35.欲しがるものを握るのは私

 戦争と呼ぶには、あまりに一方的だった。ムンティア王国と同盟を結んだスフェーン王国へ攻め込むセレスタイン国。精鋭を揃えたはずの軍は、数十人の騎馬隊により崩された。


 後世の歴史で、地形を生かした戦術が語られるかもしれない。だが、これは目先の戦術より長期的な視点で捉える戦いだった。常にジャスパー帝国に怯えた彼らは、負け戦に慣れている。逃げ帰ることを恥と思わないほど、士気が低かった。


 スフェーン王国の水が豊かな大地を得て、民から略奪する予定の兵士は、なんとか恩恵にあずかろうと考える。勝ち戦で発生する総崩れの前兆だった。勝てる戦いなら、兵士は危険を回避しようとする。


 誰かが死ぬだろうが、自分は対象外と逃げる選択が真っ先に浮かぶのだ。自分が逃げたくらいで戦況は変わらない。全員がそう考えたら、戦線は崩壊するだろう。覚悟が足りなかった。


 これが自国の命運を分ける戦いなら、後ろに家族がいて守らなければならない戦争なら、彼らも死力を尽くす。他国から略奪するだけの楽な戦いで、命を懸ける者はいなかった。


「あなたの言った通りになったわ」


「女王陛下、人の動きは予測可能です。特に金で目の曇った者は、最短で飛びつこうとする。愚かなことです」


 女王アンネリースに、ウルリヒは淡々と告げた。その声に馬の足音が重なる。駆け戻ったルードルフは、大きな馬から飛び降りて膝を突いた。


「我が君、敵は退けた。ウルリヒの策に従い、掃討はしない」


 セレスタインの兵士が逃げ込んだのは、荒地だ。少し先に砂漠が迫っていた。砂漠の民を、草原で暮らすスマラグドスが追っても、見つけ出せないだろう。最初から追い払うことを目的とした作戦だった。


 煩い虫を追い払い叩くことはあっても、わざわざ巣に首を突っ込む愚は犯さない。アンネリースの指針に従い、スフェーンに侵攻する脅威は払いのけるが、セレスタインを潰す必要はなかった。


「彼らが欲しいのは水、それを握るのは私達だもの」


 水を使って外交をすればいい。いつでも水を止められる有利な地形を活かし、彼らを操る方法を望んだ。策略に長けたウルリヒがいれば、騙される確率も低い。


 手元に駒が揃えば、戦略も謀略も思いのままだった。攻め滅ぼせば、その国の民は恨みを募らせる。一度滅ぼされたムンパールの王族だからこそ、アンネリースは他国との外交による支配を望んだ。


 上下関係をはっきりさせ、逆らえない状況で国を存続させる。滅びていなければ、国が人質になるのだ。過去の歴史から学んだアンネリースは、美しく整えた指先でペンを手にした。


 地図に二つの書き込みをする。同盟国スフェーンに丸を、侵略に失敗したセレスタインへ三角を。


「外交は任せる、と言いたいけれど」


「承知しております。陛下が侮られてはいけません。是非ともご臨席いただきたく」


「ええ、整えてちょうだい」


 話し合いの場を整えたら、私も参加する。アンネリースの命令に、ウルリヒは恭しく頭を下げた。立案時に「危険だ」と口にしたルードルフも、静かに同意する。危険ならあなたが守ればいいでしょう、出来ないの? 一度そう突きつけられた彼に、反論する術はなかった。

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