第5話
ダグラスに話があると伝えると、夕食の後にしようと断られた。
そのため、その日もニールは養父母おダグラスと四人で夕食を採ることになった。
夕食中、小父小母と楽しげに話すダグラスは昨日とまるで変わらない。しかし、先程ニールと話した時の態度は妙に冷たいものだった。
――バイロンと何を話したのだろうか。
少なくとも、好意的な話ではないだろう。もしかしたら、ダグラスはバイロンの話を聞いて、ニールへ否定的な感情を抱いたのかもしれない。
だが、それはそれで今のニールには好都合だ。
どちらにしろ、首都行きの話は断るつもりだ。もし、バイロンの話を聞いてダグラスがニールを連れ帰る件や推薦状の話を白紙にするならそれはそれで有難い。
食事を終え、ダグラスはニールの部屋ではなく外で話そうと言い出した。
ニールは承諾し、二人で家の外に出る。
外はすっかり暗くなっていた。
街灯もろくにないハーベスでは、空の星と家から洩れる明かりだけが光源だ。
ダグラスは懐からオイルライターと煙草を取り出すと、火をつけた。車に寄りかかり、一服してから、ダグラスは口を開いた。
「それで、話ってのは昨日のことか」
「はい」
「結論は出たのか」
「はい。とても有難い申し出ですが、首都行きは辞退します。父にもそう伝えてください」
ニールの返答にダグラスは全く驚いていなかった。
まるで、予想がついていたかのように淡々と「そうか」と呟いた。
「理由を聞いてもいいか」
当然の質問だろう。普通に考えれば、ダグラスの誘いを断る理由はない。
「ハーベスを離れたくないからです」
不信感を抱かれたとしてもティアに関する事を説明するつもりはない。
説明したところで理解されないだろう。
「何故だ」
「俺はもうここに八年も住んでいます。首都よりこちらで過ごした時間の方が長い。住み慣れたこの町を離れたくないからです」
「この町を離れたくない?」
あらかじめ用意していた回答を答えると、突然ダグラスが笑い出した。
まるで、馬鹿にされているかのような態度に、ニールは苛立つ。
「何がおかしいんですか」
「おかしいのはお前だろ」
ダグラスは煙草を落とし、靴の底で火を踏み消す。次にこちらを向いたとき、ダグラスは不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「ろくに話す相手もいない。余所者と呼ばれて嫌われている。そんな場所を普通、離れがたいと思うか? ――俺を馬鹿にするのもいい加減にしろ」
ニールは背筋を冷たいものが走るのを感じた。
――ダグラスは知っているのだ。
彼は言葉を続ける。
「今日一日、この町を見せてもらった。色んなヤツに話を聞いた。お前の評判もな。驚いたことに皆同じ事を言ってきたよ。『悪いことは言わない。アイツには関わらない方がいい。アイツは幽霊屋敷の幽霊に魅入られている。危ないヤツだ』ってな」
町で、ニールがどう言われているのかは知っている。
この二年、ニールは頻繁にティアに会うために幽霊屋敷に足を運んだ。
小さな町だ。ニールの姿は多数の町人に見られ、その話はすぐに町中に広がった。
ニールの後をつけた者は屋敷からニールの話し声がするのを聞いた。しかし、屋敷にはニールしかいない。ニールは見えない誰かと話していた。
ニールに関われば呪われる。そんな事を言い出すヤツもいる。その事はニールも知っていた。
この二年でニールは余所者ではなく、頭のイカれたおかしい奴だと思われるようになっていた。
「――どう、受け取ってもらっても結構です」
ダグラスにどう思われようが、もう関係ない。周りにどう思われようが関係ない。
ニールはただ、ティアさえ笑っていればそれでいい。
「俺は首都には行きません。ハーベスに残ります。ずっと、ここで暮らしていきます。父さんにもそう伝えてください」
ニールは一生ティアの側にいると決めた。
一日でも多く、ティアに楽しかった時間を残してやりたい。それが無力なニールにも出来る唯一のことだった。
