『ささくれと、友情の始まり』KAC20244

ヒニヨル

『ささくれと、友情の始まり』

 俺は今、煙草で一服しながらイジメの現場を見ている。さかのぼること数分前。五人の男子が、校舎裏へとやって来た。引きずられるようにして連れてこられたのは、“眼鏡を掛けたモヤシのような男子”だ。


 あらあら。何が楽しいのかな、弱いものイジメって、俺が思うに本当に悪趣味だと思う。力の強いヤツがよってたかって、抵抗できないヤツをいたぶるって。胸糞悪いんだよね。


 俺は煙草を落とすと、靴のつま先で火を消した。


「モヤシの癖に生意気なんだよ!」

 一番デカいヤツが、殴った拍子に地面へと転がった、モヤシ君の眼鏡を踏もうとしている所だった。


「ちょっとちょっと、眼鏡の下ちゃんと見てる?」


 俺はわざと明るい声を出しながら、落ちた眼鏡のそばに座り込んだ。

「よ、夜先輩ッ」

 イジメっ子どもが、急に現れた俺にギョッとした顔をしているのを感じる。

「眼鏡の下に、可愛いアリンコが歩いているよ? 君たちはこんないたいけな生き物を踏み殺すのかい?」


 奴らはヒソヒソ話し始める。

「……夜先輩って、ちょっと頭おかしい人ですよ」

「急に瞬間湯沸かし器みたいに怒るって、いつも笑ってるのに」

「先週怒らせたヤツが、屋上の柵にお布団みたいに干されていたらしいですよ」


 俺は少しイラっとしたので、眼力強めに睨んでやった——すると一目散に奴らは逃げていった。根性無しだなぁ。


 地面に落ちていた眼鏡を拾い上げながら、俺は言った。

「モヤシ君、眼鏡はすぐに拾わないと。壊れちゃったら困るでしょ」

「——だ」

 何かモヤシ君が言った。声が小さくて聞き取れない。俺は眼鏡を耳に掛けてやる。

「モヤシ君、一人で立てる?」

「……モヤシじゃ無い、僕は、四ノ宮だ」

 モヤシ——じゃ無かった、四ノ宮君は眼鏡のレンズ越しに俺の目をじっと見た。


 久しぶりだな、こんな風に誰かと目と目を合わせて会話するの。最近どうしてか、誰も俺の目を見ようとしない。彼女でさえ恥ずかしがっていつも俯いている——それはそれで、ウブで可愛いんだけどッ。


「しのみや、四ノ宮……ああ、そう言えば」

 名前を聞いて、俺はふと思い出した。

 四ノ宮君は俺を見つめている。

「君って一年二組じゃ無かった? 美月ちゃんが心配していたよ、四ノ宮君のこと」

 俺がそう言うと、あからさまに四ノ宮君はデレた顔になった。頬を染めて——ああ、コイツ。俺は込み上げてくる意地悪な笑みを必死で抑え、平然を装った。


「美月ちゃん、可愛いよね」

「そ、そうだね」

 四ノ宮君は俺から目を逸らして、もじもじし始めた。

「おっぱい大きいし」

 俺は腕を組んで、美月ちゃんの魅力を語る。四ノ宮君は照れくさそうな顔をしながらも相槌を打っている。

「そ……そうですね」

「マシュマロボディーだしッ」

「う……うん」

「恥ずかしがりなところとか、可愛いよねッ」

「そ……そうですね」

「抱き心地が最高なんだよッ」

 俺がそう言ってニッコリ笑うと、四ノ宮君の顔は真っ青になった。


「ごめんね、四ノ宮君。美月ちゃんは俺の女なのッ」

 必死にニヤニヤ笑いを抑えながら、俺はとても申し訳ない顔をした。


 心無しか、イジメに遭っていた時よりも、四ノ宮君は元気がなさそうに見えた。彼の落胆を物語るように、眼鏡がズレた——俺は眉尻を下げて、憐れむような表情でそれを見つめた。


 しばらくすると、四ノ宮君はおもむろに片手を持ち上げて眼鏡を直した——おや、おや? 彼の右手の親指に、かなり大きく剥けた“ささくれ“があった。俺はポケットをゴソゴソとあさる。

「四ノ宮君、ちょっと待って。親指剥けてるよ」

 四ノ宮君は少し警戒するような面持ちで、身を引いた。俺はそんな彼の手を、少し自分の方へ引っ張ると、

「バンドエイド貼った方が良いよ。そのままも、剥いちゃうのも痛いからさ」

 彼の親指にバンドエイドを貼ってあげた。


「サビオ」


 四ノ宮君が急に喋った。よく分からない言葉を言っている。俺が頭を捻っていると、彼はもう一度「サビオ」と言った。


「何それ、ホモサピエンスの略語的なヤツ?」


 俺は本当に分からなくて、四ノ宮君の目を見つめた。彼は俺が貼った“バンドエイド”を見せながら「サビオ」ともう一度言った。


 えっと、つまり——そう言う事か!

