第4話


 養父母も流石に余所者でも、『首都の大学の准教授』という肩書きには慄いたらしい。


 突然の来訪者をそれはそれは丁重にもてなした。


 普段は別々に食事を摂る養父母とニールだったが、この日ばかりはダグラスを交え四人でテーブルを囲うことになった。話題の中心は当然ダグラスだ。


「いやー、首都は技術が発達している分、空気が汚いんです。物がごちゃごちゃしていて、自然も少ない。やはり、こういう自然豊かな場所に来ると心が洗われるようですな」

「モーズレイ先生はどちらのご出身なのですか?」

「俺は西海岸の生まれです。ニューデランという地名をご存じですか?」

「いいえ。アナタは知っている?」

「いいや、聞き覚えがあるような気もするが……」


 老夫婦は揃って首を傾げる。口を開いたのはニールだった。


「貿易の要所ですね。西大陸や南大陸の船が多く乗り付けると聞きます」

「あら、じゃあ港町なのね。同じ海沿いの町でもハーベスとは大違いでしょう?」

「ええ、でも騒がしい町ですよ。俺はこれくらい落ち着いている方が好みです」

「あらまあ、お上手ですこと」

「いやいや、本心ですよ」

「――御馳走様です」


 一人黙々と食事をしていたニールは、あっという間に夕食のシーフードドリアを食べ終えた。


「課題があるので、失礼します。どうぞ、モーズレイ准教授はゆっくりお食事を楽しんでください」


 老夫婦の責めるような視線を無視し、ニールはダグラスに一礼すると二階の自室に戻った。


 宣言通り、机に向かって課題に取りかかる。ものの十分で課題を終わらせると、ニールは昼間の本の続きを読み始めた。


「ずいぶんと難しい本を読んでるんだな」


 突然声をかけられ、ニールは心臓が止まるかと思った。


 振り返るとすぐ後ろにダグラスがいた。


 閉めていたはずの扉が開いている。


「ノックをしたんだが、反応がなかったからな。勝手に入らせてもらった」


 ダグラスは苦笑いを浮かべる。


 どうやら、ニールは本に集中し過ぎていたらしい。


「物理学の本か。車といい、理系の分野に興味があるのか?」

「いえ、そういうわけでは……」


 ハーベスでは知識を得るのに限りがある。ニールは分野問わず、ハーベスで学べるものは何でも学んでいる。


「これが学びたいって分野はあるか? 一番興味のあることは?」


 先程からダグラスはずいぶんとニールに質問をしてくる。何を考えているのかさっぱり読めない。


 ニールはしばらく考えてから、正直な気持ちを答えた。


「西大陸について勉強したいです」


 脳裏に浮かぶのはティアの姿だ。


 故郷から無理やり連れてこられた妖精種の少女。


 あれからティアには秘密で他に西大陸について何とか情報を得られないかと学校中の本を調べた。だが、学校にはあの授業で教わった以上のことが書かれたものは一つもなかった。教師や町に出入りしている商人にも確認したが、書物の一冊も手に入れることが出来なかった。


「西大陸?」


 ダグラスは怪訝そうな表情を浮かべる。


「まさか、奥さまのことを覚えてるのか?」

「奥さま?」


 一体何の話だ。ニールが眉間に皺を寄せると、「だよな」とダグラスは少し安堵した表情を浮かべた。


「違うのか。そうだよな。奥さまが亡くなったのは大分昔のことだから覚えてないよな」

「その、奥さまっていうのは誰のことですか?」

「誰って、――お前の母のことだよ。先生の奥さま」

「……何で西大陸の話から母の話になるんですか」


 話の脈略が全く読めない。


「何でってそりゃ、奥さまは西大陸出身だからだよ」


 ダグラスの発言にニールは言葉を失った。


 ――母さんが西大陸出身?

 ――ティアと同じ?


 ニールが驚きで動けずにいると、ダグラスは勝手にベッドに腰かけた。


「自分と同じ瞳の色の人間を見たことあるか?」


 そう言ってダグラスは自分の瞳を指差す。ニールは首を横に振った。


「金の光彩はな、西大陸の人間にしか現れない。ニールの目は母親譲りだと先生が仰っていた」

「……じゃあ、母さんは西大陸から無理やり連れてこられたってことですか?」


 しかし、ダグラスは「無理やり?」と首を傾げた。


「いや、奥さまはご両親の仕事の関係で移住してきたんだよ。無理やり連れて来られたって、――昔、奴隷として西大陸の住民が連れてこられた話をしてるのか? そんなの百年以上前の話だろ」