「否定しないんだな」
「あながち嘘とは言えませんから」
確かに、ニールはティアに魅入られている。それは本当のことだ。
ダグラスは大きく息をついた。それから、――悲しむような、哀れむような表情を浮かべた。
「……西大陸ではな、金色の瞳は『真実の目』と呼ばれている。普通の人には見えないものを映し出す」
前までのニールだったら、それがニールにティアが見えた理由だろうかと考えただろう。
しかし、今のニールにはそんなこともうどうでも良くなっていた。
「お前には俺達には見えないものが見えているのかもしれない」
「けど」とダグラスは言葉を続けた。
「
ダグラスの言葉に、ニールは激昂した。
考えもなく、叫ぶ。
「ティアは幻じゃない!」
「ああ。お前にとっては、――ソイツにとってはそうだろうさ。でも、周りから見たらどうだ」
ダグラスに肩を掴まれる。それを振り払おうとして、ニールはダグラスが真剣な目をしているのに気づいた。
「幽霊はお前以外の誰にも見えない。存在を証明出来ない。そんなの、周りからしたらいないのと同じだ。何もいない所で話しているお前を見て周りはどう思う? そりゃあ、おかしなヤツだって思うさ。全員がお前の事を遠巻きにする。お前はそんな一生を過ごすつもりか」
ダグラスは本気でニールのことを案じている。
彼はティアの存在を否定しなかった。幽霊なんていないと言わない。ティアの存在を否定してくれれば、ニールはダグラスの話に耳を貸さずにすむのに、ダグラスはそれを許してくれない。
「それでもいい。ティアが笑ってくれるなら、俺はなんと言われようと構わない」
「ニール!」
「――アイツだけだったんだ!」
目を閉じても、いつだって彼女の姿は鮮明に思い出せる。
「余所者って嫌われてた俺を見てくれたのは、優しくしてくれたのはアイツだけだったんだ。最初は俺と同じ独りぼっちだったのが可哀想で……ただ、それだけだったけど――」
それがいつの間にか、何よりも誰よりも愛おしくなっていた。
「アイツが生きてるとか死んでるとかどうでもいい。俺はアイツの傍にいる」
ニールはダグラスの手を振り払う。
「ニール!」
「アンタは首都に帰れ!」
それだけ吐き捨てると、ニールは駆け出した。
薄暗くても八年も住んでいれば、道程は分かる。ニールは暗闇の中を転ぶこともなく、全力で走り抜ける。
行き先なんて考えてなかった。ただ、あの場を離れたい。ただ、それだけだった。
だが、足はどこよりも通い慣れた道を選んだ。気づけば、ニールは幽霊屋敷の前に来ていた。
「――ティア」
屋敷は真っ暗だ。幽霊屋敷の名に相応しく、暗い雰囲気を漂わせている。
この時間に屋敷に来るのは初めてのこと。ティアが夜に現れるのかも分からない。それでも、ニールはティアに会いたかった。
崩れた塀の隙間を通り、雑草の生えた敷地内を通り、勝手口を開ける。急ぎ足でホールに向かう。廊下に足音が反響する。
一刻も早く、ティアの顔を見たい。ただ、それだけを考えていた。ホールの扉の取っ手に手をかける。
『ニール?』
上から透き通るような声が落ちてきた。振り返ると、二階に続く階段の上にティアがいた。
彼女は不思議そうな表情を浮かべている。
『こんな時間にどうしたの? 何かあったの?』
ティアは重さを感じさせない足取りで階段を降り、ニールの目の前までやって来る。
『すごい汗ね』
額に手を伸ばそうとし、しかし、すぐに腕を引いた。
『走ってきたの? どうしましょう。飲み水はあったかしら』
ティアは困ったように周囲をキョロキョロと見回す。何も変わらないティアの様子にニールは安堵の息を溢した。
しかし、その直後、ティアは突然動きを止めた。普段は使わない正面玄関の扉を凝視する。
「……ティア?」
『誰か、来るわ』
そうティアが呟いた直後、重たい音を上げて、正面玄関が開いた。ランプを片手に現れたのは――ダグラスだった。
「やっぱり、ここだったか」
ダグラスも息を切らしている。
