第12話  思いもしないこと

 セレドニオとコンスタンツェが再会を果たしている頃、コンスタンツェの父であるマルティン・バルフュット侯爵は、家令であるブルーノを見上げながら大きなため息を吐き出していた。


 甥のパヴロから進言を受けたその日のうちに、マルティンはセレドニオが買い上げたという娼館を訪れたのだが、侯爵を出迎えた黒服の男はニヤニヤ笑いながら言い出したのだった。



「オーナーであるセレドニオ様は今、部屋に篭ったままなので出て来るのは難しいかと思います」

「君、ここはマグダラの館で間違いないのだな?」

「ええ、そうです」

「この館をセレドニオ・アルペンハイムが買い上げたと聞いたのだが?」

「侯爵様、アルペンハイムの御曹司が娼館を買い上げたのは間違いない事実です」


 男はニヤニヤ笑いながら言い出した。

「やっぱり海の男っていうのは陸に上がれば女が欲しくなるのでしょうね。まさか、一棟丸々買い上げるだなんて、剛気なお方だなとは思いましたけれど・・」


「そんなことはどうでも良い、今すぐセレドニオを呼び出してくれ!今すぐにだ!」


 男は渋々と赤い絨毯が敷き詰められた階段を登って行ったのだが、そう時間を置かずに大きく肩をすくめながらマルティンの元まで戻って来た。


「セレドニオ様は逃げ出してしまいました」

「はあ?」

「侯爵様がいらっしゃったと聞くなり、窓から逃げ出してしまいました」

「な・・なんだって?」

「お疑いなら、セレドニオ様が相手にしていた娼婦に確認してみますか?」

「むううう・・」


 家令のブラームが確認してくると言って娼館の2階に向かったところ、ブラームは明らかに落胆した様子で戻って来たのだった。


「旦那様、セレドニオ様は旦那様がやって来たと言われるなり、娼婦を放り出して窓からお逃げになったようです。私も窓から外を確認してみましたが、背の高い木に飛び移って逃げたのでしょう」


 どうしても気になったマルティンは階段を駆け上り、問題の娼婦が居る部屋へと突撃することにしたのだが、気だるげな娼婦は裸のままでベッドの上で寝そべっているし、窓は開け放ったままとなっているし、将来の義理の父となるマルティン怖さに逃げ出したのは間違いないように思えたのだ。


「セレドニオ殿はそんな男だったのか・・」

 マルティンの呟きに答えるようにして、ここまで付き添ってきたブルーノが言い出した。


「旦那様、実際に海軍の方々をお呼びして話を聞いた方が良いのではないでしょうか?」

 海の英雄と言われていたセレドニオは、もしかしたら見掛け倒しだったのではないかと家令は言うのだ。


「アルペンハイム侯爵家にはお金だけはあるので、もしかしたら部下の武勇を金で買い取ったということもあるかもしれませんし、アルペンハイムの力を使ってセレドニオ様は相当凄いのだと喧伝していただけのことかもしれません」


「そんなことをして一体何の得があるのだ?」

「ですが、海の英雄だからこそ、旦那様もコンスタンツェ様の伴侶としてセレドニオ様をお選びになったのでしょう?」


 ブルーノは申し訳なさそうに眉毛をハの字に下げながら言い出した。


「王家派筆頭であるバルフュット家の頭領娘の伴侶として、次男を送りつけることに成功をすれば、王太子妃として娘を王家に差し出したアルペンハイム家はより大きな力を得ることになりますし」


 ブルーノはため息を吐き出しながら言い出した。


「無事にコンスタンツェお嬢様の伴侶として潜り込めば、バルフュット侯爵家の甘い汁を吸い続けることが出来るのです。婚約者の時点で娼婦に入れ込んでいるのですから、結婚後はどれだけの愛人を作るのか、今から不安で仕方がありません」


 バルフュット侯爵家の当主であるマルティンは、妻の忘れ形見であるコンスタンツェを溺愛していた。産後の肥立ちが悪く、娘の成長を見ることなく亡くなってしまった妻の分まで娘の幸せを願うマルティンは、アルノルト王子と結婚しさえすれば娘は幸せになるだろうと盲目的に信じていた時もある。


 娘は父が己の権力を拡大するために自分を利用しようとしているのではないかと考えていたようなのだが、決してそんなことはない。マルティンが望むことはコンスタンツェの幸せ、それ以外には何もない。


 翌日から、ブルーノが言う通り海軍の将校を呼び出して、セレドニオがどんな様子だったのかを確認することになったのだが・・ 

「セレドニオ様は、最近では顔も見せません」

 と、集まった将校たちは声を揃えて言うのだった。

「やはりバルフュットの水が合わなかったのではないでしょうか?」

「女は好んで抱いているみたいですが、汗水垂らして船の上で働くことを厭うのでしょう」

「王都に帰りたいが口癖でしたしね」


 窓から飛び出して行ったセレドニオがその後、どうしているのかを確認するよう家令に手配をさせたのだが、娼館を飛び出したセレドニオはそのまま行方知れずとなっている。



「はーーっ、セレドニオ殿は一体何処に行ってしまったのか・・」

 マルティンは頭を抱えながら唸り声を上げていたが、そんなマルティンを見て家令のブルーノがほくそ笑むように笑っていることに侯爵は気が付いていない。


 元々、バルフュット侯爵家の家令はコーバスという、代々侯爵家に仕え続けているような男だったのだが、体調不良で最近では寝たきりの状態となっている為、執事頭だったブルーノが家令へと昇格したような形となっている。


 このブルーノは元々、マルティンの妹が嫁いだカルバリル伯爵家で執事をやっていた男であり、信用がおけるからという理由で、仕事が忙しい兄の補佐をするために送り込まれて来た男でもある。


「旦那様、やはりアルペンハイム侯爵家の次男などを婿入りさせずに、もっとまともな男性を選んだ方が良いのではないかと、皆も言っておりますが」


「うーむ・・コンスタンツェはセレドニオ殿を痛く気に入っていたのだが」


「顔だけが良くても中身が伴わないという方は、世の中には山のようにおります。コンスタンツェ様の幸せを考えるのなら、セレドニオ様はあまりにも役不足なのではないかと愚考いたします」


「うーーむ」


 コンスタンツェは、セレドニオが浮気をしたとしたならば、セレドニオを刺し殺して自分も死ぬと、極端な覚悟までしてカレの港まで移動して来ていた。もちろん、そんなことをマルティンは知らない。


 跡取り娘であるコンスタンツェに、セレドニオが浮気をしていると注進する手紙を送ったパヴロは、箱入り娘のコンスタンツェであれば、すぐさま書いている内容を信じ込み、王都の邸宅に引きこもって泣き暮らすことになるだろうと考えていた。


 このパヴロの為に侯爵家に入り込んでいる家令のブルーノもまた、今この時に、コンスタンツェとセレドニオがカレの港で再会しているとは思いもしないのだった。



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