33.稀代の策略家と猛将の戦盤
攻め込む軍を前に、ルードルフは口元に笑みを浮かべた。高台に陣取ったスマラグドスの数は、敵の二割もいない。圧倒的に不利なはずの戦場で、猛将は口角を持ち上げた。
「行くぞ」
号令というより、小さな合図だった。幼い頃から一緒に過ごした同族は、指先の動きに了承の声を発して馬を蹴る。鞍は付けない。手綱も簡素な革紐だった。
立派な体格の馬は、足が太く大柄だった。種類が違うのだ。支配する関係ではなく、馬と信頼関係を築く。スマラグドスは男女を問わず、相棒となる馬と成長する。普段から心を通わせる馬は、彼らの手足の延長だった。
声や動きで伝える必要さえない。進みたいと考える友人の動きを察して、馬は戦場へ突進した。そこに恐怖心はない。高台から坂を下る馬に、蹄鉄はなかった。自然のまま、自由に生きる馬は崖も駆け降りる。
「うわっ! 横から来たぞ」
「反対にもいる」
叫ぶ敵は谷を抜ける足を止めた。いったん速度を緩めてしまえば、後ろの行軍も止まる。戸惑う軍の中央を、少数の精鋭が食い破った。突破された穴を塞ごうと動くも、前後左右からスマラグドスの勇猛果敢な戦士が襲いかかる。
「屋敷でお待ちになってはいかがですか」
戦場の空気に気押され、目を見開く美女に、ウルリヒは引くよう声をかけた。
「私の夫や戦士を戦場に送り、優雅にお茶でも飲んでいろ、と? 私に愚か者になれというのかしら」
アンネリースはやや青ざめた顔色ながら、気丈に反論した。戦場の空気は怖い。ここで嘘をついて強がっても仕方ない。アンネリースは強がることなく、己の弱さを認めた。だが、怖いからと引き下がる気はない。
自分が命じた戦争で、攻め込んだ敵を排除しておじ様の国を守る戦いだ。ムンティアの領土を踏んで、祖母の国を奪おうとする賊を討伐せよ――命じられたルードルフは目を輝かせ、勢いよく承諾した。
命じられたのが嬉しいと全身で示す猛将は、すぐさま一族を招集する。半数は放牧に出ていたが、残った者が総出で参加した。放牧に出ていた民も、今頃は周辺諸国へ睨みを利かせているはずだ。
「我らが女王陛下に勝利を!」
遠くで聞こえた声に、アンネリースはふっと表情を和らげた。子どもを見守る母親のような、慈愛を感じさせる穏やかな顔だ。見惚れたウルリヒは、静かに膝を突いた。
「まもなく作戦が展開します。完勝の猛将と呼ばれた男の勇姿をお見せしましょう」
自分のこと以上に誇らしげに、ウルリヒはそう告げた。セレスタイン側の動きは筒抜けだ。密偵を出すまでもなく、彼らの策は読み切っていた。はるかな昔、川が流れた谷を使う。スフェーン国の手前まで姿を見られない道で、普段から商人が使用してきた。
何度も同じ手を使うセレスタインは、今度こそ領土を削り取る気でいる。まだ建国したばかりのムンティアが動くことを、想定しなかった。仕掛けは二つ、ルードルフの奇襲は含まれない。
「実行しなさい」
「承知いたしました」
セレスタインの国力を徹底的に削り、戦意を挫く策を献上したウルリヒへアンネリースは一つの条件をつけた。セレスタインが作戦通り動いた場合のみ、策を発動する。その条件を満たしたと確認し、アンネリースは約束通り許可を出した。
圧倒的な強さで敵軍を蹴散らす友人へ、笛で合図を送る。ウルリヒは戦盤の駒を動かすように、予想通りの展開を操り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます