34.戦さと呼ぶには一方的な勝利
こんなはずがない。セレスタインの将軍は焦っていた。計画では細い谷底を抜けて、隣国スフェーンへ攻め込む。直接向かえば、途中で危険な崖を通らなければならない。
以前はジャスパー帝国の領地だったため、スフェーンへ攻め込むことを躊躇った。通過するだけでも、帝国の逆鱗に触れる可能性がある。だが危険な崖を通るのは、兵力の損傷を考えると避けたい。そういった思惑が重なり、隣国への戦争は忌避されてきた。
やっとジャスパー帝国の脅威が消えたのだ。今ならば彼らに襲われる心配なく、安全な土地を通過できる。セレスタインの王族はそう考えた。その作戦を将軍や各部族長も承認し、この計画は進められている。
豊かな土地を奪い、水を得るための戦いだ。各部族から優秀な戦士を借りていた。セレスタインは砂漠の民が、それぞれ半独立状態で暮らす国だ。国家として形はあるが、部族の力が強かった。
「くそっ、急襲だ! 敵だぞ」
騒いだ声に振り仰いだ将軍は、大きな裸馬を操る集団に悲鳴をあげた。圧倒的な強さを誇るスマラグドスの傭兵団だ。その強さは、ジャスパー帝国すら揺るがすと謳われる。両者が手を組んだことで、帝国の影響力が倍増したとさえ言われた。
ジャスパー帝国最後の皇帝ウルリヒもそれを否定せず、噂を煽り立てた。近隣国はその噂と影に怯えている。
斜面を谷底へ駆け降りる馬は、太く立派な脚で地を蹴った。あっという間に軍の中央を破られる。地形に合わせて細く長くなった隊列は、横からの襲撃に弱かった。だが、そもそもこの谷底で横から襲撃される心配など、誰もしない。
鍛えた軍馬でも、これほどの急斜面を駆け降りることは不可能だった。脚を折ってしまう。スマラグドスが扱う馬は、明らかに種類が違った。脚の太さは倍以上、蹄は鹿のように割れて地を掴む。巨体を活かして体当たりすれば、どんな軍も蹴散らす威力があった。
「逃げろ!」
「退避だ」
部族の戦士の中でも歴戦の者が叫ぶが、逃げ場がなく慌てるばかり。砂漠や草原と違い、谷底から逃げ出すには馬の脚力が足りない。ついには馬を捨てて逃げる者が現れた。
「どこへ逃げれば」
慌てる将軍の前に、一頭の馬が飛び出す。腰を抜かして落馬した将軍は、鼻先に槍を突きつけられて息を止めた。恐怖に身も心も凍りつく。
「生か死か、選べ」
猛将ルードルフの宣告に、セレスタインの将軍はごくりと唾を呑んだ。見つめる先で、鋭い銀色が陽光を弾く。
「降伏、する」
「よかろう、ならば……」
その剣は不要だ。剣帯を切り落とし、槍の穂先で拾い上げた。ルードルフはそれを高々と掲げ、隣の兵が持つ軍旗を槍で貫く。
「スマラグドスのルードルフの名において、降伏宣言を受諾する。武装を解除せよ」
戦いの終わりを告げる声に、同族の勝鬨が重なる。が、一部は叛逆した。怯えて尻込みした将軍を無視し、自分達は別だとばかりに襲い掛かる。その混乱に乗じて、逃げ出す兵も大量に現れた。
「逃げる者は放置せよ。目的は果たした」
ルードルフは淡々と戦後の処理を命じ、谷の上に用意された天幕を見上げる。戦場に降り立った女王に最大の敬意を示し、切り立った崖を愛馬で一気に駆け登った。
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