変化:あれから(終)

「サンビタリア、僕の話も聞いてくれる?疲れてない?」




リュート様は少しこちらの様子を伺うように聞いてきた。こんなにキチンと見つめられたのは初めてで、鼓動がどんどん早くなる。




「……と言っても、何から話そうか……」


「り、リュート様」


「ん?」




おそるおそる声をかけると、リュート様が「なあに?」と聞こえてきそうなくらい柔らかい表情で続きを促してくださる。なにこれ、夢?実はまだ目覚めてなくて夢なの??


でも、夢だとしても私が先ずするべき事は変わらない。




「実験の邪魔をし、多大なご迷惑をお掛けしたかと存じます。誠に申し訳ございませんでした。」




寝台の上で平身低頭しようとする私を、リュート様が慌てて止める。


「大丈夫だよサンビタリア。実験も前半は終わっていたし振替日の申請も終わってる。むしろ大事にすべきはキミの体、まずはその説明からしよう」




リュート様はそう言いながら椅子ではなく寝台の縁、居住まいを正した私の側に腰を下ろし、私の手を握った。


「!?!?」


「だって、こうしないとキミはまた頭を下げ始めそうだから」


苦笑したリュート様はそのまま話を続ける。


「君の体ははっきり言ってボロボロだ。薬も過ぎれば毒になる。回復系の術式をかなりの頻度で自分にかけてたでしょ?使いすぎて体に負担がかかって中毒症状が起きてる」


なるほど、だから自分に回復系の術式を使うと頭痛や眩暈が起きてたんだなと納得していたら、恐ろしい一言が聞こえた。


「医務室に運ぶ際に話が行ったらしくてね。こちらから報告する前にサンビタリア家から意見書が飛んできたよ」




冷や水を浴びたかの様に身が竦み、心臓が跳ねる。リュート様の顔が見れない。


サンビタリア家は伯爵家。水の聖女を擁し、国内でも発言力の強い魔術の一族。そのサンビタリア家との軋轢はリュート様にとって痛手でしかない。


そしてサンビタリア家と揉める事で、もう一つリュート様が困ることがある。


「お、お姉様との研究は……?私、本当になんとお詫びしていいか……」




声も、肩も、どこもかしこも震えが止まらない。


だって、リュート様はずっとあの研究を楽しみにしてらした。根回しも下準備も沢山して、ようやくここまで来たのに……!


あまりの申し訳なさと情けなさに血の気が引いて涙が出そうになるが、自分の不始末で泣くわけにはいかなかったので懸命にこらえる。


ぎゅ、とリュート様の手が私の手をしっかりと握りなおす。


「安心して。キミの姉君との研究は行うよ。本当に大丈夫」


 


取り乱していた私が少し落ち着いた頃、リュート様が口を開く。


「それよりも、僕こそ君に謝らせてほしい。」




リュート様は寝台から静かに降り、床に片膝をついてから私の手を改めて握りなおす。


まっすぐ真剣な顔でこちらを見る様は、まるで婚姻の申込の様で少しだけ頬が熱くなる。


「君がここまで体調を崩すまで気付かず、本当に申し訳なかった。監督不行届きの愚かな上司だ……だけど、キミがもしまだ僕に愛想を尽かしていなければ、これからもキミにそばに居てもらいたいと思ってる」




あまりにも私に都合のいい言葉が聞こえたので理解に時間がかかっていると、「本当は」とリュート様が言葉を続ける。




「本当は、ずっと前からキミの異動について打診は来てたんだ。キミの補助系と回復系術式の能力の高さは実戦部隊からすれば喉から手が出るほど欲しいものだし、事務方からも普段キミが作った書類や関係各所との連絡連携を見て即戦力として欲しいって何度も頼まれてた」


「それ、本当に私のことですか……?」


「君のことだよ、カレン・サンビタリア」




リュート様が眩しいものでも見るかのように、私を見る。こんなに表情豊かなリュート様を見るのは初めてで、さっきとは違う意味で心臓が跳ねる。




「ずっと断ってた。自分でもどうしてこんなに頑なに断っているんだろうって不思議だったんだけど、君がいない日常を想像することがどうしてもできなくてキミの耳に入る前に却下してた。


この5日間もキミ無しだと、どことなくぎこちなくて……」


「い、5日間!?私、そんなに寝ていたんですかっ!?リュート様はどこでお休みに!?」


ついさっき気を失って目覚めたのだと思っていたら、まさかそんなに日数が経っていると思わずとても驚いた。


思わず質問攻めにしてしまったけれど、リュート様は嫌な顔ひとつせず教えてくださる。




「最初は医務室に寝かせて容体を見ていたんだけど、3日目からはこの部屋に。応接室のソファーも案外寝心地がいいから安心して」


「そんな、リュート様のお手を煩わせるなんて、自室に寝かせていただけば――」


「一人部屋は駄目。床ずれしないよう寝姿勢を変えたり目覚めたらすぐ対応できるように準備したり、案外やることあるんだよ。それにキミから目を離したくなかった、だからこの部屋にした。」




