指がささくれ立った女

平井敦史

第1話

「指がささくれ立った女? 何だそりゃ」


 俺がその話を初めて聞かされたのは、会社の昼休みに後輩の藤田ふじたしゃべっている時だった。


「知らないんすか、先輩。最近噂になってるんすよ」


 弁当を食いながら、藤田が言う。

 こいつは少々お調子者だが、意外と仕事は堅実だし、悪いやつではない。お調子者だが(大事なことなので以下略)。


 ちなみに、今俺が食っているのはコンビニのチキン南蛮弁当で、藤田が食っているのはお手製ハンバーグにアボカドのサラダまで入った愛妻弁当だ。

 大学卒業と同時に結婚し、二年近くった今もラブラブなのだそうだ。爆発すればいいのに。


「ほら、松ノ木台まつのきだいに廃病院があるじゃないすか」


「ああ、あの統廃合で閉鎖されたやつな」


「そう、それ。ある時、タクシーの運ちゃんが深夜に陰気な女性客を乗せて、行先にあそこの前を指定されたんだそうですよ。ほら、あの辺て他に何があるわけでもないし、一体何の用なんだろう、話しかけてみても生返事なまへんじしかしないし、薄気味悪い客だなあ、と思いながら目的地について、タクシー代を差し出された時、女の指を見てみたら、ひどくささくれ立っていたんですって」


「はぁ? だから何なんだよ。指にささくれが出来るくらい、誰にだってあるだろう」


「そりゃそうっすけどね。深夜に女の人が一人であんな場所に行くって時点で怪しさ爆発じゃないっすか」


「先にお前がば……いやまあ何だ。肝試しが目的だったのかもしれないだろ」


「女の人が一人でですか? それに、肝試しに行くのにタクシーなんか使います?」


「そりゃあ……。オカルト系の配信者かなんかで、ふところうるおってたんじゃねえの?」


「いや、そっち関係の機材を持ち込んでたら運ちゃんも気が付くっしょ。で、話はそれだけじゃないんすよ。他にも、あのあたりで指がささくれ立った女を見たって話はいくつかあって、ある人なんか、車であの辺を通りかかったら指がささくれ立った女が走って追いかけてきたとか……」


「待て待て待て。走って車を追いかける女っていう時点でアレなんだが、何でその状況で指にささくれがあることがわかるんだよ!」


「そこがホラーなんすよ」


「『ホラーだから』で納得できるお前の頭の構造の方がよっぽどホラーだわ」


 都市伝説と呼ぶにもあたいしないくだらない話。――その時はそう思っていた。



 それからしばらくして、異動する課長の送別会が開かれた。

 その席でも「指がささくれ立った女」の話題が出て、藤田以外の連中も噂は知っているらしいことに驚かされた。


「何でも、指にささくれが出来ていたことが原因で彼氏に振られて自殺した女の人の霊だって話ですよ」


 仕事の時は生真面目きまじめで、いかにも「出来る女」という風情ふぜいな眼鏡美人の大西おおにしさんまで、そんな与太話よたばなしを口にする。


「いや、その程度のことで別れ話にはならんでしょ」


「えー? だってそんな手で触られたら、ねぇ?」


 そう言って大西さんがころころと笑う。大分酔ってるな。中ジョッキなまちゅうもお代わりしてたし、そのカルアミルクも少なくとも二杯目以上だよな?

 てか、どこを触るんだよ。



 独身仲間の木谷きたにたちと二次会に行き、いささかやけくそ気味に盛り上がった後、俺はましに歩いて家路いえじについた。

 こっちの方が近道だったはず、などと酔った頭で考えながらふらふら歩いていると、そこは松ノ木台まつのきだいのあたりだった。

 周囲には街灯も少なく、三日月のぼんやりした明かりの下、廃病院の黒々とした影が目に入る。


「やべえな。雰囲気あり過ぎだろ」


 思わずそう呟き、さっさと通り過ぎようとする。

 そうしてふっと横を見ると――何故そんな状況で脇見わきみをしようとしたのか、自分でもわからないのだが――、暗闇の中に女が一人たたずんでいた。


 ヤバい――。


 本能的にそう感じて、足早に通り過ぎようとするが、何故か俺はその女の挙動を注視してしまっていた。そして、女がこちらに歩み寄って来て右手を突き出す。


「ひっ!!」


 俺は悲鳴を上げて、その場から駆け出した。


 見てない。見てない。俺は何も見ちゃいない。女の指先がささくれ立っていたのなんて、見ちゃいない。


 夢中で走る。

 一応民家はあるが、ほとんどは消えているし、起きている住人がいたとしても、こんな深夜に助けを求めるわけにもいかない。

 どのくらい走ったかわからないが、ふと顔を上げると、こんな時間でもまだやっているスナックが目に入った。


 看板には「Le Picot」と書いてある。フランス語っぽいが意味はわからない。


 中に入ると、落ち着いた雰囲気のママさんが「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれた。


「こんな時間にすみません。水割りを一杯ください」


 すっかり酔いがめちまったぜ。

 俺はカウンター席に腰を下ろし、ほっと一息ついた。


「おやおや、どうかされましたか?」


 ママさんがそう言いながら、水割りのグラスを差し出してくれる。

 それを受け取ろうとして、俺は凍り付いた。

 ママさんの指は、ひどくささくれ立っていたのだ。


 ママさんの顔はにこにこと――場違いなくらいににこにこと微笑んでいる。


「指にささくれが出来るくらい、誰にでもあることじゃないですか」




 その後どうしたのか、記憶はない。

 その場から一目散に逃げ出したのか、それとも味も何もわからぬまま水割りをあおり、お代を払って店を出たのか。


 その後聞いた話では、そんな場所にスナックなど無いということだった。



――Fin.



-----------------------------------------------------------------------



「picot」はフランス語で材木などのそげ、ささくれの意味です。人の手の指にできるのには使わないようですが、こまけえことは気にすんな。


それと、どうでもいい裏設定。

藤田の愛妻は、『だから開けるなと言ったでしょう』の優子です。例の一件の後、ショックでしばらくふさぎ込んでいたのですが、バイト先で出会った二歳年下の藤田に慰められ、彼の大学卒業と同時に結婚しました。

ついでに、出来る女な眼鏡美人の大西さんは、あの時優子と一緒にいた眼鏡の女性と同一人物。二人は高校時代からの友人です。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

指がささくれ立った女 平井敦史 @Hirai_Atsushi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