第11話 俺の愛する人
セレドニオにとってバルフュット侯爵家の一人娘となるコンスタンツェは、妹のような存在だった。カサンドラがアルノルト王子の婚約者に決定してからは、貴族家の次男、三男が婿入り希望でバルフュット侯爵家に釣書を送り、見事に玉砕していったという話も聞いている。
産後の肥立が悪く、子供の成長を見ることなく亡くなってしまった妻を今でも愛する侯爵は、再婚もせずに一人娘を溺愛しているという話は有名だ。再婚を拒否し続ける侯爵は娘が王太子と結婚することになった暁には、自分の甥に侯爵家を継がせるつもりでいたらしい。
アルノルト王子の婚約者がカサンドラに決まった時には、侯爵は甥のパヴロとコンスタンツェを結婚させて、侯爵家を継がせれば良いだろうと考えていたのかもしれない。
コンスタンツェにはすでに相手がいるのだからと考えていたセレドニオは、秋の狩猟大会で自ら手に入れた獲物をコンスタンツェに捧げる時も、自分の婿入り先としてコンスタンツェの家は都合が良いだとか、そんなことは一切考えていやしなかった。
本当に、何故、これほどまでにコンスタンツェのことが好きになったのかが分からない。セレドニオは気が付けば、羽化するように美しく成長していくコンスタンツェを目で追うようになり、そうしていつの間にか彼女の虜となっていたのだ。
二年前にバルフュット領内で海賊騒ぎが起きた時には、自ら志願をして海賊退治に名乗りでたのだが、まさか、自分が海賊を倒したことでこれ程までにバルフュット侯爵に気に入られるとは思いもしない。
「大きな港湾を持つ我が領には、セレドニオ殿のような武人が必要なのだよ」
侯爵はセレドニオの手をぎゅっと握りながら笑顔で言い、
「セレドニオ様がいれば我がバルフュット家は安泰ですわね!」
コンスタンツェは、はしゃいだ声をあげていた。
「セレドニオ殿、実は再び海賊達が我が領地に狙いを付けたようなのだ。是非ともセレドニオ殿には我がバルフュットの海軍を率いて海賊どもを討伐して欲しい」
侯爵にそう言われたセレドニオは、海賊退治のために奮起をしたのだが、彼のやることなすこと否定され、空回りとなったのは言うまでもない。
結果、船上で言い争いとなり、セレドニオは船から落っことされることになったのだ。アルノルト王子の要請を受けてクラルヴァイン王国までやって来たサンジーワに助けられたから良かったものの、そうでなかったら、遥か彼方にある陸地まで延々と泳いでいかなければならなかっただろう。
船から突き落とされて以降、紆余曲折、色々とあったものの、無事に海賊たちを討伐することが出来たのだ。
後ろの方では、今までセレドニオに協力してくれた男達がゴジャゴジャ言っているようだが、誰が何をどう言ったところで結果を変えることなど出来やしない。セレドニオはコンスタンツェと婚約を解消する。海賊は退治したのだから、セレドニオはアルペンハイムに帰るしかない。
セレドニオがめそめそ泣きながらウィスキーを飲み続けていると、
「まあ・・婚約を解消するってどういうことですの?」
後ろから問いかけられた為、涙と鼻水を垂らしながら口を開いた。
「だって仕方がないだろう?俺は海に出るとなれば頭もクルクルと回る男だが、陸に上がってしまえばそれもうまくいかない」
「海とか陸とか関係ありません。あなたは、コンスタンツェ・バルフュットのことが嫌いなのですか?」
「嫌いなものか!」
セレドニオはテーブルまで届くほどの長たらしい鼻水を垂らしたままで言い出した。
「俺はコンスタンツェを愛している!だけど、俺では彼女を幸せにすることは出来ない」
「何故ですか?」
「俺が海の男だから!」
「海の男がなんだって言うのです?」
「俺が海の藻屑となって消えたとしたら、残されたコンスタンツェはどうなる?」
セレドニオはめそめそ泣きながら言い出した。
