第26話 楽園の始祖 Ⅱ

 アダムと二人きりになる。


 改めてみると、本当に見栄えがする。

 アダムは最高位の王妃の実子である。つややかな黒髪も、切れ長の目も、よく似ている。


 エディリア第一王子でありながら、王都騎士団ダリア隊の中でも『最強』と名高い騎士。ダリア隊最強、つまりは、このエディリアにおいて最強だということ。アダムは未だにきさきを持たず、許嫁いいなずけすら作らない。故に、変わり者と言う者も多いが、彼に憧れる女子は大量にいる。


(でも、どうしても、苦手だ……)


 初めて会った時も感じた。

 美麗な容姿、強靭きょうじんな肉体。全ての祝福しゅくふくを受けて生まれてきたような人なのに。


 ——時折、この世の全てを恨んでいるような目をする。


「悪いな。疲れているだろうに。でも、こんな機会、滅多にないと思ったから」

「い、いえ。大丈夫です……」


 二人で話すことになるとは思っていなかったが、アリスにとってもいい機会である。マラキア城の聖堂のことが聞けるかもしれない。それに、猊下げいかのことも。

 アダムはアリスに向き直る。


「話したいっことっていうのは、セトのことなんだけどさ」

「え、あ、はい」

「お察しの通り、本当に危なっかしい弟でな」

「え……まあ……はい」

「あいつは生まれてすぐに母親を失くしてるし、幼少期からずっと一緒にいる、気の置けない家臣もいないんだ。それ故、少々ひねくれてしまっていて。あまり他人に自分のことを話したがらない」


 アダムはソファーに深くもたれかかると、話を続ける。


「今日だって、本当は怪しい集会だと途中で気が付いたはずなんだ。それなのに誰にも言わずに……一人で何とかできると思ったんだろうな。俺に自分を認めさたかったんだ……」


 そこまでセトのことを解っているのなら、もう少し優しくしてあげてもいいのに、と思う。

 セトのことは八歳の頃から知っている。士官学校より前、修道院学校でも一緒だった。特別、仲がよかったわけではないが、話す機会はあった。いつだって、セトは口を開けば『兄様』の話しかしない。それほどしたっているというのに。


「アダム殿下は……セトに興味がないのですか?」

「そんなわけないだろう。大切に思っているよ」

「であれば、もっとアダム殿下が話を聞いてあげれば……」


 アダムは遠い目をして、応接室の天井を見つめる。



「俺に、そんな資格はないんだよ」



「…………?」


 資格とは何だろう。兄が弟を気遣きづかうのに、なんの資格がいるというのだろうか。


「まあ、困った子だけど、セトは君のことはすごく気に入っているみたいだ」

「そんなことは……」


 すごく気に入っているというのなら、相手が大切にしている物を窓から投げ捨てたりするだろうか。お前には何もできないとか、余計なことはするなとか、心無い言葉を言うだろうか。

 アダムの発言は、あまり響かない。


「君がセトを支えてくれるなら、俺は安心できる」


 アダムはアリスに優しく微笑む。その笑顔から目をらして、口にする。


「自信は……ありません。私とセトは、愛し合って婚約したわけではありませんから。王族であるアダム殿下ならば、ご理解いただけるでしょうけど」

「セトのこと、嫌いか?」

「……正直に言うと、好きでも嫌いでもありません」


 率直そっちょくな感想だ。アダムはそれを聞いても、微笑みを絶やさない。


「今はそれでもいいさ。ただ……傍にいてあげて欲しい」


 そう言うと、軽く伸びをするアダム。


「ま、これは俺の我儘わがままだ。君は君の好きにすればいい。ただ、俺は君とセトには幸せになってほしい。そう思っているのは本当だ」

「……はい」


 下を向いたまま返事をする。


「……遅くなってしまったな。そろそろ……」

「あの……少し、いいですか」


 アリスはアダムの言葉をさえぎる。


「何だ?」

「マラキア城の聖堂について……聞きたいことがあるのですが」

「聖堂? 俺は祭事さいじにはあまり関わっていないから、大したことは答えられないかもだが……」

「最後に使ったのはいつですか?」

「……去年の、天使降臨祭てんしこうりんさいかな」


 天使降臨祭。毎年十月一日に開催される、エディリア最大の祭典。天使が初めてイヴの前に現れた日をお祝いするのだ。御馳走ごちそうを食べ、華やかな行列が出て、悪霊デーモン除けの聖火を焚いて、朝まで踊る。この日だけは、子どもたちも夜遅くまで外に出ることを許される。