ニールが到着してそんなに時間は経っていない。すぐ、ニールを追って屋敷に来たのだと分かった。
ダグラスはニールの姿を見つけると、安堵の表情を浮かべた。
「お前がここを好きだってのはよーく分かったよ。ただな、こんな時間に来るところじゃない。危ないぞ」
ダグラスは一直線にニールに向かってくる。その視線は一度もティアに向かない。
「……モーズレイ准教授」
「さっきは悪かった。いくらなんでも無神経すぎた。この通りだ」
ダグラスは頭を下げる。ニールは反応に困ってしまう。
『ニール』
ティアは少し声を潜めて、話す。
『この人の言うとおりよ。夜遅くにここに来るのは危ないわ。帰った方がいい』
「……分かった」
ティアの言葉にニールは頷く。頭を上げたダグラスにニールも頭を下げた。
「こちらこそ申し訳ありませんでした。つい、カッとなって」
そう言うと、快活な笑みをダグラスは浮かべる。
「お前くらいの年頃ならそんなもんさ」
「さあ、帰ろう」と促され、ニールはダグラスについて正面玄関に向かう。ニールの斜め後ろをティアが着いてくる。
ダグラスがいてはティアと話すのは難しい。ティアには次に会ったときに上手いこと説明しておこう。
――そんなことを考えてるときだった。
「首都に行くかどうかの話は、また今度改めてしよう。何、まだ時間はあるんだ。ゆっくりと話し合おう」
ダグラスはなんでもないことのようにそう言った。
途端に視界の端に見えていたティアが消えた。足を止めたのだ。
ニールは勢いよくティアを振り返る。
――ティアは目を見開き、ダグラスを見つめていた。
「俺だって無理やり連れていきたくはないさ。ただな、お前がこんな田舎町で孤立したまま暮らしていくってのも不憫でしょうがない」
ダグラスは気づかない。ティアが見えないから気づけない。
「お互いに妥協点を探しあって」
「――モーズレイ准教授!」
ニールが制止する頃に遅かった。
ティアは鈍感ではない。ここ暫くのニールの様子と、ダグラスの言葉で分かったはずだ。分かってしまったはずだ。
ダグラスはニールに視線を向ける。そして、ニールが何もない虚空を凝視していることに気づいて、――ようやく、ダグラスも気づいた。
『……ニール、首都に行くの?』
「行かない!」
ティアの問いに即座にニールは否定した。ダグラスが胡乱げ表情を浮かべているのは無視をする。
「俺はハーベスにいる。どこにも行かない」
『でも、州立学校に行きたいって言ってたでしょう? 州都に行くのではなかったの?』
「気が変わったんだ。俺はハーベスに残る」
安心してほしくて言葉を重ねるのに、ティアの表情はどんどん不安そうなものに変わっていく。
「ニール」
ティアの視線がダグラスに移る。名を呼ばれたニールもダグラスを振り返る。
彼は深刻そうな表情を浮かべていた。
「そこに、いるんだな」
ニールは黙って俯いた。ダグラスは肯定と受け取った。
「あー、なんだ、その、ティアさん? 俺はモーズレイと言う。夜分遅くに騒ぎを起こして申し訳なかった。また、今度詫びの品を持ってくる」
ダグラスはニールの動きからティアがいそうな場所を向いて喋っているが、焦点は少しずれている。
「今夜はここで失礼する。……ニール、帰るぞ」
ニールは頷いて、それからまたティアを振り返る。
「また、明日来るから。待っててくれ」
ティアはずっと悲しそうな顔をしている。後ろ髪を引かれながらも、ニールはその場を立ち去るしかなかった。
正面玄関を閉じるまで、ティアはずっとその場に立ち尽くしていた。ダグラスと正面の門を通り――南京錠は壊されていた――、家に向かう道を歩く。
「ニール、本当に悪かった」
屋敷が見えなくなり、ダグラスは申し訳なさそうに項垂れた。
◆
翌日、学校は休みだった。
だからニールはダグラスが買ってきた花を持って、朝から一人で屋敷に向かった。
――ティアを安心させないと。
昨日、帰ってからティアをどう誤魔化すかダグラスと二人で考えた。