「生粋のお嬢様であるコンスタンツェが、俺が死んだ後にたった一人で残ったらどうなると思う?あの、殺しても死ななそうなカサンドラとは違うんだぞ?コンスタンツェは、しっかり者で何でも出来るような見た目だが、侯爵に大事に育てられ過ぎたがために究極の箱入り娘で、害意と言うものを知らずに育ってしまったような令嬢なんだぞ!」
「も・・もう!私ってそこまで箱入り娘ではございませんわよ!」
隣に座り込んだ紺碧の髪の令嬢は、ハンカチでセレドニオの鼻水を丁寧に拭きあげながら嬉しそうに笑い出したのだった。
◇◇◇
従兄のパヴロから手紙を受け取ったコンスタンツェは、最短で領地に向かうには海路を使った方が早いと即座に判断をした。船中で二泊する形となってしまったものの、無事に港町カレへと到着することが出来たコンスタンツェは波止場で働く男の一人に、
「マグダラの店を教えてくれるかしら?」
と、問いかけたのだ。
「マグダラの店は2軒あるんですけど・・」
「セレドニオ様が居る方よ!」
「なるほど・・それではご案内いたしましょう!」
男は瀟洒な建物が建ち並ぶ中心街の方ではなく、街からかなり外れた上に寂れた場所にある一軒の飲み屋へと案内してくれたのだ。
その飲み屋では海賊を倒した祝いということで、男達が楽しげにエールを飲んでいたのだが、その一角で、セレドニオが一人でベソベソ泣いていることにコンスタンツェは気が付いた。
パブロの手紙ではマグダラの館という娼館をセレドニオが一棟買い上げて、酒池肉林で楽しみまくっているという話だったのだが、場末の飲み屋と言った様子の一階フロアで働く女性は数人程度、料理や酒を運ぶのにてんやわんやとなっているように見える。
一人、やたらと胸が大きい美人の女性が居たけれど、もしゃもしゃの髭で顔を覆われている男の膝の上に乗っている。その男の周りにはスーリフ中央大陸からやってきたと思われる、背が低くて肌が浅黒い外国人が何人も座っているように見えたけれど、コンスタンツェにとって外国人観光客はどうでも良い。
とにかく、何故かは分からないけれどもセレドニオが泣いている。
浮気をされたと思い込んだコンスタンツェは怒り心頭のまま船に乗ってここまで移動をして来てしまったのだが、館の主人とラブで楽しいことに没頭していると思っていたセレドニオは、鼻水を垂らして泣いている。
男の人なのに・・泣くなんて・・
一体、何があったのだろうと鼻水を垂らすセレドニオを前にして、コンスタンツェが戸惑っていると、
「旦那は愛しの婚約者さんと別れなくちゃいけないっていうんで泣いているんでさぁ」
と、近くのテーブルで酒を飲んでいた男が教えてくれたのだった。
俯いて泣いているセレドニオは、コンスタンツェに全く気が付かない様子でブツブツ言っているけれど、この会話の中で重要なことは、セレドニオが6歳も年下であるコンスタンツェを愛していると言ってくれたこと。
自分が死んだらどうしようとでも考えているのか、死んだ後にコンスタンツェに苦労させたら困るとでも考えたのか。彼は何故だかメソメソ泣きながらコンスタンツェと別れることを考えているようなのだが、そんな姿を見るだけで、コンスタンツェの胸がキューンとなってしまうのだ。
セレドニオは見目麗しい海軍将校様で、貴族の令嬢からの人気も非常に高かったりする。殿下の信頼も厚いセレドニオとの婚約が決まった時には、
「こんなチンチクリンとセレドニオ様は婚約しなければならなかったの?信じられない!」
と、面と向かって言われたことだってある。
それでも構わずにコンスタンツェはセレドニオを手に入れたのだ。
もしも手紙の通りにセレドニオが浮気をしていたら、持っているナイフでセレドニオを刺して自分も死のうと考えていたコンスタンツェは、伸び切ったセレドニオの鼻水をハンカチで拭きながら天にも昇る心地でいたのだった。
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