「去年の天使降臨祭ですか……私も参加して、猊下げいかを見ました」


 天使降臨祭は、猊下が聖堂で天使に誓約せいやくを宣言することで始まる。

 マラキア城の聖堂は、一般の人々は入ることはできない。去年はアリスとセトの婚約後、初の天使降臨祭だった。アリスは王子の許嫁いいなずけとして初めて聖堂に入り、最前列でそれを見届けたのだ。


 宣言の後、猊下は王都騎士と共に、馬車で王都を回る。それが、民が猊下を見ることができる、唯一の機会。


「あそこの聖堂が使われるのは、天使降臨祭と、王家に子どもが生まれた時と、王家の誰かが死んだときだけだからな。まあ、イヴならいつでも入れるけど。何せ『天使が住む場所』だからな。イヴは天使と話したくなったら、あそこへ行くだろうよ」


 何故だか薄笑いを浮かべ、アダムは言う。


「猊下が誰も入れないように、術をかけているのですか?」

「術? 何のことだ? 普通に円盤鍵えんばんかぎがかかっているだけだと思うが。鍵はイヴが持っている」

「はあ……」


 解らない。アダムが嘘をついているようにも見えない。


 元々、一般の人々が立ち入ることができないマラキア城内にある聖堂で、普段は使われていなくて、猊下だけがいつでも入ることができて、エクス達の長である大天使がいるだろう場所。一度だけ入ったことがあるから知っているが、貴重品などは何も置かれていない。白い石壁が美しい、質素な聖堂だ。誰が何のために術をかける必要があるのだろう。それも、禁術のたぐいかもしれないぐらい、厳重な術を。


 元々自分しか出入りできない場所に、猊下が更に術をかけるだろうか。誰かが猊下と大天使を会わせないようにしているのか。それとも、大天使自ら、聖堂に引きこもっているのか。


 猊下に直接話を——聞くことができるわけがない。

 もしも、万が一にも会えるとしたら、四カ月後の、今年の天使降臨祭か——


「……あの、猊下のお身体の具合は、どうでしょうか?」

「イヴの……?」

「はい。セトから、あまり良くないのではないかと聞いているので……」

「まあな……イヴは特別な力を持つ代わりに、身体が弱く、寿命も短いから……」


 悲しげな顔をするアリスを見て、アダムが言う。


「アリス殿は……イヴが好き?」

「はい……えっ? えっと、その、この地に住む人々なら、皆、猊下を慕っていると言う意味で……」


 動揺してしまった。顔も赤くなっている気がする。変だと思われていないだろうか。


「それが、そうでもないんだよな」


 アダムの表情は一変し、氷のように冷ややかになる。


「先代のイヴが亡くなったのは五十年以上前だ。もう老人しか生きていた頃の姿を知る者はいない。それでも、先代のイヴはもっと民のために力を使ってくださったと、不満を言う者もいるんだよ」


 冷淡れいたんな表情のまま、アダムは続ける。


「君も知っているだろうけど、イヴが天使から与えられる力は、天使の声を聞けるというだけではない。強力な神道術テウルギア——特に、治癒の神道術テウルギアが使えると言われている。治癒の神道術テウルギアは、普通の術師がどれだけ霊と心を通わせようと、使うことができない。イヴのみに与えられた、奇跡の力さ。先代イヴはその力を積極的に民に使ったそうだよ。不治ふじの病を、瀕死の騎士を、生まれてすぐに死ぬはずだった赤子を、救ったとされる——そうして、無理が祟って二十歳という若さで死んだんだ」


 アリスは何も言えず、ぐっと息を呑み込む。


「歴代最強と言われたイヴは、民を守るために、自ら悪霊デーモンと戦ったと伝えられているしな。今のイヴは何にもしてないじゃないか。なんて言われることもあるんだよ」

「そんなことは……! 猊下は誰よりもこのエディリアの安寧あんねいを日々祈っているというのに! 天使のお告げを受け、それを各地に広め、平和を維持しているじゃないですか!」


