どうすると思う? 社交界にいる他の手近なご令嬢とくっついたのよ。ほとんどの貴族子息はこの半年で婚約あるいは結婚していったわ。残ってるのは相手を見つけらなかった奴らばかりよ」


「えええええええ!」


 姉の衝撃発言にシャルロットは思わず声をあげた。

 

「どうして黙ってたの!」


「社交界デビューする妹に『社交界に今残っているのは余り物ばかりよ。ろくな人がいないと思うけど頑張ってね』なんて言えないに決まってるでしょう。さっき言ったようにシャーリィならもしかしたら掘り出し物を見つけるか、見つけてもらうか出来るかと期待してたのよ」


 姉の言い分も分かる。分かるが、――シャルロットはあまりのことに打ちひしがれた。


 行儀悪くテーブルに突っ伏すシャルロットにエリザベトは慰めの言葉をかける。


「まあ、原石が見つかる可能性はなくはないし、一年も経てば若い貴族子息がまた社交界に入ってくるわ。年下でもいいならそれまで待つって選択肢もあるわよ。あとはそうね。領地に戻って、豪商かどこかの息子と結婚するのもありじゃないの? そっちのがシャルロットとも気の合う結婚相手が見つかりそうじゃない」


 シャルロットは考える。


 正直、シャルロットは王都での暮らしに興味はない。姉のように王都で生活したいかと聞かれると首を傾げてしまう。


 結婚相手にそれほど望むものもない。相手の身分は気にしない。真面目で家庭を大事にしてくれる人であればいいと思っているくらいだ。


 それなら、姉の言うように領地に戻って結婚相手を探したほうがいいかもしれない。


「オクレールに帰ろうかなあ」


 シャルロットは呟く。


 まだいくつか招待を受けている夜会がある。それには参加しないといけないが――それが終わったら領地に帰ろうか。


 妹の呟きを聞いたエリザベトは「それがいいかもしれないわね」と少し残念そうに呟いた。


「でも、せっかく王都に来たんだもの。ちょっとは楽しい思い出も作ってから帰ったら?」


 そう言ってエリザベトが差し出したのは一通の招待状だった。


「私が仲良してもらっているヴァロワ侯爵夫人が今度お茶会を開くの。参加者は貴族夫人とご令嬢だけよ。これならシャーリィでも楽しめるんじゃない?」

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