日常:夜

夕食後、お母様に食後のお茶まですすめられたが流石に辞退して技術部棟に戻り、そのままその足で顧問室――リュート様の部屋に向かう。


『何時でもいいからサンビタリア家から戻ったら結果についてすぐに知らせて』という言葉を忘れてはいない。家で食事してしまったことに罪悪感を感じないわけではないが、どうせあの時間帯はリーリが居て落ち着いて話せなかっただろうからあまり気にし過ぎないようにした。




まだ話をしているかもしれないので、ノックしてからゆっくりと応接室に入る。


朝は綺麗だったはずの部屋は文献やメモ書きが散乱していた。メモの中には魔法陣の草案や計算式も見える。かなり白熱した議論だったようだ。


リーリの姿はすでに無く、リュート様は応接室のソファーに座り口元に手を当て何か考え事をしているようだった。




そのあまりに真剣なお姿に、つい見とれてしまった。リュート様はかなり深く考え込んでいるようで、私が入ってきたことにも気付いておらず微動だにしない。


応接室は時が止まったような静寂に包まれたが、はたと正気に戻った私が軽く咳ばらいをすると、リュート様もハッとしたようにこちらを見た。




「カレン・サンビタリア、ただいま戻りました」


私はいつもの癖で軍式の一礼をするが、すこし違和感を感じる。そういえばドレスのままだった。




「…………っご苦労さま、父君の返答は?」


何故か間を開けて、リュート様から言葉が返ってきた。気のせいか、少しぼうっとされていたような……?


体調がすぐれないようであれば、話の後で及ばずながら回復系の術式をかけさせていただこう。




「はい、父からは良い返事を頂戴できました。こちらが提示しておりました条件と併せ、父からの要望を盛り込んだ契約書を預かってまいりました。


こちらの内容でよろしければサインと押印を頂戴できればと存じます。ご確認の程お願い申し上げます」


「そう、良かった。早速読ませてもらうよ。そのまま研究計画書の改稿もしてゼフトに提出しよう」




ゼフト様とは技術部長、文字通りの技術部の最高責任者だ。


リュート様は技術部『顧問』。技術部としての業務を行うのではなく、国がリュート様を囲うために作った名誉研究員のような役職だ。そのような立場の方なので、本来であれば技術部長とは対等の関係にある。


しかし予算申請や実験施設の借用申請、人手がいる調査・実験の際は技術部員の魔術師をお借りしたりと実務で大変ご協力いただく相手なので、今回の姉の件の様な国に関わる重大な研究については密に報告・連絡・相談をする必要がある。その方が何事も円滑に進むことを分かっているのだ。でも……




「リュート様、差し出がましいようですが、先ほどのご様子から察するにローゼスとお話しされた内容に集中されたいのでは……?」


研究が大好きなリュート様は一人で考察し思考の整理をすることももちろん多い。でもあそこまで考え込み、集中しているリュート様は珍しい。もし本当にやりたいことがあるのなら、少しでもそちらに割く時間を増やして差し上げたい。




「失礼ながら少しお疲れのようですし、契約書をご確認いただいて、サインと押印までいただければ私が計画書の修正案を作成いたします。リュート様にはご確認だけ頂ければ清書もこちらで行いますので……」


「サンビタリア、キミは……」


リュート様は軽く目を見開き、しばらく私のことを覗き込むように見つめていた。かと思えば肩の力を抜いてソファにそのままもたれかかる。




「ありがとうサンビタリア。キミの言葉に甘えるにしてもまずは契約書の確認からだね、お茶を淹れてくれる?」


「はい!集中できるような効能のハーブティでよろしいですか?」


「お願いするよ……ああ、そうだ、キミが普段入れる柑橘の香りが強いお茶は、赤茶色の缶で合ってる?」




話しながら二人で隣の執務室に移動し、棚の中のお茶セットを出して用意し始める。執務室に常備しているのは、単純に執務室に居る時間が一日のうちで一番長いためだ。


執務室に茶器と茶葉さえあれば、リュート様も私も水魔法で冷水から熱湯まで調節して生成することができるので飲みたいときにお茶が飲める。


今までお茶をお出ししてきた中での所感でしかないが、リュート様は香りの強いお茶、特に柑橘の香りがお好きなようなのでその系統は何種類か用意してある。


件のお茶は、一番お気に入りの皮の苦みが少し強めのものの事だろう。缶の色がリュート様の髪色そっくりな赤茶色のため、私は缶もお気に入りだ。




「はい、そちらの缶で合っておりますが何かございましたか?」


「リーリに振舞おうと思って淹れたんだけど、いつもと同じ味にならなかったんだ。今度淹れ方教えてくれる?」


「……承知、しました」




――ああ、リュート様が淹れてくれるお茶なんて、私も数えるくらいしか飲んだことないのに。




顔に出さないように、胸の軋みをなかったことにするために状態異常回復の術式をこっそり自分にかけ、お茶をお出しし机に契約書を置く。


リュート様が契約書を確認している間少し応接室を片付けようと、一声かけて部屋を移った瞬間軽い吐き気と眩暈がしてきた。


それもすかさず回復術式をかけたが、眩暈が少しだけ残ってしまった。




こんなことではお疲れのリュート様に回復術式をかけることは難しい。不十分な術をかけた場合を想像して、申し訳なさと未熟であることを失望される恐怖に包まれる。


いつになればリュート様のお役にたてていると自負できるだけの実力が備わるのだろうと、少し泣きたくなった。

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