39.滅びの呪文のような家名
ホーエンローエの家名は、ジャスパー帝国の皇帝を示した。帝国復活を目指すマヌエルが使用するのは、ある意味、当然のことだろう。家名の重さに見合うだけの力を、彼が持たなかったことが悲劇の始まりだ。
ウルリヒのように策謀に長けていたなら、そもそもホーエンローエの家名を使わなかった。スマラグドスと同じくらい圧倒的な武力を持てば、他国も沈黙を選んだはず。そのどちらも持たず、他者との協調など考えもしない。愚者の踊る舞台は、そんな脆い足場だった。
ジャスパー帝国の貴族だった者も、あわよくば……と欲を掻く。皇帝の座が欲しい者はもちろん、公爵を疎ましく思う臣下もいた。独立して国を興すチャンスと考える者にとって、マヌエルの言動は邪魔だ。排除に動くのは必至だった。
他国から何らかの条件や利益を持ちかけられ、その気になった。よくある裏切りの構図だが、今回は臣下の従属がないため裏切りにすら該当しない。
地図に二箇所、丸印をつけた。片方は侯爵家だった領地、もう一つはルベリウス国と血縁関係がある伯爵家だ。じっくり考え、侯爵家の方へ二重線を引いた。こちらは違う。あの男にそんな度胸はない。金儲けとゴマスリが上手いだけの小心者だった。
ウルリヒは残酷な裁定を下し、マヌエルを討ったと思われる勢力を特定する。ルベリウス国と親交があり、領地も接していた。すでに吸収された後だろう。勢力図を手際よく書き込んだ。さて、どうしたものか。
「頭の痛い問題ばかりで、これは楽しいじゃないか」
思わず昔の口調が戻り、ウルリヒは口を指一本で塞いだ。誰かに黙るよう示す仕草と同じだ。
「誰が聞いているかわかりませんから、災いをもたらす口は塞ぐとしましょう」
にやりと笑い、地図を置いて部屋を出た。執務に使用している部屋に、しっかり鍵をかける。それから廊下の天井を見上げた。
「まあ、思惑通り踊っていただくとして。まずは陛下の寝室事情から処理しなければ」
侵入者があることを想定し、執務室を選んだ。現在はまだすべての国が揺らぎ、情勢も落ち着かない。情報は漏れるものとして、意図的に流すのが正解だった。
本当に必要で重要な情報を、書類にして残す愚行はしない。すべて頭の中に記憶していた。奪われる心配もなく、危なくなれば己の口を塞ぐだけで処理が完了する。廊下を歩くウルリヒの頭に、天井裏に潜む他国の間者は残っていなかった。
「この部屋ね」
「いや、陛下は客間をお使い……」
「だから、私をアリスと呼ぶよう命じたでしょう。逆らうの?」
「いいえ。アリス様の仰せのままに」
敬称は必要だとごねる夫に、妻は腰に手を当てて言い聞かせた。これを見たら、他国の人はどう感じるかしら。私が捕まって無理やり襲われてもいいの? 夫婦仲が悪いとそんな心配も必要なのよ、と。
「そんな輩は俺が処分する!」
「その前に、阿呆が襲ってこないよう、仲睦まじく過ごせばいいの。こっちへきて」
ルードルフは固まった。自室といえば広いだけが取り柄で、ベッドしかない。机も不要だと片付け、棚は備え付けを利用するだけ。床に立派な絨毯が敷かれているが、そこに直接座って武器の手入れをするため汚れていた。
美貌の女王陛下に相応しい寝室ではない。こんなことなら、絨毯だけでも新しくしておけば……。悔やむルードルフの助っ人は、鼻歌まじりに現れた。
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