第27話 連星と息吹 Ⅰ

 セトの母親——マリアは、産後の肥立ひだちが悪く、そのまま命を落とした。


 故に、セトは母親の顔を知らない。けれど、幼い頃は、決して自分を不幸だとは思わなかった。乳母や騎士、大勢の者がセトの周りにいたからだ。母親がいなくても、寂しいと感じたことはなかった。


 皆から、たくさんの愛情を注がれて育った。セトも、皆のことが大好きだった。


 だが、五歳になったある日、王家でセトに付き添っていた者達が、全員、追放された。裏で何か悪いことをしていたらしい。が、幼いセトは詳しい理由を知らない。

 急に、大切な人たちと引き剝がされた。城を後にする皆を、身が切られるような思いで見送った。


 自分が、何か悪いことをしたのだろうか。

 いくら調べてもはっきりとした理由は解らず、毎日泣いて過ごした。


 代わりにセトに与えられた使用人たちは、にこりともしない。

 新しく剣術指南役になったパーシヴァルも厳しく、吐くまで訓練させられる毎日。


 セトは孤独だった。


 そんな中、兄である第一王子のアダムだけが、たまに様子を見に来てくれた。

 セトの話をちゃんと聞き、砂糖菓子をくれた。

 アダムの存在と甘いお菓子。セトにとって、それだけが唯一の救いだった。


 大きくなったら、兄は王になる。きっと皆を幸せにしてくれる。だから、自分は兄を支えられるような、立派な騎士になろう。


 六歳になり、騎士の子どもが多く通う、修道院学校で学ぶことになった——のだが。



「なあ、セト。お前って、ちんこついてるのか?」



 修道院学校で、一番やんちゃな男子児童が言う。


「え……?」


 意味不明な問いかけに戸惑う。


「だって、お前、学校にいる、どの女子よりも可愛いじゃん。本当は女なんだろ?」

「王族は男の方が有利だから、男のふりをしてるんだろ?」


 取り巻きも口を出してくる。


「ち、ちがうよ……女じゃない……」

「じゃあ、見せて見ろよ」


 男子児童はセトの下半身の衣服へと手を掛ける。


「や、やめて……!」

「ほら、お前らも手伝え!」

「いやだ! やめて!」

「男ならちんこ見せろ!」

「兄様ああああ!」


 ——セトの美しい容姿と、王族特有の雰囲気は、修道院学校では目立ちすぎる。いたずら盛りの子どもたちの、格好の餌食えじきとなってしまった。



 修道院学校は、トレイド大聖堂に隣接りんせつしている。

 兄の通う士官学校とは近く、子どもの足でも歩いていける距離にある。


「兄様……どこですか……兄様あ……」


 泣きながら士官学校の周りを歩く。


 道行く生徒達は、不思議そうにセトを見る。

 ふと、セトの目の前に、背の高い、真っ直ぐに切り揃えられた前髪が印象的な、黒髪の女生徒が現れる。女性らしく魅力的な体つきだが、目元はきつく、怖い印象である。


「あ、アダムの家の、末っ子の王子様……」


 セトは女生徒のことは知らなかったが、女生徒はセトを知っているようだ。


「兄様の……お友達?」


 怯えながら、確認する。


「アダムを探してるの?」


 セトはこくこくと頷く。


「おいで、こっち」


 女生徒に手を引かれるがまま、士官学校の中へと入っていく。


「アダム、あんたのところの末っ子、保護したんだけど」

「シンシアか……ってセト? 何でここにいるんだ?」


 女生徒はシンシアというらしい。シンシアは、兄のいる中庭へと案内してくれた。

 兄は、学友のオルランドと一緒にいる。オルランドは代々王家につかえる重鎮じゅうちんの子だ。アダムとは仲が良く、セトも顔見知りである。


「ううう……兄様あああ」


 セトはアダムに泣きつく。アダムは困惑した表情をする。


「どうしたんだ? 修道院学校を抜け出してきたのか……?」


 すると、アダムはセトが下半身に何も履いていないことに気が付いたようだ。


「え……? お前、服どこやった? おもらしか?」

「ちっ、ちがう……」

「じゃあ、どうしたんだ……?」


 真剣な眼差しを向けてくる兄を見て、更に涙があふれる。


「学校の子に……ちんちんを見せろといわれて……取られましたああ……」


 セトは大泣きする。同時に、後ろにいたオルランドが吹き出す。


「最近のガキって変態ね……」


 シンシアが顔をしかめる。


「んん……そうじゃないだろ……喧嘩けんかでもしたんじゃないか?」


 咳払いしてから、オルランドが意見する。


「え……セト、もしかしていじめられてる?」


 顔を青くするアダム。その姿を見て、なんだかセトは申し訳ない気持ちになる。


 ——本当は、心配なんてさせたくないのに。



 翌日、修道院学校で教師に呼び出される。


「セト君、今日は、お友達に何かされた?」


 優しい顔で教師は言う。


「きょ、今日は何も……あの……兄様、何か言ってましたか……?」

「大丈夫よ。セト君が心配するようなことは、何もないから」


 そう言うと教師は、セトのほほを撫でる。その感触に身体が縮こまる。


「セト君。子どもの頃の交友関係なんてね、大人になったら何の役にも立たないの。だから、あんな低能ていのうな子たちに何言われても、気にする必要なんかないわ」


 教師はセトをめ回すように見ると、顔を近づけて、セトに口付けをする。


「それよりも先生と仲良くしましょう。先生はね、セト君や、セト君のお兄さんと仲良くなりたいの……」


 恐怖で、身体が動かなくなる。

 セトは察する。この学校に、逃げ場などないということを。



 夜、セトはアダムの部屋に行く。


「兄様、兄様……」


 ドアを叩くと、寝巻き姿の兄が姿を現す。


「どうした、セト」


 アダムは疲れたような顔をしている。最近いつも遅くまで起きているようだ。士官学校は、そんなに忙しいのだろうか。そんな兄に、相談するのは気が引けるが。他に頼る相手もいない。


「セトは、もう学校へ行きたくありません……」

「どうしてだ? ちゃんと行かないと、パーシヴァルに怒られるぞ?」

「でも……」

「あのな。セト」


 アダムはセトに目線を合わせるようにしゃがむ。


「兄様はな、猊下げいかを守らなければいけないんだ。それは、解るな?」

「はい……」

「だから、セトとずっと一緒にはいられないんだ。セトは、強い騎士になるんだろう? そして、兄様と猊下を助けてくれ。な?」

「はい……」


 微笑むアダムを見て、何も、言えない。

 家にも、逃げ場はない。

 どこにも、ない。


 ——結局、男子児童からの嫌がらせはなくならず、誰のことも頼れない。


 そんな修道院学校での憂鬱ゆううつな日々は、セトが八歳になったとき、少しだけ変化したのだった。

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