そうおっしゃるリュート様の言葉一つひとつがとても柔らかく、私に響く。




「多分……本当に多分で申し訳ないんだけど、僕はキミのことを好ましく思っているんだと思う」


「――え?」


聞き間違いかと思った。リュート様は魔術以外に本当に興味がない。だからこそ、過酷な条件で、事実上の軟禁のような目に合いながらでここで生活できているといっても過言ではない。


お姉様のような魔術の研究対象だったり、リーリのような研究について話を交わす相手以外になにかしらの感情を強く持つこと自体珍しいというか、ほとんど見たことはなかった。




「リーリにね、言われたんだ。『サンビタリア様の話をするときのリュート様ってお顔が柔らかくなりますね』って。どうしてだろうってずっと考えてた」


リュート様が立ち上がり、また私の側に腰を下ろす。左手は私の手を握ったまま、右手で私の頬に触れる。


「キミが笑顔で僕のそばにいると、心が凪ぐんだ。顔色が悪いと心配になるし、どうにかしてあげたいと思う。キミが寝込んだ5日間は目の前が灰色に染まったように味気なかった。それに……」


私の顔を覗き込んだリュート様が、ふっと笑む。その笑顔が本当に綺麗で、初めて見る表情ばかりが続いて、私の鼓動はもはや走っているときのように高鳴っている。


頬も耳も熱いので、多分首から上は真っ赤だろう。


「可愛いって、こういう時に使う言葉なんだろうね。真っ赤な顔で一生懸命に僕を見るキミの頭を撫でて、抱きしめたいなって感じてる」


「かわっ……!?だきっ……!?!?」


「ねぇ、抱きしめてもいい?そうしたらこの気持ちがなんなのかはっきりすると思う」


「~~~~~~っ!!」




婚前の男女がそんなことしていいのかとか色々なことが頭をよぎったが、リュート様にお願いされて断るという選択肢は私の中に存在しない。


私がぎゅっと目を閉じてゆっくりと頷くと、リュート様は私の体に腕をまわす。


抱きしめるというより、腕の中にしまい込まれるように包まれた。細身に見えるリュート様だが、腕の力強さや胸板の硬さ、肩の広さでやはり男性なのだなと実感する。


早鐘を打つ心臓から沸騰した血液が全身を巡っているような感覚に、少し目の前がクラクラする。


リュート様はそんな私の様子を見て満足そうに笑っていたが、そのまま耳元で囁くように話しかけてきた。




「ああ、可愛い……きっとこの感情がきっと”好き”ってことなんだね。ねぇ、カレンって呼んでいい?」


「は、はひ……」


「ねぇ、これからも僕の補佐でいてくれる?」


「りゅ、リュート様にお許しいただけるなら喜んで……!」


「じゃあ、ゼフト部長とサンビタリア家にはそう返事をしよう。あと、これからは絶対に徹夜しないで、体調がおかしかったらすぐに僕に報告できる?」


「承知しましたっ……!」


耳元にあたる吐息の温かさに、夢や幻想ではなく現実なんだと理解するが頭が追い付かない。


目を開けたら情報過多で気を失ってしまいそうで、ずっと閉じたままだ。


それでもリュート様のお言葉には答えねばと、必死の思いでお返事をする。




「あ、あとカレン、僕と婚約してくれる?」


「――――――――はい??」


思わず目を開ける。いまこの方は何と言ったのか。婚約??


少しだけ冷静になった、でもやっぱり茹った頭が思いついたことをそのまま口から出す。




「もしかしてサンビタリア家から、何か言われました?」


「――確かに、今回の一件を受けて、キミの姉君との研究続行の条件の一つに”カレンについて責任を取ること”と条件付けされたのは否定しないよ。でも」


お互いの顔が見えるように体を少し離したリュート様が、私を覗き込む。リュート様の瞳に映る私は、不安そうな顔をしていた。


対して、リュート様はとろけるような笑みを浮かべている。


「渡りに船だよ、今回の件で引き離されるかもと思ってたから。遠慮なくキミを囲い込める」




リュート様のおっしゃったことは、実際に私も頭の片隅で考えていた。


サンビタリア家に生まれていながらこの失態。父の耳に入っている以上、補佐を下ろされて傍系に嫁入りという名の厄介払いをさせられるのではと危惧していた。


逆にどうしてリュート様に「責任をとれ」なんて意見書が届いたのだろう……?




「カレン」


少し考え事をしていたら、リュート様から声を掛けられる。


もともと綺麗目なお顔立ちをしているので、とろけるような笑みを浮かべたそのお顔は怖いくらい美しい。


「カレン、返事を聞いてない。」


「し、失礼いたしました……!あまりのことに少々気が動転してしまって……」


「そう、突然だからね。でもダメ。ちゃんと返事して」


リュート様が私の髪を一房手に取り唇を落とす。赤茶の瞳が獲物を狙う猛禽類のように光ったような気がした。


その姿があまりに恰好よくて、しどろもどろになりながら答える。




「わ、私でよければ……本当に私でいいんですよね?補佐も、えぇと、は、伴侶、も……」


「うん。カレン。君がいい」


一つ深呼吸。これからのことについて、不安がないわけではないけれど、きっと大丈夫。




「謹んでお受けいたします。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします!」




だって、リュート様が大好きな私のまま、この方に尽くすという事は変わらないはずだから。

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