45.他の女がいたら上書きしてやるわ

「早く」


 手を伸ばす美しいアンネリースに、覚悟を決めたルードルフが身を屈める。床に座ったまま強請る彼女を、さっと抱き上げた。正直、何を食べているのか心配になる程、彼女が軽い。


 ルードルフは片腕でアンネリースを抱き上げ、無造作に歩き出した。ここでダメ出しが入る。


「ちょっと! 荷物じゃないのよ」


 叱られて試行錯誤した結果、お姫様抱っこに落ち着いた。満足そうに首へ手を絡めた美女は、運ばれたベッドの上に寝転ぶ。少しはだけた足元に気づき、ルードルフは丁寧に裾を直した。


 見守る乳母ゲルダが何度も頷く。ルードルフは気をつけながら、横に滑り込んだ。彼女の美しい銀髪を敷いていないか。裾を巻き込まないように。そしてベッドの半分よりはみ出さないために。


 細心の注意を払って横になった努力を無にするアンネリースは、ルードルフの腕を掴んで胸を押し当てた。抱き枕にして眠った日に、熟睡できて気に入ったらしい。肩の筋肉を枕にして、嬉しそうに笑った。


 様子を窺っていたルードルフは、笑顔の美しさに固まる。気絶するように意識を手放した猛将に、真珠姫はふふっと笑った。この様子では、他に女性がいたことはなさそう。英雄色を好むと聞いたから、心配していたのだ。


 私にとって初めての男性なのに、彼がそうじゃなかったら許さない。万が一他の女性がいたら、上書きしてやるわ。褒められた顔もスタイルも、すべてを使って落とす。アンネリースは、自分を強欲だと理解していた。


 真珠のような儚く美しいイメージとは程遠い。なんでも飲み込んで包み、己の色に染め替える。その意味で、真珠貝の方が近いと思っている。


 下賜された経緯はともかく、ルードルフを夫に指名したことに関して、ウルリヒに感謝していた。今後は宰相として働くと言い、臣下になる誓いも立てていたが、そこはあまり信用していない。


 一度裏切った者は、何度でも裏切るから。帝位を簒奪した男に用心するのは、君主として当然だろう。それでも、ルードルフを裏切ることはしないのでは? と淡い期待もあった。


 ゲルダが灯りを落とし、薄暗くなった部屋で目を閉じる。疲れていた自覚はないが、あっという間に眠りが訪れた。温かい……抱きついたルードルフの腕に擦り寄る。


 ルードルフが目を開き、眠ったアンネリースに微笑む。顔の傷が歪み、目元に皺が寄った。腕や肩に感じる重さと温もりに、彼の鼓動は高鳴る。だが手を出して台無しにする気はなかった。彼女の眠りを守りたい。


 これから険しい道を歩む彼女が、翼を休める場所を提供したかった。それが自分の腕の中なら、最高の褒美だ。誰もが欲しがり、どこへでも飛んでいける美女が、何を好き好んで獣の長を選んだのか。


 ルードルフはそれ以上考えることをやめ、再び目を閉じた。明日の鍛錬はいつもより念入りに行おう。最近、体が鈍った気がする。早起きの理由を作り、浅い眠りに戻った。


 穏やかな月光が守る眠りと同じ時刻、水面下で不穏な動きがあった。ウルリヒもまだ知らない、ほんの僅かな揺らぎだ。いつか波紋となり影響を及ぼすだろうが、今はまだ誰も知らない。

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