正直、少し無理やり感はあるが、どうにか納得させる。ニールはそう、決心していた。
昨夜と同じく表の門を通り、正面玄関から建物に入る。ホールの扉を開けるが、中にティアの姿はない。
普段来る時間ではないからだろうか。いつもと違う表から入ったからだろうか。
普段、ティアはいつもホールにいるが、ニールのいない時間を彼女がどうやって過ごしているのかニールは知らない。もしかしたら、普段は二階にいるのだろうか。
そんなことを考えながら待っていると、ティアが扉から現れた。
『ニール、おはよう。今日は早いのね』
現れたティアは少し元気がなさそうだった。昨夜のことが原因だろうか。
「昨日は悪かったな。これ、モーズレイ准教授がティアにって」
ニールは花束を差し出す。勿論、ティアは受け取れない。困った表情を浮かべながらも、ティアは花束に顔を寄せる。
『いい匂い』
「どこかに飾ろう。花瓶くらいあるだろ? どこか心当たりはないか。教えてくれ」
物置にそれっぽい物があっただろうか。ティアなら場所を知ってるだろう。
ニールはホールを出ようとするが、ティアは動かない。ニールも足を止める。
「ティア?」
ティアは俯いている。
『本当は、ずっと分かってたの』
ポツリと呟いて、ティアは顔を上げた。彼女は笑顔を浮かべているのに、その瞳からは透明な雫が落ちる。
『ニールが友達がいないのも分かってたわ。ここに来るのが良くないのも、それが原因で仲間外れにされるかもしれないことも分かってたの。……ここに来るのはニールのためにならないってずっと分かってた』
そんなことない、とすぐに否定したかった。
けれど、静かに涙を流すティアを見て、ニールは何も言えなくなってしまった。
『私寂しかった。この屋敷に独りぼっちで、ずっと寂しかった。あと何百年も、何千年もここに独りきりなんだと思うと、消えたいぐらいつらかったの。だから、あの日、ニールに会えて本当に嬉しかった』
「俺も」
気持ちを伝えたくて、ニールは言葉を紡ぐ。
「俺もティアに会えて嬉しかったよ」
『私、ずっとニールと一緒にいたい。たくさんお話ししてほしい。貴方の声をずっと聞いていたいの』
「俺もだ。だから、ずっと一緒にいよう」
ニールもティアと同じ気持ちだ。だけど、ティアは首を横に振った。
「ティア」
『駄目よ。それは出来ないの』
ティアに手を伸ばす。掌はティアに触れることなく、空を切った。
『私は、ニールと同じ世界を生きられない』
最初から分かってたの、とティアは言う。
『私はここから出られないわ』
「出られなくたっていいだろ。俺が会いに来ればいいだけだ」
『私はニールと同じ時間を生きられない』
「俺のこと忘れないって言ってくれたじゃないか」
『私、ニールに幸せになってほしい』
「ティアと一緒にいられたら幸せだ」
『ニールは私としか一緒にいなかったからそう思い込んでるだけよ。色んなことを知れば、きっとそうじゃなかったって分かるわ』
何でさっきからお別れのような事ばかりをティアは言うのだろう。
――聞かなくても分かる。
今日、ティアはニールに別れを告げるために姿を現したのだ。
『私、ニールのこと忘れない。ずっと覚えてる。ニールのこと、ずっと想ってる』
ティアは昨日と同じ言葉を口にした。
――今度は別れの言葉として。
『どうか、幸せになってね』
ティアは泣きながら、笑っていた。
ニールがティアの名前を呼ぼうとしたが、当然強風が吹き荒れた。
室内なのにおかしいと思う暇もない。
ニールは思わず腕で顔を庇い、目を閉じる。持っていた花束が宙に舞い、バラバラになる。
次に目を開けたとき、ホールからティアの姿は消えていた。ニールが一人残される。
――それからニールがダグラスと共に首都へ行くまでの一ヵ月。ニールは毎日、幽霊屋敷に足を運んだが、ティアは一度も姿を現すことはなかった。
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