「四ノ宮君はバンドエイドを“サビオ”と呼ぶんだねッ」

 彼は頷いた。へぇ、そうなんだと思いながら、「俺の言葉にイチャモン付けてくるヤツ、久々だなぁ」と言った。俺は何だか楽しくなっていた。


「サビオ持っているの、意外」

 四ノ宮君がぼやくように言った。

「男子がバンドエイド持ってるのって、好感度上がるのよッ。美月ちゃんも、俺のこと『優しい男の子』って言ってくれるよ?」

 俺の言葉に、四ノ宮君は分かりやすい失恋顔で応えてくれた。


 四ノ宮君は、ゆっくりと立ちあがろうとしたが——かなりボコボコにされていたので、一人で歩くのが辛そうだった。

「一年二組まで送ってあげるよ、四ノ宮君」

 俺はそう言って、彼に肩をかす。

「……ありがとう」

 躊躇いがちに、四ノ宮君は言った。


 その時、近くの茂みで何かが動いた。四ノ宮君の腕を肩にまわしながら「なにッ、何なに?」俺のその声に驚いたのか——茂みから側溝へと、駆けていくものが見えた。


「ネコ? タヌキ? 四ノ宮君見えた?」

「アライグマですね。足と耳に白、尻尾に黒い横縞、眉間に黒い縦ラインが入っていたから」

 スラスラと話す四ノ宮君に、俺は驚きを隠せない。

「今の一瞬でそこまで判別できる? ……俺、ネコとタヌキとアライグマの違い、分からないよ」

「さすがにそれは無いでしょう」

 そう言った四ノ宮君は、学校の緑色のフェンスの向こうにいた黒っぽい動物を指差した。


「夜先輩、アレが何か分かります?」

「うーん……タヌキ?」

 俺たちが見ていた生き物は、こちらに気がつくと「にゃあおん」と鳴いた。



 一年二組の教室へと移動した俺たちを見て、教室の奥から駆け寄ってくる姿が見えた。ゆとりの無いブラウスに、うっすらと透けるブラ。今ここにいる全男子があの胸に釘づけになっているのが分かる。たゆんたゆん。

 俺の天使、美月ちゃん。今日もものすごく良い匂いがする——俺は起立しそうな“あいぼう”を浅めのラマーズ法で抑えると——笑顔を作った。


「夜君、どうしたの?」

「四ノ宮君がオイタされててね、助けてあげたんだよ」

「夜君、優しいね」

 美月ちゃんが躊躇いがちに、俺の方をちらっちらっと見た。とっても可愛い。

 あまりこちらから見つめると恥ずかしがって逃げちゃいそうだから、俺は目を合わせずに、ニッコリと笑って目を細めた。


 四ノ宮君を美月ちゃんに預けて、自分のクラスに帰ろうか——と思った時だった。


「夜君、ちょっと待ちたまえ」


 腹の底から出された、滑舌の良い声音。俺の身長より数センチ上から見下ろすそのかんばせを、恐ろしくて、俺は仰ぎ見ることができない。ああ、何の件だろう。心当たりが有り過ぎてわからない。


「夜君、君は僕のを鞄から勝手に抜き取りましたね?」


 学校で唯一、俺にあれこれ厳しく言い放つことができる男——犀川先輩。頭が良すぎて授業中先生を困らせる為、もっぱら校長室で校長先生とお茶を飲んで過ごしているという噂がある。

 表向きは眉目秀麗、成績優秀で非の打ち所がない人だが——裏ではギャンブルで荒稼ぎして、女子をはべらせているとか。

 以前、犀川先輩が鞄から落した煙草を拾ったご縁で、俺は時々持ち物を拝借している。


「夜君、あなたにはお仕置きが必要なようですね」

 そう言い放った犀川先輩は、俺の後ろ襟を掴んだ。怒気をはらんだ言葉と、圧がすごい眼差し——直視なんてとてもじゃ無いけど、出来ないよ。

「俺はすっかり、借りてきた……」

 タヌキ? ネコ? アライグマ? 状態だ。


 しょんぼりしながら犀川先輩に連れて行かれる俺。その後姿に、四ノ宮君が今日イチの声で「ネコ!」と叫んでいた。



     Fin.





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