44.欲と夢が膨らみ足下が疎か

 かつて各国に恐怖を齎した帝国があった。征服王であった先代は、様々な国に難癖をつけては平らげる。だがウルリヒに帝位を簒奪された。身内の裏切りで首を落とされた後も、帝国の恐怖は周辺国を支配する。


 かつて各国の軍を震え上がらせた傭兵団がいた。荒地や山脈に好んで潜み、巨馬を操って襲いかかる。彼らは金銭で動き、圧倒的な国力を誇るジャスパー帝国と組んだ。帝国が解散を宣言した後、さまざまな国が接触するも囲い込みに成功していない。


 策謀や謀略に長けた帝国最後の皇帝と、どんな相手でも怯まない勇猛果敢な傭兵。その両方を、ただ美しいだけの女が手にした。そう聞けば、どんな国主もこう考えるだろう。


 ――その美女を手に入れれば、頭脳も武力も付いてくる、と。あながち間違っていないが、手に入れる手段があるはずもなく。策略で絡め取ろうとすれば、ウルリヒが動く。武力で攻め込めば、逆に滅ぼされた。


 すでに砂漠の国セレスタインは組み伏せられ、属国となっている。女王はスフェーン王国と手を組み、ムンティア王国を建国した。セレスタインの砂漠の兵は恐れを知らぬが、奇襲で蹴散らされ無惨に散った。


 今のムンティアに逆らっても、スマラグドスに潰されるのがオチだ。その程度の考えは、ルベリウスの上層部に浸透していた。宗教国家となり「聖王国」を自称するルベリウスにとって、これは他宗教との戦いだ。


 信仰する唯一絶対神の教えを広めるため、滅ぼす必要があった。多神教など、認めてはならぬ考え方である。


「ムンティアの女王を殺すのは勿体無いですな」


 教主であり大神官の男が、でっぷりと肥えた腹を揺する。隣の神官達も同じような姿だった。神の名の下に、民からの搾取を行って肥え太る。彼らの頭にあるのは、神職とは思えぬ欲望ばかり。


 美食を楽しみ、美女を侍らせ享楽に耽る。そこに矛盾を感じないのだから、彼らの思考がいかに腐っているか。日々の糧すら満足に得られず、我が子の口に入る僅かなパンを求めて彷徨う民の苦労など、彼らの耳に入ることはなかった。


「真珠姫だったか? それほどの美女なら、神々への供物として受け取っても良かろう」


「その女王を捕まえれば、ジャスパー帝国や周辺国がすべて手に入る」


 武力と知力、そこに数の圧倒的な差。残るアメシス王国が権力を振り翳そうと、一握りで潰せる。それで大陸は彼らの手に入るはずだ。夢は大きく膨らんだ。


 足元の崖に気付かぬまま、足を踏み出す道化師のように。目の前で口を開けて待つ肉食獣に、飛び込んで身を捧げる兎のように。過剰な欲と夢は、ルベリウス聖王国を支配する者らの目を曇らせた。







「さあ踏み出せ、そのさきに地面があると保証することはしないが」


 地図の上に置いた駒を一つ動かす。向かいで渋い顔をしたルードルフが溜め息を吐いた。鍛錬も終わり、夕食も平らげた時間だ。本来なら妻となるアンネリースのいる寝室へ戻るべきだが、打ち合わせだと言い訳をして逃げ込んだ。


「今の、俺に言ったのか?」


「ええ、あなた言いました。女王陛下のご機嫌を損ねないよう、しっかり罰をこなしてください」


 ルードルフは奇妙な唸り声を出しながらも、立ち上がって出ていく。明日の反応が楽しみだ、両方の意味で。ウルリヒは駒を戦盤の上に片付け、睡眠を取るために自室へ引き上げた。

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