 アリスがいきどおりをあらわにすると、アダムは冷たく微笑む。


「なあ……アリス殿は、天使のお告げって、本当にあると思う?」

「えっ?」



「俺はな、天使を信用してないんだ」



 急に何を言い出すのだろうと思ったが、アダムの話を聞く。


悪霊デーモンと違って天使は見えないしさ。存在してないとまでは言わないけれど、本当に今でも人々を見守っているのかは疑問だ。俺は子どもの頃から、天使のお告げってやつは、王族や重役……今で言うと、父上か母上辺りが、エディリアの民を操りやすくするために適当に言ってるだけなんじゃないかって思ってるんだよ」


 アダムは無表情のまま、淡々たんたんと話す。


「イヴという存在だってさ、王家が絶対的権威ぜったいてきけんいを維持するために作り上げているだけかもしれないって思ったこと、ないか? 兄である俺ですら、イヴが天使といつ会っているのかとか、何も知らないんだ。俺の弟は、王家に利用されているだけなんじゃないか……ってね」


 そう語るアダムの顔は、恐ろしかった。

 何がアダムを、こんな顔にさせるのだろうか。この人は、いずれは王になり、その権力を、イヴの寵愛ちょうあいを、受け取るべき立場の人なのに。


「王家に子どもが生まれた時、どうやって天使から名前をもらうか教えようか? まず、聖堂の真ん中に赤子と真っ白な紙を置くんだ。その後、神官を除いて他の者は一度、立ち去る。そして一時間後、皆で赤子を見に行くと、紙に名前が書かれているんだよ。面白いだろ?」


 アダムは嘲笑ちょうしょうする。


「子どもながらに、神官が書いてるだけなんじゃないか? って思ったね!」


 アダムが笑い終えると、応接室に沈黙が流れる。

 アリスは恐る恐る口を開く。


「あ、その……私は……天使は、いると思います……」


 げんに見ているのだから——とは言えないが。


「猊下は天使に選ばれた……そう思っています。猊下はそんな……いつわりなんかじゃありません……」


 真剣にアダムを見据える。アダムは困ったように笑うと、言葉を発する。


「気を悪くしたなら謝ろう……変な話をしてしまったな。なんだか君は、話しやすくて。君は立派だ。お手本のようなエディリアの民だ」


 そして、誰にも聞こえないような声でつぶやく。


「……王妃が気に入るわけだ」


 ぱっと笑顔になり、アダムは立ち上がる。


「さっき、イヴが元気かどうか聞いたよな」

「え……あ、はい」

「大丈夫だよ」


 その言葉を聞いて、アリスは安堵あんどする。

 それも束の間、アダムはアリスに近づくと、暗い声でささやく。


「エディリアの民は、イヴに心配される側だ。君が心配する必要はないんだ……イヴには俺がいるから」


 身体が硬直こうちょくした。が、見上げたアダムの顔は、笑っている。


「付き合わせてごめんな。疲れただろう……おやすみ」


 そう言うと、アダムは応接室を後にした。



* * *



 客室に戻って、アリスはベッドの中に入る。

 高い天井、豪華な装飾。まだまだ慣れない、この城。


 天井に手をかざして、右手の中指の指輪を見る。


「エクス……」


 返事はない。ちゃんと、元気になってくれるだろうか。

 今だけは、いつもの、アリスを呼ぶ鬱陶うっとうしい声が恋しい。


(結局、知りたいことは何も知れなかった……)


 知りたくないことはたくさん知ってしまった気がするが。

 魔女ウィッチうたげ大悪霊アークデーモンの正体、第一王子の考え、聖堂の謎、イヴのこと——


(猊下も、この城のどこかに、いるんだよな)


 そう思うだけで、鬱々うつうつとしたこの城が、愛おしく感じられる。


 ——会いたい。会って、また、他愛もない話をしたい。

 

 恐らくこの世界で、アリスしか知らない、彼の別の一面。

 リリスのいなくなったこの世界で、たった一人だけの、アリスの理解者。


 今でも、彼が、彼だけが、永遠の憧れ。


「エル……」


アリスはつぶやき、そっと目を閉じた。

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