2.手紙


 川村くんが転校する日まで、あと十日。十日しかない。私に何ができるだろう。そう考えてみたが、何も思いつかなかった。家に帰り、毎月三日に買っている少女漫画雑誌の三月号をめくっても内容が頭に入ってこない。毎回楽しみにしている漫画なのに。この連載、先月はどういう展開だったっけ……と考えてしまい、そこから読み進めることができなくなっていた。そこで、まず先月号を見てみようと思い立ち、背表紙に『2』と書かれているものを引っ張り出した。


 手にした二月号の表紙には、『もうすぐバレンタインデー! 告白のチャンス、逃さないで!』と、目立つ書体で大きく書かれていた。連載漫画の前回の内容は表紙を見ただけで思い出すことができたが、私の頭の中はそれどころではなくなってしまった。十四日にチョコレートを渡そうと、できるわけもないのに考え始めてしまったのだ。


 好きな人に告白するということは大層な偉業だと思っていたからか、自分が少女漫画の主人公のように「好きです」などと言いながらチョコレートを誰かに渡す姿は、まるで想像できなかった。それでも、川村くんに感謝を伝えるくらいならできるだろうと、チョコレートに色々と思いを巡らせた。しかし、どのようにして用意すればいいのか、全くわからなかった。毎年スーパーにもコンビニにもあんなにたくさんの種類が並ぶというのに、自分に相応しい商品は売られていないように感じたから。


 結局私は何も用意することができず、当日を迎えた。チョコレートがだめなら何かしらプレゼントを買いに行けばよかったのだが、そんなことすら思いつかなかった。あのショックを受けた朝礼の日から頭の中に霧がかかったような感覚で、相談できる友達もいない。どうしようどうしようと迷い、悩んでいるうちに、十日が過ぎてしまったということになる。


「この学校で、みなさんと一緒に勉強できてよかったです。転校は寂しいけど、引越し先は隣の市なので、また会えると思います。手紙、待ってます」


 二月十四日、帰りの会で、川村くんが言った。きっと形だけの、通り一遍の言葉だっただろう。でも私は真に受けてしまった。何も用意できていないのだから、せめて彼が隣の市に行っても手紙を書こう、と。彼が新しい住所を黒板に書いてくれ、ますますその思いが強くなった。本当に手紙が欲しいんだな、などと、この時の私は勘違いしていた。


 彼がいなくなって一週間が経とうという頃、私は最初の手紙を書いた。はがきにしようか手紙にしようか迷って、誰かに中身を見られる心配が少ない手紙を選んだ。内容は「お元気ですか。こちらは球技大会が開かれました」というような、ただの報告ばかりだったが、彼は律儀に返事をくれた。彼からの封書が届くたびに、私の胸は踊った。そんなやり取りを何度か繰り返して、私たちは中学生になり、暖かく爽やかな五月を迎えた。



 ◇◇



『勘違いされるので、もう手紙はいりません。送らないでください』


 大型連休が終わってから届いたはがきには、そう書かれていた。何の変哲もない官製はがきで、裏に書かれていた文言はそれだけだった。


 本当は前の学校のクラスメイトからの手紙なんていらなかったんだと、私は悟った。あの言葉は嘘だったんだ、上辺だけの、ただの建前だったんだ、と。急激に心臓がぎゅっと縮まった気がした。それから、重苦しい何かがつかえたようにしくしくと胸が痛みだした。涙がぼろぼろ出てきて、いらなかったんだ、ごめんなさい、ごめんなさいと、気付いたら口に出していた。繰り返し繰り返し、もういない彼に向かって謝っていた。ただひたすら、ごめんなさい、ごめんなさい、と。


 そんな風に泣きながらも、暖かい季節になったから彼の指先のささくれは治ったかな、などと気にかける自分がとても滑稽で、馬鹿だと思った。ダイニングのテーブルにはがきを持つ手を何度も打ち付けた。あざができるまで、何度も、何度も。


 『カルマ』という、祖父に教わった言葉を思い出す。毎日普通に会うことができていた時に何もしなかったから、どうしようどうしようと考えるだけで行動に移さなかったから、こんなに悲しい思いをすることになったのだと思った。間違った解釈だったかもしれないが、これがカルマというもので、悲しい思いは自分のせいだと、この時の私はとにかく自分を責めた。


 一週間ほど経ってから、私はハンドクリームだけを彼に送った。メッセージなどは入れず、小さな小包として。返送される可能性があることもわかっていた。でも、謝罪の意を込めてプレゼントしたかった。彼が転校する前に渡せばよかったのにとここでも自分を責めてしまったが、ハンドクリームなど気に入らなければ捨てればいい。引き出しの隅に入れておいて、記憶が薄れた頃に使ったっていいのだ。そんな、ある種図々しい考えで自分を納得させ、私は通常の中学校生活に戻った。


 川村くんからリップクリームが送られてきたのは、その約二週間後だった。特にメッセージなどはなく、私が送ったのと同じように小さな小包として届いた。つるりとしたプラスチックの表面には白地にピンク色の花がかわいらしく描かれており、蓋を開けてみると優しいフローラルの香りが鼻をくすぐる。震える手でつけてみると、あのリップクリームと同じように、私の唇を薄いピンクで柔らかく彩ってくれた。


 ゆるされた、と思った。


 リップクリームを手でぎゅっと握りしめ、私は思い切り泣いた。

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