第6話


 ◆



「えーっと、それはどこからどこまでが作り話なんですか?」


 長い話を終えると、運転手の若い青年はそう訊ねてきた。


 思わず、ニールはその頭を殴った。


「痛っ」


 青年は悲鳴をあげる。それを無視し、ニールは車の外の景色に目を向ける。


 久しぶりに見る東海岸の景色は昔と変わらない。


 自然の多い田舎の風景。高い建物が多く、人工物ばかりの首都とはまるで違う景色。


 しかし、よくよく見れば、以前より建物は増えている。そのいずれもが近代的な造りの物だ。


 時折、車道の反対側を車が走り去っていく。――十年前にはなかった光景だ。



 ニールがハーベスを出て、十年の歳月が経った。


 あの後、ニールはダグラスの勧め通り、首都の国立学校に入学した。


 首都で父と再会し、大学を卒業するまで一緒に暮らしていた。幼い頃に別れたきりの父親との関係は最初ぎこちないものだったが、今ではそれなりに上手くやっている。


 大学を卒業後は父の口利きもあり、首都の官庁で働いている。働き始めた時に家を出て、現在は中古の一軒家で生活をしている。


 今年で二十四歳。もう既にニールは大人だ。


 背も伸び、声変わりは完全に終わった。ガラスに映る顔つきは父に似て少し厳しいものに変わっている。もう、あの頃とはまるで違う。


 ニールは息を吐いてから、運転手に話しかける。


「今の話のどこに作り話の要素があった。説明しろ」

「まずは幽霊の存在が信じられません。確かに西大陸には精霊やらなんやら似たような存在はいますけど、幽霊なんてありえません! ヒトの魂は等しく死後、大地に還るんです」

「宗教的な話は信じん」

「あー、またそうやって俺の話を信じない! 嘘だって思うんだったら姉さんに聞いてくださいよ。同じこと言いますから!」


 ニールは顔をしかめる。


 数年前に使用人として雇った青年はとにかくうるさい。知人に頼まれて仕方なく雇ったが、正直、いつクビにしようか真剣に悩んでいる。


 使用人――ヤロはニールより四つ年下の二十歳。金に近い薄い茶髪にダークブラウンの瞳の青年だ。目深に被ったハンティング帽がトレードマークだ。


 表情と話し方はどこか子供っぽさを感じさせるため、口を開くと歳より幼く見える。


 しかし、文字の読み書きは勿論、ある程度の教養はある。頭は悪くないのでスケジューリング調整等秘書紛いの仕事もこなしてくれる。車も運転出来るため、使用人としての能力は申し分ない。能力がもっと低かったら、とっくにニールはヤロのことをクビに出来ていた。


 ヤロの言う姉とは、一緒に雇ったもう一人の使用人だ。


 こちらは手先が器用で料理も洗濯も掃除も得意だ。主に首都の屋敷の一切を任せている。彼女の方は無駄口も叩かない真面目な女性だ。ヤロにはぜひ、姉の爪の垢を煎じて飲んでほしいところだ。


 ヤロも姉も出身は西大陸だ。出稼ぎで中央大陸まで渡ってきた。そのため、ヤロは西大陸の事情にとても詳しい。


「それに、万が一本当に幽霊がいるとしても、若くて可愛い女の子なんてのも信じられません。普通、幽霊って怖いもんでしょう! こう、おどろおどろしい感じで、意思の疎通なんて取れません!」

「それはこないだ見た舞台の話か」


 半月前、ヤロの姉の誕生日のお祝いに、首都で公演された南の島国が舞台になった演劇を見に行った。


 白い服を着た黒い髪の長い女が亡霊として人々を怖がらせる物語だ。


 ニールには面白さが全く分からなかったが、ヤロの姉は目を輝かせて喜んでいた。ヤロはずっと悲鳴を上げて騒いでいた。


「ニール様は怖くなかったんですか」

「あんなの子供騙しだろ。そもそもアレは本物じゃない」

「そんなの分かってます! それでも怖いものは怖いじゃないですか」


 同意を求められたが、ニールにはさっぱり理解が出来なかった。「それとこれが一番の理由ですが」と、ヤロは言葉を続ける。


「仕事の鬼だの悪魔だの周囲から恐れられてて、女性とろくな噂のないニール様が過去にそんな可愛い子と甘酸っぱい青春物語を繰り広げていたなんて羨ますぎて信じたくありま――痛い痛い痛い! 脇腹を刺すのはやめてください!!」


