アナザー・メイル

憂杞

アナザー・メイル

 聖剣エクスを岩から引き抜いたことにより、青年ハレルドは町じゅうで祝福され勇者として魔王を倒す使命を負った。

 明日はいよいよ出立の日。勇者とその仲間は遠い魔王城への冒険に備えて道具屋をめぐり、必需品を買い揃えていく。

「ハレルド、そんな装備で大丈夫か?」

「一番いいのを頼む」

 勇者の仲間として同行する魔法使いのマーヤ。二人は幼馴染で、十年以上前のアクションゲームのパロディネタで笑い合えるくらいには仲良しである。

 一行は宣言通り鍛冶屋を訪れ、それぞれ最高品質の装備品を買った。最高の武器、最高の頭防具、最高の靴、そして最高の鎧とローブ。国王からの支給の他に貯めてきたゴールドも払って装備を整えていく。これから数々の強敵に立ち向かうために出し惜しみはしない。

「よし。これで準備は万全かな?」

「いいえ、まだよ。もう一つの鎧も装備しなくちゃ」

「もう一つの鎧?」

 何だろう、それは。疑問に思う勇者を手を引いて魔法使いが向かったのは、町の中心にあるネイルサロンだった。

「マーヤ、おしゃれがしたいのか?」

「ただのおしゃれじゃないわ。強くなるの」

 そのまま店内に入ると、乳白色の床や壁をベースとした清潔な空間が二人を迎えた。魔法使いは予約をしていたらしくスムーズに受付嬢に案内され、奥にいるもう一人の女性スタッフと向かい合った長テーブルの一席に着く。ぼんやり見送る勇者に受付嬢がハッとした様子で声をかける。

「あ、勇者様もご予約されてましたよね! こちらへどうぞ」

「えっ、俺も?」

 笑みながら自分に頷く魔法使いを見て察した勇者は、色々思うことはありつつも案内通りに彼女の左隣に座った。

「どの色になさりますか?」

 担当のスタッフが円環状にネイルのサンプルを並べたボードを数枚持って訊いてくる。一枚あたり二十色近くのバリエーションがあり、単色、グラデーション、フレンチ、マーブル模様など様々なパターンもあるらしい。さらに今勧められているジェルネイルの他にもマグネットネイル、ミラーネイルなどの様式もあり……五分以上唸り続けた勇者は、結局初めてということもあって無難そうな橙色 だいだい グラデーションのジェルネイルを選んだ。最高の装備にこだわった手前これでいいのかと考え込む勇者に「いいじゃん!」と魔法使いは笑ってくれた。

 二人のスタッフはまず剣技や魔法に追われていた両手をそれぞれ消毒すると、ヤスリを使って全ての爪の形を整えていく。甘皮を押し上げることで塗れる範囲を広くし、表面も余さず磨いて粉を払ったのち色ムラをなくすというプライマーを塗布する。

 それからベースジェルも塗り一旦乾かした後、いよいよ希望していた色のジェルが塗られていく。ただ爪に色付けするだけのことだろうと先入観を持っていた勇者は、その手間のかかりように終始驚いていた。

「そういえばお二人とも、いよいよ明日には出発されるんですね」

 乾燥中に勇者の担当スタッフが喋ったのを皮切りに四人は談笑を始めた。

「はい、色々と大変でした。明日からの方が大変と分かってはいますが」

「へーやっぱりそうなんですか!」

「どんなことが特に大変です?」

「覚えることがすごく多いんです。マーヤが覚える呪文ほどじゃないだろうと思っていたら、剣の構え方やら振り方やら心構えやら……」

「あれハレルド、はじめは王との謁見より緊張してたのに随分打ち解けたじゃん」

「う、うるさいな!」

 向かい合った二人の明るいスタッフとの会話は、若干引っ込み思案のきらいがある勇者でも心地良いと感じた。ちょうどその話をしながらも明日からの冒険への恐れがほんのり薄れるくらいには。

「それにしてもマーヤさん、こんな大事な時にまで来てくださって本当に嬉しいです」

「もちろんですよ。ここでのネイルは私にとって大切な装備ですから」

 隣で魔法使いがそう話すのも勇者は聞いた。そういえば彼女はなぜネイルをもう一つの鎧と呼ぶのだろう、と疑問がよみがえったところで。

「はい、お疲れ様でした!」

 カラージェルの塗布、乾燥、オイルでの保湿が済み、勇者と魔法使いのネイルが完成した。サンプルで見た以上に澄んだ夕焼け色とラメに彩られた自分の十枚の爪に、勇者は思いもよらないほどに見入っていた。

「そのネイル触ってみてよ」

「いいのか?」

 青緑のグラデーションネイルを光らせた魔法使いに促されて、親指の腹で表面を撫でてみる。……思ったより硬かった。両手のネイルの表面同士で叩き合うとかちん、かちんと小気味よい音が聞こえる。その音には貝殻のような硬質な響きがあり、勇者は爪の防御力が物理的に上がったことを実感した。

「すごいでしょ。ここのジェルネイルなら三週間以上はこのまま保つわ」

「ああ。それにしても我ながら綺麗だな……戦闘中によそ見してしまいそうだ」

「あはは! そこは慣れてもらわないと。でもネイルの良いところは他にもあってね……」

 魔法使いが得意げに話すのを、二人のスタッフも次のお客の準備をしながら聞いていた。

「私が落ちこぼれ魔法使いだって学校でいじめられてたの、覚えてる? その時の私は自分に自信が持てなくて、ストレスで指をひっかく癖ができてささくれもたくさん作っちゃって。でも、初めてこのサロンで塗ってもらったネイルがとっても綺麗で、自分の爪なのに見ているだけで元気を貰えたし、もっと綺麗に見せるためにもささくれはなるべく作らないようにしようって思えたんだ」

 勇者は幼い頃から彼女を見てきたからよく覚えている。おぼつかない呪文ばかりで失敗を何度も繰り返していた当時から、自分に付き従うほどの優秀な魔法使いになるまでの膨大な努力を。ただ、その心の支えが趣味のネイルであるとは知らなかった。

「ささくれほどの小さなダメージが戦況を左右する時だって少なくない。冒険において『いのちだいじに』は基本でしょ?」

 ネイルは彼女にとって鼓舞するものであると同時に、自分を大切にするための第一歩だったのだ。だから鎧とも呼べるのかと勇者は納得した。

「ありがとうございました! またお越しくださいませ」

 支払いを済ませ、最後まで勇者として以上にお客として接してくれた人達に別れを告げて、一行は宿屋に着いた。陽はとうに沈みはじめ、長い戦いの時は刻々と迫っている。それでも勇者と魔法使いの心は自信に満ちていた。

「これから一緒に頑張ろうね、ハレルド」

「ああ、頑張ろうマーヤ」

 宿舎内で二人はお互いの鮮やかな鎧を見せ合い、楽しげに笑っていた。

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アナザー・メイル 憂杞 @MgAiYK

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