36.夫婦ではなく主従関係

「素晴らしい働きだったわ。お疲れ様、ルードルフ」


 疲れを労うアンネリースに、ルードルフは幸せそうな表情を浮かべる。飼い主に褒められた忠犬、ウルリヒは苦笑いしながら二人を眺めた。到底、夫婦には見えない。


 本来なら、他人の恋愛や夫婦関係に首を突っ込むのは無粋。しかし、今回は国の命運を占う重要な局面だ。二人が仮面夫婦どころか、手すら握らない関係だとバレるわけにいかなかった。


 美しいだけでも求婚者が殺到する姫は女王となり、勇猛果敢な獅子と小賢しい化け狐を手に入れたばかり。美味しい餌を逃す権力者はいない。攫われたなら、どんな目に遭わされるか。当事者が一番理解していなかった。


 食われる餌になる気がなければ、夫婦らしく仲睦まじく過ごし、視線だけで互いの意図を汲む程でなければ。ウルリヒはそう考え、淡々と説明した。


「というわけです。賢い女王陛下ならご理解いただけると思いますが?」


 天幕に戻るなり、二人の主従関係のぎこちなさを口にした。きゅっと唇を引き結んで考え込むアンネリースの様子に、ルードルフが激昂した。


「ウルリヒ、なぜそのような事を言う。陛下が混乱なさるだろう」


「混乱していただいて結構です。他人事のような言い方ですが、あなたも同罪です」


 罪があると言われ、ルードルフは顰めっ面になった。女王アンネリースの夫――この肩書きは光栄だ。しかし手を触れるのは恐れ多い。かつて敗戦国の姫として出会った頃から、ルードルフは彼女の芯の強さと美しさに惚れていた。


 下賜すると命じられて、正直嬉しかったのだ。舞い上がりながら連れ帰り、馴染んだ屋敷で我に返った。ここで手を出すのはクズの所業だ。あの方にはもっと相応しい男がいるはず。それまで守る役目を与えられただけ。己にそう言い聞かせた。


「他の男をお望みならば、見繕いますが?」


 好みを言えと迫るウルリヒは、口元を手で隠した。睨みつけるアンネリースは、ふっと緊張を解いた。視線も和らぎ、余裕からか笑みを浮かべる。


「これ以上の夫がどこにいるの」


 探せるものなら探してご覧なさい。言い放たれた言葉に、ルードルフは固まった。今の発言は、俺を認めるものか? この美しく賢い才女が、俺を?


「あ……っ、う……」


 何か言おうと口を開くたびに、言葉を探しあぐねて言い淀む。戦線に立てば勇猛さで右に出る者はない男が、おろおろと困惑して泣きそうな顔で助けを求めた。母性本能なのか、可愛いと思ってしまう。アンネリースは象牙色の手を差し伸べた。


 跪いて恭しく受け、額に押し当てて忠誠を誓う。まさに忠犬そのものの仕草で、ルードルフは声がかりを待った。


「結婚式は盛大に。でも攻め込まれる懸念があるから、残る二カ国を平伏させてからにしましょう」


 貪欲なアメシス王国、他宗教や人種を排除するルベリウス国。鼻先でちらちらと邪魔な二つの国を片付ける。女王の命令に近い発言に、ウルリヒは静かに承諾を告げた。ただし、条件をつけて。

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