 ニールは胸ポケットから出した万年筆で満足するまでヤロの脇腹を刺してから、今度は懐から懐中時計を取り出す。


 時刻は十一時過ぎ。ハーベスまではもうすぐ。到着は時間通りになりそうだ。



 ◆

 


 ヤロが車を停めたのは町の入り口だ。


 十年ぶりに見る故郷は建物が少し入れ替わってるが、基本的には変わらないように見える。


 町の入り口にはニールを出迎えるためか、十人ほどの人間が集まっていた。その中には見覚えのある顔も多い。全員、ニールを嫌っていた者達だ。


 一足先に車を降りたヤロが助手席の扉を開ける。ニールは車を降りると、帽子を外し、出迎えてくれた町長に向かって会釈をした。


 町長も十年前と同じ男だ。


 頭には白髪が増え、顔の皺も増えているが、ふくよかな体型はまるで変っていなかった。


 ニールは仕事用の笑顔を作る。


「わざわざの出迎え御苦労様です」

「いやいや、当然のことです。トレヴァー補佐官がいらっしゃるとなれば、町総出で出迎えなければ」


 総出ではないにしろ、町長の後ろに並んでいるのはいずれも町の重役達だ。


 町長を始め、全員の表情がわずかに引きつって見えるのは気のせいではないだろう。


「トレヴァー補佐官は町の誇りですからな」


(――よく言う)


 町長の白々しい言葉にニールは内心、嗤ってしまう。


 目の前にいる町長も、十年前にニールに冷たい言葉を投げた一人だ。


 しかし、こんな田舎町では首都へ出ていく者は少ない。その上、首都の国立大学を卒業し、首都の官僚にまで出世したニールは本来であればハーベスの誇りだろう。ゴマを擦りたくなるのもよく分かる。この反応は当然のものだろう。


「今日来たのはただの私用です。そんなにかしこまらなくて結構ですよ」


 しかし、町長は「そう言うわけにはいかない」と首を振る。昼食を用意したので、食べていかないと誘われ、ニールは承諾した。


 正直、町長は一緒に食事を採りたい相手ではない。しかし、町長の屋敷に行くのはニールの目的にも合致する。


 ヤロに再び車を走らさせ、ニールは町長の屋敷に到着した。町長の家は古いが、この辺りでは一番立派な屋敷だ。


「ところで、お父上――トレヴァー副大統領はお元気ですかな?」

「ええ、まあ」


 長らく日の目を見ていなかった父の党も、政治情勢が変わり、与党として返り咲いた。父が副大統領に就任したのは去年のことだ。それから、父は以前以上に忙しそうに働いている。