 そうだ。そもそも、ティアが生きていたのは百年以上昔の話だ。


 その時と今とじゃ状況が違ってもおかしくない。


 どうやら、母とティアは境遇が違うらしい。そのことに少しだけ安堵した。


「それに昔売り買いされてたのは珍しい種族の奴等だけだよ。奥さまは一般種――中央大陸の人間とほとんど変わらない。その中でも、奥さまの家系は昔から西大陸人として普通に商売をしていた目利きの一族だ。西海岸や首都に行けば、西大陸人との混血も珍しくないぜ。金の瞳をしてる奴は珍しいけど、ゼロじゃない」


 ダグラスの話はニールからすれば衝撃的なものだった。


 今まで知らなかった西大陸に関することをあっさりと知ることが出来た。しかも、ダグラスは西海岸や首都では当たり前のことを話しているように聞こえる。


 西海岸や首都ではここより西大陸について、情報が多いのだろう。


(西大陸について詳しくなればティアの役に立てるかもしれない)


 ダグラスなら今まで分からなかった西大陸のことを教えてくれるのではないか。期待に瞳を輝かせるニールを、ダグラスはじっと観察するように見つめる。


 それから「なあ」と口を開いた。


「ニール。お前、首都に来る気はないか」


 ニールは目を見開いた。


 ダグラスは真面目な顔をしていた。冗談でも社交辞令を話しているようにも見えない。


 彼は言葉を続ける。


「こんな辺鄙な田舎町にいながら、車は勿論、西海岸の事も知ってるのはスゴいことだよ。この辺りじゃ皆生きるのに必要なことは学ぶが、それ以上勉強しようってヤツは珍しい。その歳で物理学の難しい本を読むくらいお前が頭が良いってのも分かった。お前はこんなところにいていい人間じゃない」


 ダグラスは特に蔑む訳でもなく、淡々と事実を述べるかのようにハーベスを『辺鄙な田舎町』と形容した。


「首都には国中の情報が集まってる。国立図書館には一生かけても読みきれないほどの蔵書がある。西大陸人も混血だけじゃなく、商売や勉強しに来てる向こうの人間もいる。お前の知りたいことをいくらでも学べる。西大陸の事以外だって、お前が知りたいと思ったことをなんでも学べる」


 首都に行くなんて、今まで考えた事もなかった。


 いずれ首都に戻る日が来ることは分かっていたが、まさかこんな突然その選択肢を提示されることになるとは思ってもいなかった。


 突然のことにニールはまともに返事をすることが出来なかった。


 長い長い沈黙が流れる。


「貴方はそれを言うためにわざわざここまで来たんですか」


 やっとのことで口に出来たのはそんな疑問だった。「ちょっと違うが、近いかな」とダグラスは部分的に肯定した。


「お前を迎えに来たのには違いない。先生の周りが落ち着いたんだ。そろそろ最愛の息子を呼び戻すかって話になった。そこで暇そうな俺に声がかかった。東海岸にも一度来てみたいと思ってたんだ。俺にとってもちょうどよかったわけさ」


 ニールの父親の職業は政治家だ。


 八年前、父の周辺で政治関係のいざこざが起きた。父の仲間であった政治家が射殺されたのだ。


 家族の身にも危険が及びかねないと思った父親はニールをハーベスに送った。父親は一人首都に残り、仲間たちとこの国の未来のために今も奮戦している。


 そのことはニールも理解している。


「ただの使いっぱしりのつもりで来たんだがな。今日話をして、俺自身もお前に興味が湧いた。やる気があるんだったら、首都の国立学校への推薦状を書いてやるよ」


 勿論、ニールも首都の国立学校の存在は知っている。


 しかし、父の事を考えれば呼び戻される前に首都に戻るのは危険な行為だ。だから、ニールは首都の国立学校への進学は選択肢から除外し、州都の州立学校への進学を考えていた。


 だが、状況は変わった。


 父はニールを呼び戻そうとしている。もう首都から遠く離れた地で暮らす必要はない。首都では好きなだけ勉強が出来る。ダグラスの話はこれ以上なく魅力的なものだった。


 ――だけど。


 首都は州都以上に遠い。


 州都なら馬車で三日の距離だが、首都は鉄道を使わないと行けない。鉄道に乗れば首都までは二日で着くが、鉄道の切符は高い。頻繁に乗れるようなものではない。


 州都なら長期休みごとにハーベスに帰ってこれるが、首都に行けば戻って来るのは難しい。戻って来るには年単位になるだろう。


(そうなったら、本当にティアに会えなくなる)


