日常:夕刻

ガタガタと馬車に揺られながら物思いに耽る。


実家である伯爵家に向かうため、普段の軍服ではなく久々のドレスだ。




結局あの後は先に報告書を書き終えたリーリを仮眠室で待たせ、リュート様と手分けをしながら書類を作成して提出した。


今頃はリュート様とリーリの2人で議論に花を咲かせているだろう。


そのことを想像すると、すこしだけ胸に靄がかかる。




(リュート様の魔術に対するあの姿勢が大好きだったはずなのにな……)




リュート様と私の出会いは3年前に遡る。


国立学校にたまたま特別授業でお越しになったリュート様に、生徒であり学科で成績優秀者だった私は教えを乞う時間を頂けたのがきっかけだ。




当時の私は、自分自身に絶望していた。素晴らしい才能ある姉と名家サンビタリアに恥じぬように在りたいのに、一般的には多い方という程度の魔力量と使いこなせない数々の術式。


なりたい自分となれない自分の間で押しつぶされそうで、少しずつ食べ物が喉を通らなくなり、骨が浮き始めていた。


リュート様の指導時間を別途取っていただけたのは、そんな私の状態を察して心配してくださっていた先生方のご厚意によるものだった。




リュート様は、私が一族の皆んなのような最前線に立つタイプではなく、サポート向きの術者であることを見抜き的確な方向性を見出してくださった。




「キミが使いたがっていた主力の術式とは確かに違う。けど、支援系の術式が得意というのは誰かの役に立てる素晴らしい才能だよ」


「魔力コントロールがとても上手いね。キミの魔力コントロールについての課題レポートをさっき読んだ。きっと理論を正しく理解しているからこそ自分で体現できているんだろうね」




家族は皆んなすごい術者で補助や回復なんて要らない実力者ばかりだったから、そんなことに気付けなかった。


お父様もお姉様も、弟すら数多の術式を使いこなすので、学科でも実技でも誰にも魔術について褒めてもらったことがなかったから、嬉しかった。




誰も口には出さなかったが、明らかに一族の落ちこぼれだった私。そんな私にとってリュート様の指し示してくださった方向はまさに光明だった。


"誰かの役に立てる"ことが素晴らしい才能なら、私はこの人の……リュート様の役に立ちたい。


そう思って国立軍に入り1年かけてリュート様の部署を希望し続け、父の口添えもありリュート様の補佐に収まった。




最初の方だけ少し戸惑っていらっしゃったリュート様だけど、研究の邪魔にならないと判断したのだろう、私がいる生活を受け入れてくださった。


私は私で、リュート様の研究にすべてを捧げすぎて丸一日食事を忘れたかと思えば3日寝なかったりと私生活がめちゃくちゃだった事には少しだけ面食らってしまったけれど、すぐに慣れてリュート様の研究と私生活をお支えするために努めた。




お役に立てればそれだけで満足だったはずなのに、リュート様に恋心を抱いてしまったことは痛恨の極みとしか言いようがない。無自覚だったが、おそらく特別授業の時にはもう初恋は始まっていたのだろうなと思う。


もちろんこの気持ちを伝えるつもりは毛頭ない。私にとって一番大切なことは、リュート様の充実した研究生活のお役に立つことだからだ。


寝食を忘れがちなリュート様に、健康的に生活リズムをつけていただくべくお食事を届け、朝は起こし、お茶を用意した。代わりに少しでも研究に割く時間が増えればと誰が書いても一緒な面倒な書類仕事はなるべく代筆し、部署間の連絡も一手に引き受け、探しやすいように文献書架を整えたりしてるけど……少しはお役に立てているのかしら……?




小石でも踏んだのか、ガタン!と馬車が揺れ、はたと思考が中断される。もう実家は目の前だった。




――――――――――――――――――――




「おかえりなさいませ、カレンお嬢様」


扉の前で待っていた家令が恭しく一礼し、出迎えてくれた。


軽く話をしながら館内に入ると、美しい女性が待っていた。あまりの魔力の強さに彼女の周りだけ輝いているようにすら見える。




「カレン、おかえりなさい。お仕事は順調?」




淡い水色の髪に深い湖のような碧い瞳、肌は陶器のようにきめ細かい。麗しいという言葉がぴったりな落ち着きのある華やかさを持つ、美しい女性。


水の聖女こと我が姉、クルーゼ・サンビタリアだ。




姉の出迎えを受けて私はすかさずカーテシーをする。


「ご無沙汰しておりますクルーゼお姉様。おかげさまで何とか、皆様のお役に立てるよう尽力させていただいております」




「それは良かったわ!今日は例の私についての件よね?お父様は執務室にいらっしゃるわ。当事者である私にも同席するよう言付かっているのだけれど、問題はない?」




「もちろんでございます、何卒よろしくお願い申し上げます」




姉と話しながら執務室に向かい、父と対面する。


父に会うのも久々だ。変わらぬ鋭い眼光と更に老練さを増した練り上げられた魔力を感じ、ほんの少し肩に力が入る。


どうかカーテシーが乱れていませんように。




「ご機嫌ようお父様。ご健勝そうで何よりでございます。この度はお時間をくださり誠にありがとう存じます。」


「うむ、よく帰ったなカレン。早速だが例の件だ」




お父様は書類を机の上に何枚か広げ、同時に姉と私にも数枚提示してくる。




「そちらの……リュート・トゥルペ殿の要望と、我がサンビタリア家の要望を踏まえた契約書だ。愛娘を貸し出すのでな、念のためこちらで作成させてもらった。


以前そちらから来ていた内容と齟齬はないはずだが念のためこの場で確認しろ」




内容に目を通すと、全体的なスケジュール感や一日あたりの姉の拘束時間、協力内容、例外時の対応、協力に対する費用などが明記されていた。


こちらから要請した内容について齟齬もなく、明瞭な契約書なので拡大解釈による抜け穴もなさそうだった。




「確かに拝見いたしました。こちら一部お預かりして、責任者のサインと押印の上お持ちするという流れでよろしいでしょうか?」


「構わない。クルーゼもその内容で問題ないな?」


「ええ、大丈夫よお父様」




姉も自分が直接関わる内容という事で、熟読の上改めて了承してくれた。


その後、口頭で姉が実際に来所するまでの段取りなど細かい話をする。


ここまで実家と密に連絡をとり続けて本当によかった、これでリュート様の研究が進む……!




「お父様、お姉様、誠にありがとう存じます。トゥルペ様もお喜びになりましょう。善は急げと申しますし、早速こちら一部お預かりして――」


「カレン」




話もひと段落したタイミングでそのまま蜻蛉返りしようとしたが、父に声をかけられた。父も姉も、何故か少し驚いているようだ。




「……カレン、時間的に夕食がまだだろう。食べていきなさい」


「え……」


「お願いよカレン。お母様とルークにも、顔を見せてあげて?」




お父様達の中では、今日の夕食の頭数に私も含まれていたらしい。


迷ったが、どうせ戻ってもリュート様とリーリがそのまま食事をしながら議論を続けているだろうことは簡単に予想がついたので、お言葉に甘えて一家の団欒に混ぜてもらう事にした。

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