変化:朝
あくびを噛み殺しながら廊下を進む。
窓から差し込む朝の陽の光が、普段なら活力を与えてくれるが今は体を蝕んでくるようだ。
昨夜は契約書を確認したリュート様と研究計画書について修正事項など全て確認した後、リュート様がお休みできるよう退室し自室に戻って清書作業に入った。全て書き終え四つ目綴じした頃には、夜明けになっていた――要は徹夜である。
自分の睡眠よりリュート様の食事の方が大事なので、湯浴みして着替えたらすぐにお食事を届けに行った。
ついでに研究計画書の最終確認もしていただけたので、今は提出のため技術部長室に向かっている。
とりあえずポーションと回復術式、状態異常回復を使ってはいるが眠気が取りきれない。
熟練の聖職者や魔術師なら、寝ないで数日全快状態を保てるはずなのでやはり実力不足なのだろう。
そっとため息をついてからつい俯きがちになっていた顔を上げると、廊下の少し先でリーリが真剣な顔でこちらを見ていた。
「おはようございますサンビタリア様。少々お話よろしいでしょうか」
「何かしら、ローゼス」
本当は全くよろしくないが、真剣な様子から大切な話なのだろう。諦めて話を聞くことにした。
リーリは私の顔をしっかり見て、迷わず言った。
「私、リュート様のおそばで仕事をしたいと思っています。部隊長と技術部長にも何度も要望をお出ししております」
「……は?」
「昨日、リュート様とお話をさせていただいて決心がつきました。技術顧問付きとなれるよう、さらに勉学にも励み、部長たちに絶対に認めさせます!」
突然言われた事が理解できず固まっていると、リーリはぺこり!と音がしそうなくらい深く頭を下げてくる。
「急にこのようなお話申し訳ございません。どうしてもこの決意をお話ししたかったので……失礼いたします」
棒立ちして何の反応も返せない私の隣を、リーリは颯爽と通り抜けていった。
全身が心臓になったのではないかというくらい鼓動が耳に響く。息がうまく吸えない。
動揺しすぎて頭が真っ白になっていたが、少し我に返って状態異常回復の術式を己にかける。
スゥッと息が整い、鼓動も落ち着いていった。
ほんの少しだけ眩暈が残っているが気にしている場合ではない。
アレは、リュート様の補佐に相応しいのは自分だって意味よね……?
頭の中でリーリに対して反論を試みるべく、私の方が補佐に相応しい理由を必死にアレコレ考える。しかし脳裏に浮かぶリュート様とリーリの二人が楽しそうに議論する光景に、思いついた「理由」は全て叩き潰された。
魔力量は私と大して変わらないが、微細なコントロールが出来るリーリは実験の役に立つだろう。
リュート様についていけるだけの研究に対する情熱と博識さ、勤勉さはどちらが上か比べるまでもない。
でも、でも……!
私だってリュート様のお側にいたい。お役に立ちたい。
あの方の魔術に対する姿勢が好きだ。才能ある方なのに決して驕ることなく、どんな身分で才能がない人間でも魔術に対し真摯に取り組んでいるならば決して嘲笑うことなどない。
内面はもちろん赤茶色の髪も、お顔立ちも、声も、全部全部大好きなのだ。
その気持ち自体は決して負けないはずなのだ。
リュート様の実益を考えたら私が退くべきとすぐ分かることなのに、リュート様への想いが私を今の立場にしがみつかせる。
本当に好きなら相手を思って手放せるはずなのに、どうしても出来ない。そんな自分に嫌気がさしながらもまずは手に持つ計画書を届けようと思考を切り替えた。
仕事をしよう。今まで以上に、役に立たない無様なところは見せられない理由ができたのだから。
コンコンコン、とノックすると「はい」と深みのある声が返ってくる。
「失礼します」と声をかけながら技術部長室の戸を開くと、壮年の男性がデスクからこちらを見ていた。
やや細身で枯れた雰囲気だが話しやすい柔和さも持つ。
国立軍魔術団技術部長 ゼフト様だ。
「おはようサンビタリア。君の姉君の件かな?」
「さすがですね部長。左様でございます」
「昨日はサンビタリア家に行っていたんだろう?君のドレス姿を見かけた若いのが盛り上がってたよ」
部長の話に思わず苦笑いを返す。
軍にはリーリや私のように女性もいるが、男性に比べれば少数で服装も制服ばかりだ。そのため着飾っている女性を間近で見る機会は少ない。
警邏任務など社交会場で見かけることは勿論あるが、自分たちのテリトリーたる技術部棟で同僚の一人が着飾っているのはどうやら物珍しかったようだ。
「はい、ご推察の通りです。こちら早速ですが実験計画書の改稿をお持ちしました」
「本当に早速だね、昨日の今日じゃないか。ちゃんと寝たかい?」
問われた内容にまた苦笑で返す。徹夜しましたなんて言ってしまえば上長のリュート様に監督不行届で注意がいくし、かと言って寝ましたと平気で嘘をつくのもどうしても苦手だった。
肯定も否定もせず苦笑と沈黙で答えた私に、ゼフト部長の表情が曇る。
「サンビタリアの顔に免じてリュートには何も言わないでおくが…………代わりに一つ、きみに考えて欲しい事がある」
「なんでしょうか?」
この空気を回避できるならばとやや前のめりに聞いた私対し、ゼフト部長は表情を曇らせたまま告げた。
「まずは考えるだけでいい。リュートのもとから、より補助魔術や書類仕事のような君の特性を活かせる部署に異動する気はないか?」
話の内容を理解するより先に、呼吸が止まり血の気が引いていくのがわかる。視界が歪んでいく。
先ほどのリーリの話がフラッシュバックする。そういえば、リーリはゼフト部長にも打診してるって言ってた。本当に、私は、リュート様の補佐を外されるの……?
どうしようどうしよう、何か返事をしなきゃ、息の仕方が思い出せない。どうしようどうしよう考えて息をして返事を――!
「……リア、サンビタリア!」
気がつくと、ゼフト部長が目の前にいた。私に状態異常回復の術式をかけたのだろう。一瞬で全てが戻ってきて、目眩も残らない。
本物だ、本物の回復術式だ。自分との実力差を痛感する。そもそも本当だったら回復・補助系術師は動揺する前に無意識下で回復術式を発動しなければならない。己の回復が遅れることは前線系の味方の回復がそれだけ遅れることを、場合によっては死を意味するからだ。
私も基礎中の基礎として体に叩き込んだはずなのに、朝からそれすら出来ない自分を恥じる。
体が本当に思い通りに動かない。最近は特にそうだ。
ゼブト部長が心配そうな顔で私を見ている。
私の術者としての程度の低さが露見してしまい、情けなさに頬が熱くなり涙が滲む。身体が、声が震える。
こんなことではリュート様の補佐を降ろされるのも時間の問題かもしれない。
「も、申し訳ございませんが、い、いまはリュート様の側を離れるつ、つもりはございません!」
「わかっている、急にすまなかった。返事は求めていないから安心しなさい。まずは考えるだけでいい」
挨拶もそこそこに、転げるように部長の部屋から出た。
せっかく状態異常回復をかけても、次から次から心が揺さぶられて不調が出てくる。どうしてだろう。
それでも、そんなことは些細なことだ。リュート様のお役に立たねばと言い聞かせて改めて状態異常回復を自分にかける。
眩暈が残っているか確認するのも怖くて、今日予定されている実験場まで走って向かった。
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