「向こうも多忙なのでここ、一ヶ月程顔を合わせておりませんが最後に会ったときは元気そうでしたよ。――おい、ヤロ。何キョロキョロしてるんだ。着いてこい」


 後ろを歩くヤロは妙にソワソワした様子だ。ニールが声をかけると、慌てて追ってきた。


「あの、ニール様ニール様」

「何だ」


 ヤロは声を潜めながら話しかけてくる。


「ここって本当に東海岸なんですか?」

「当たり前だろ」

「だって、匂いが、空気が」

「……馬鹿なこと言ってないで行くぞ」


 それ以上のヤロの戯れ言を無視し、ニールは町長の屋敷に足を踏み入れた。


 町長はニールに――ハーベス基準で言えば――豪勢なご馳走を振る舞ってくれた。近隣で採れた野菜と海の幸で作られた郷土料理だ。


 部下と説明していたためか、ヤロの分も用意がある。


 ニールは町長とその奥方、ヤロの四人で食事をすることになった。


「あの、よろしかったらこちらで帽子を預かりましょうか」


 町長の奥方はテーブルについても帽子を外す様子のないヤロにそう声をかけた。


 人の家に邪魔をして、帽子を外さないのはどう考えても失礼だ。責めないのはヤロがニールの部下だからだろう。


 どう返答すべきか迷っているヤロに助け船を出す。


「奥方。コイツは帽子を外すと死んでしまう不治の病を患っているのです」


 ニールの言葉にヤロは驚いたようにこちらを見てくる。ニールはその視線を無視して、言葉を続ける。


「なので、どうか帽子を被ったままの非礼をお許しください」


 ニールの言葉に奥方は困惑した様子だったが、それ以上の追求はしてこなかった。ヤロが小声で抗議してくる。


「ちょっと、帽子を外したら死ぬ病って何ですか!」

「説明が面倒だ。それとも、正直に説明して、帽子を外すか? 悲鳴をあげられ、騒ぎになりかねんぞ」


 ヤロは不満そうな唸り声を上げる。それから、帽子を目深に被り直し、「これだから東海岸は嫌いなんだ」とボソリと呟いた。


 他愛もない世間話をしながら、食事を進める。


「それで、……今回はどのようなご用件でいらっしゃったのですか?」


 メインディッシュの魚料理を半分程度食べ終えた頃、やっと町長はその質問を投げかけてきた。


 本来なら一番に聞きたかった質問のはずだ。首都で働く役人が何の理由もなく、こんな田舎町に来るわけがない。


「幼少期を過ごした思い出の土地を訪れるのがそんなにおかしなことですか?」


 ニールが冷たい笑みを浮かべると、町長は慌てて取り繕う。


「いいえ! た、ただ、その、トレヴァー補佐官は町を出て一度もお戻りにならなかったでしょう。今になってどうしてか、と思いまして」


 町長の疑問は当然だ。


 ニールは十四歳の時に首都に戻ってから、一度もハーベスに戻っていない。今日が十年ぶりの来訪だ。


 いくら多忙であっても、十年の間に帰る機会はいつでもあった。しかし、ニールは一度もハーベスに帰ってこなかった。今回の訪問に何か理由があると考えるのが当然だろう。


 ――そして、町長にはその心当たりがある。


 ニールは一口、魚を口に運び、それからナイフとフォークを置いた。


「町長は私が領主屋敷でよく遊んでいたのをご存じですか?」


 ニールの言葉に町長は明らかな動揺を見せた。額に滝のような汗が流れる。


「ど、どうでしたでしょうか。少し昔のことなので記憶に」

「今度、あの屋敷を取り壊すそうですね」


 町長はフォークを床に落とす。それを慌てて奥方が拾い上げる。


「よ、よくご存じですね」

「色々と情報を教えてくれる知人が多いもので。首都にいても何かと話が流れてくるんですよ」


 この十年でハーベスと州都を結ぶ幹線道路が完成した。


 ハーベスから州都への通行は格段に良くなり、ハーベスに布製品の工場を作る話が持ち上がった。


 ここで作られた布製品は幹線道路を通って州都に運ばれ、そこから鉄道を使って国中で取り扱われる。


 何も変わらないと思っていたハーベスにも近代化の波が押し寄せてきている。十年前には考えられなかった話だ。


 そして、その工場は幽霊屋敷を取り壊して、建設がされる予定だ。


 工場建設の発案者をしたのは目の前にいる町長だ。


 町長は色々と言葉を考えているようだったが、諦めたように重い息を吐いた。


「……ハーベスは何もない町です。このままでは時代に取り残される」


 町長の口調は苦しいものだった。


「工場が建てば、この町は潤う。働き口も出来る。この町が未来に進むには、この計画は不可欠なのです」

「ええ、そうでしょうね。おっしゃる通りだ」


 ニールは町長の言葉に力強く頷く。


「そのための工場の誘致。住民からは反対意見も多く出たでしょう。それを取りまとめ、見事工場建設まで漕ぎつけた。町長の手腕は素晴らしい。あの屋敷は少しずつですが、老朽化も進んでいる。 昔と変わらず、あの屋敷に潜り込む子供はいるのでしょう?いつ事故が起こってもおかしくない。いい機会だと思いますよ」


 ニールの言葉に町長は明らかに拍子抜けした様子だった。ニールは「もしかして」と、大げさに首を捻る。


「町長は私が屋敷の取り壊しに反対するためにわざわざ来たとでも思っていらっしゃったのですか?」

「い、いや、その」

「まさか。私もそこまで暇ではありませんよ」


 町長は困惑しきった様子だった。


 十年前、ニールは領主屋敷の幽霊に魅入られていると言われていた。


 領主屋敷が取り壊されたら、幽霊はどうなるのか――ニールだってその事は分かっている。


 町長はニールが工場建設を、領主屋敷の取り壊しに反対するためにやって来たのだと思ったのだろう。だから、町長や他の住人もニールの来訪を表面上は歓迎しながら、妙に緊張していた。やっとのことで決まった計画も、国の役人が口を挟めば頓挫させることも難しくない。


 しかし、ニールは端から屋敷の取り壊しに反対するつもりはなかった。取り壊すなら勝手に取り壊せばいい。あの屋敷の所有権は町(ハーベス)にある。ニールの関与するところではない。


 「なら」と、町長は同じ質問をもう一度口にする。


「何故、この町に戻ってこられたのですか?」


 ニールは作り笑みを浮かべる。


「ええ、私は十二年前の借りを返しに来たんですよ」


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