8日目
人の過去とは重く暗く揺蕩う。陽さんはきっとこれをほぼ1人で抱えていたのだろう。
それを考えただけで私は苦しくなった。
陽さんが目覚め、私はサッと離れた。
「あ、寝てたか…すまん、おはよう」
ただ好きな人とおはようを交わすだけでこんなにも心が温まるものなのか。
それとも人の痛い部分に触れ、慰めの気持ちが湧いたのか。きっとどちらもだろう。
「おはよう…ございます。大丈夫ですか?」
昨日陽さんは辛い感覚を思い出し、吐いてしまった。人の脳が内側から拒絶反応を起こしたのだ。
そういう時は逃げるが勝ち。陽さんは逃げられずにいた。
「まぁまぁかな。そんなに心配するほどのものではない」
「それならよかったです」
フッと胸を撫で下ろす。
「こんな状況ですが私の話ですよね?大丈夫ですか?」
「そんな心配するほどのものではないと言ったが?」
全部疑問符で返された。お構いなしということか。
「分かりました。じゃあ私の番ですね…」
「辛かったらやめろよ?」
陽さんの気遣いと一緒に私は深く呼吸をした。
――――――――――――――――――――
あれはただの無視だった。そしてエスカレートした。どこにでも転がってそうないじめだった。
もちろんいじめはあちこちに転がっていてはいけない。それに私は抵抗した。しかしその抵抗も虚しく的が変わった。
「なんで夏世がそいつのこと庇うわけ?」
口調がきつい、いわゆる一軍メンバーの主格だった。
「い、いじめは良くないと思う。」
この一軍には裏切りに聞こえたのかもしれない。私だって少し前まではそちら側だったから。
どちらかというと主格のような出立ちではなく、虎の威を借る狐のごとく彼女らについていただけだった。
そんな私は今虎に立ち向かっている。暴力にまで発展しそうな“軽いお遊び“は私の理性が止めさせた。
「ふーんまぁいいや勝手にしなよ」
彼女らは去った。痛い思いはせずに済んだ。
しかし油断だった。どことなく教室の中が静まり返っていて、私の入る隙もなかったように感じた。
友達は一軍のメンツだけだったのでその輪から外れた私はただの孤独だった。
思春期特有なのかは分からないがみんな自分ではなく自分の周りを守りたがる。その周りが自分であるかのように。
だから疎外された私は誰にも話しかけられることもなく、その年を終わらせようとした。
ある日
「ねぇ」
話しかけられた、あの彼女らに。
「ちょっと一緒に来てくれない?」
主格に付き纏ってる人たちはくすくす笑っていた。
私はわかっていたがわざとついて行った。それでこの静寂に決着がつくならと。
彼女たちは止まり、学校に通っている人でも一生来なさそうなよく分からないところについた。
突然、ドンッと右肩を押された。
私は虚空を舞った。
その下は何かを捨てる用の穴で彼女に突き落とされたのだった。
私は何が起きたか分からず、葉っぱだらけのまま家に帰った。
幸い家には共働きの両親はおらず、服を脱ぎシャワーを浴びた。
私は泣いた。子供のように泣きじゃくるように。全部シャワーで流されていった。
ただ突き落とされた。そう聞こえるが私には深く傷を付かせた。まだ罵声を浴びさせられる方がマシだったかもしれない。
孤独と絶望の穴に落とされた。
それでも私は誰にも悟られたくないと毎日登校した。一言も発さずに家に着くこともあったけど。
そして新学期やっとクラスが変わるからと安堵したところに、あなたのニュースが入ってきたのですよと私は言った。
――――――――――――――――――――
「なんというか、辛かったな…」
「もう彼女たちとはクラスが別々で教室も離れてますし、あの時ほど私はもう弱くないので大丈夫ですよ。途切れ途切れに喋ってすみません…」
ちょっと強がった。本当は一週間ぽっちでも一緒にいてくれて私のこの話を真剣に聞いてくれた陽さんに抱きしめてほしかった。
でも今にも泣きそうだったので歯を食いしばって堪えた。
「そう、か」
重い空気になってしまった。そりゃそうだ。過去とはいつでも明るくない。そして人の記憶に残りやすいのはいつだって暗くて辛い過去だ。
「冷蔵庫の唐揚げ食べますね」
そう言って私は立ち上がった。
その瞬間、後ろから優しく温かいものに包まれた。
何にも変え難い、言葉にできない陽だまりのような温かさ、その温かさに一度は触れてみたかった。
何が起きたか分からず体が硬直した。そしていつもの優しそうな青年の声は掠れて、
「大丈夫じゃない」
そう言って勝手にボロボロと溢れる私の涙を受け止めてくれた。
私はいつの間にか泣いていた。
恥ずかしくて前を向くことは出来なかったがただただ陽さんの腕の中で泣きじゃくった。あの日の子供のように。
静かに無常に時間が流れた。
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