 脳裏に浮かぶのは薄緑の髪の娘だ。あの広い屋敷で一人佇むティアの姿が浮かぶ。


 ニールは長い沈黙の末、「少し考えさせてください」とだけ言葉を捻り出した。



 ◆ 



『今日は少し元気がないわね。体調でも悪い?』


 翌日、屋敷を訪れたニールをティアは心配そうに出迎えた。


 ニールが二日連続で屋敷を訪れるのは初めてのこと。しかし、ティアはその事に関して触れないでくれた。


「……何でもない。気にするな」


 そう言って、ニールは定位置の椅子に腰かける。ティアは変わらず心配そうな視線を送ってくる。


『そう、無理はしないでね。本当に具合が悪くなったらお医者さんにかかるのよ』


 優しい声、優しい言葉。


 ティアは変わらない。


 初めて会った時から変わらない優しさをニールに与えてくれる。


 ニールはじっとティアを見つめる。『どうかしたの?』とティアはこちらを覗き込んでくる。


「俺は――」


 一呼吸置く。


「ティアが好きだよ」


 そう告げると、ティアは目を瞬かせる。少し首を傾げてから、笑みを浮かべた。


『ありがとう、私もニールが好きよ』


 おそらく、ニールの真意はティアに伝わっていない。


 ニールの「好き」をティアは親愛や友情の類いの「好き」と受け取ったらしい。ニールはあえて訂正しなかった。


「ティアは俺がいなくなったら、悲しいか」


 ティアは表情を強張らせた。


 言葉の真意を探るようにこちらを窺う。ニールはあえて冗談めいた笑みを浮かべる。


「今すぐにどうこうって話じゃない。――でも、俺もいつか死んでしまう。ティアみたいに幽霊になって側にいれたらいいけど、そうじゃなかったらもう会えない」


 ティアは悲しそうな顔をする。


 本当はこんな表情をさせたくないが、これだけはハッキリさせないといけない。


「ティアは言ったよな。『悲しいことや辛かったことを考えて過ごすのはやめた』って。なら、俺が死んで独りに戻ったら、俺のことは思い出さなくなるのか。俺と過ごした日々を忘れたみたいに……なかったみたいに過ごしていくのか」


 ティアにとって、ニールの存在は何なのか。


 ただ、一時期共に過ごしただけの存在。領主や商人のように忘れ去っても構わない存在なのだろうか。


 ティアの好きはきっとニールの好きとは違う。


 でも、それは対等な友人に対する「好き」なのか、偶然出会った野良猫や野良犬に対する「好き」なのか。


 ニールの想いはただ一方的なものなのではないか。そのことがすごく不安だった。


「答えてくれよ、ティア。お前にとって、俺は何なんだ」


 ティアが手を伸ばす。


 白い細い手。それが、ニールの手に重なる。


『私にとって、ニールは大事な人よ』


 やっぱり、ニールには手の感触は感じられない。


 彼女は生きた人間ではない。


『貴方がいなくなっても、貴方のことを忘れない』


 それでも、ティアはここに在るんだと思った。


『ニールのこと、ずっと覚えてる』


 ティアは笑っていた。少しだけ悲しそうに、けれど明るく笑っていた。


『だって、この二年は私にとって楽しいことばかりだったから。誰かと話すのがこんなに楽しいんだって、嬉しいんだって思い出せたの。……それを思い出させてくれたのはニールよ。だから、ニールが死んでも、私は毎日ニールのことを忘れない。この日々を忘れない。なかったことになんてしない。――私にも終わりの日が訪れるまで、ずっと、ずっと、ニールのことを想ってる』


 ティアの瞳には強い意思を感じる。


 「そうか」と呟き、ニールは立ち上がった。


「やっぱり、今日はもう帰る。やることを思い出したから」


 迷いはもうない。


 ティアは少し戸惑った様子だったが、『分かったわ』と頷いた。


『またね』

「ああ、また」


 いつも通り塀のところで別れ、ニールは家に向かう。


 今日、ダグラスは町を見て回ると言った。まだ日が落ちるには少し早い。まだ家に戻ってきていないかもしれない。


 ニールは空を見上げる。空は快晴だ。


 ニールの気持ちもここしばらくなかった程、晴れやかだ。空気も澄んでいる。何も変わらないハーベスの畦道も、いつもより色鮮やかに見えた。


 家路の途中、ニールは人影に気づいた。


 バイロン達だ。昨日と同じ場所でたむろしていた。


 しかし、昨日より人影が一つ多い。それは、背の高い、くたびれた茶色のジャケットを着た男――ダグラスだ。


 ニールは足を止めた。


 ダグラスと話していたバイロンもこちらに気づき、視線を向けてくる。それに気づいたダグラスが振り返った。


 ――昨日、快活な笑みを浮かべていた男は妙に険しい表情をしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る