37.まずは寝室を一つに
恋仲で婚約したならともかく、政略結婚は心理的に距離がある。すぐ結婚なら身体的な距離は縮まるが、今回はまだ婚約段階だった。だが夫婦になるのは両者納得している。
となれば、ウルリヒが出す条件は決まっていた。夫婦に見えるよう振る舞うこと――寝室は一つにし、食事も一緒に。可能なら二人きりの時間を多めに取るように、と。
条件に見合うよう振る舞うには、細々とした妥協と歩み寄りが必要だ。アンネリースはしばらく考えて、微笑んだ。構わないと頷く女王に焦ったのは、戦場で負けなしの将軍だった。
恋愛に関しては戦績がゼロ、初めて好きになった人が真珠姫で主君で女王。勇猛果敢な将軍といえど、到底勝ち目はなかった。少なくとも本人はそう感じたようで、おろおろしている。
「今日から同じ部屋で眠りましょう。寝室はどちらが大きいのかしら」
「部屋は客間の方が広い」
ベッドはルードルフの私室の方が大きい。だが口にせず、彼は黙り込んだ。自分の部屋に姫が来るなんて、想像だけで赤面してしまう。ルードルフの慌てぶりを見て、アンネリースはくすくすと笑い出した。
「いきなり襲ったりしないわ」
「陛下になら襲われても……あ、いや」
もごもごと残りを口の中で呟くも、呆れ顔のウルリヒに指摘された。
「姫だの陛下だのと呼ぶのは、夫婦として相応しくありません。愛称で呼び合うのはいかがかと」
アンネリースも同意し、呼び名を決めることになった。スマラグドスでは、名を縮めて呼ぶ習慣はない。特に理由はないが、親に貰った名をそのまま活用してきた。そのため、どうしたらいいか分からない。
「ルードルフ……そうね、ルドあたりがいいわ」
「は、はい」
本人の承諾を得て、ルドに決まる。アンネリースは家族が愛称で呼んでいたため、その呼び方をそのまま使うと言い出した。
「私のことはアリスと呼んで」
「……ですが」
陛下は陛下。主君であるからそのような呼び方は。堅苦しく返す未来の夫に、アンネリースは笑顔で命じた。
「人前では陛下でもいいわ。でも私的な時間はアリスと呼ぶこと。これは命令です」
「はっ、しかと承った」
思わず敬礼付きで応じたルードルフに、アンネリースは頬を笑み崩した。しばらくすれば慣れるだろうかと、ウルリヒは眉根を寄せる。慣れてもらわねば困るが、アンネリースが乗り気なので大丈夫だろう。
「おじ様とコンスタンツェ様は明日お帰りだったわね。今夜は晩餐でもてなしましょう」
「もうゼノに羊を捌かせた」
「羊……」
驚いて動きを止めたアンネリースは、彼らが放牧の民だと思い出した。馬や羊、山羊はすべて一族の財産だ。その貴重な羊を、用意してくれていたなんて。
「ありがとう、最高のおもてなしだわ」
過去に学んでいてよかった。政に直接関わらずとも、知っていれば相手を傷つけなくて済む。相手に恥をかかせずに済むのだから。知識と知恵は、時に武力を凌ぐ。
見つめる先で穏やかな目をしたルードルフは、私の武力だ。知識は持つが、謀略に弱い私をウルリヒが支える。何も持たない小娘だった私に、女神パール様は広い世界をお与えになった。
必ずや大陸を一つにまとめ、人々が戦で傷つき泣くことがない時代を築こう。祈りの形に組んだ指は固く、強い決意を示した。
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