第25話 楽園の始祖 Ⅰ

「アダム……殿下……」


 アリスを襲ってきた狂悪霊インセインデーモンを始末したのは、エディリアの第一王子、アダム。

 アダムは剣をさやにおさめると、アリスの方へと近づく。


「……怪我はないか? アリス殿」

「……私のこと、解るんですか?」

「勿論。セトの大切な許嫁いいなずけだからな」


 そう言って、普通の乙女であれば見惚れるような笑顔を向けてくる。


 意外だ。アリスには興味がないのかと思っていた。

 大切だと言うのなら、少しの時間でもいいから婚約式に顔を出してくれればよかったのに。セトも、ずっと待っていたのだから。


 アダムは少し困ったような顔をしながら言う。


「何故ここにいるのかとか、色々聞きたいことはあるが……とりあえず君を安全な場所に連れていくのが先だな」


 アダムはアリスに近づく。あまりにも至近距離に来るものだから、少し身構える。すると——


「よいしょ」


 アダムはアリスを軽々と持ち上げる。おんぶでも姫抱きでもなく、赤子のように抱かれる。腰が抜けてると思われたのだろうか。立てないわけではなかったのだが。正直、ものすごく恥ずかしい。


「あの……!」


 軽く抵抗したが、アダムは無視して話し続ける。


「騎士団の馬車が止めてあるから、今日はそれに乗っていって、城に泊まるといい」


 馬車の前で地面に下ろされる。アダムは馬車から添毛織てんもうおりの布を持ってくると、それでアリスの頭を拭き始める。


「ちょっ……! わぷっ!」


 顏の泥を拭かれ、手を拭かれる。

 そのまま、アダムはしゃがんで——狂悪霊インセインデーモンの粘液で服が溶けて露出した、脚まで拭こうとする。


 アリスは真っ赤になって後退あとずさる。


「じっじっ、自分で拭けますから‼」


 大声を出したアリスを見て、アダムはきょとんとする。しばらくすると何かに気がついたのか、そうか、と言う。


「ごめんごめん。セトと同い年って聞いてたから……ちょっと子ども扱いしすぎたな! ははは」


 アダムはけらけらと笑う。穴があったら入りたい気分だ。調子が狂う。何か大切なことを忘れている気がするのだが——

 ふと、思い出す。クロエのことだ。


「あ! あの!」

「ん?」

「私、学友と一緒に来てたんです! その子が何処にいったか……」

「ああ、魔宴サバトに参加していた学生は保護した。王都騎士が責任をもって、家まで送り届けるから」

「あ……そうだったんですか……よかった……」


 とりあえず、クロエは無事のようだ。アリスは胸を撫でおろす。


「さ、アリス殿も乗って」

「は、はい……」


 差し出されたアダムの手を取り、アリスは馬車へと乗り込んだ。



* * *



 数日ぶりのマラキア城内。

 婚約式の時、控室として使っていた客間をまた使わせてもらった。


 部屋の扉が叩かれ、使用人の声が響く。


「アリス様、お着替えは終わりましたか?」

「はい、ありがとうございます」


 浴場を借り、白のワンピースに着替え終わったアリスは扉を開ける。


「落ち着かれましたら応接室へ来るようにと、アダム殿下が」

「あ、大丈夫です。今から行きます」


 廊下を出て、使用人の後をついていく。

 相変わらず、綺麗な所だ。長い廊下、きらびやかな装飾品。やはり、埃ひとつ落ちていない。


(でも——雰囲気が、暗い)


 セトはこんな所に住んでいて、気が滅入めいらないのだろうか。アリスが、広すぎる城の空気に慣れていないだけなのかもしれないが。


「こちらです。では、失礼いたします」


 使用人は、応接室の扉の前で止まると、アリスに一礼して去っていく。

 アリスは気を引き締めて、応接室の扉を押す。


「遅くなって申し訳ありません、アダム殿下……あれ……」


 まだ、アダムはそこにはいなかった。

 案内された応接室は、美しく装飾された壁紙でおおわれ、真ん中には豪華なテーブルが置かれている。そのテーブルを挟んで向かい合うように、繊細な刺繍ししゅうや金の糸で彩られたソファーが配置されている。そして、手前側にあるソファーに座って、テーブルに突っ伏している人物がいる。


 細やかで美しい金色の髪で顔が隠れているが、誰であるかは一目瞭然いちもくりょうぜんだ。


「……セト?」


 アリスが恐る恐る声を掛けると、セトは顔を上げる。

 ぐしゃぐしゃに泣きらした顔で、アリスを睨む。


 麗しい少年のあまりにも悲痛な顔に動揺する。


「えっ? どっ、どうしたの……?」



「馬鹿‼」



 急に罵倒ばとうされた。いつものセトだ。


「お前があんなところに行くから、俺まで兄様の隊に迷惑をかけて……!」


 そう言うと、セトはまたボロボロと泣き出す。


「うう……もうお終いだ……兄様に嫌われた……嫌われた……」


 再びテーブルに突っ伏して、めそめそと泣く。


 アリスは困惑する。何のことだか全く解らない。

 すると、応接室の扉が開く。

 セトはびくっとして、涙をぬぐい、正しく座り直す。


「ん? 俺が一番遅かったか。ごめんな」


 姿を現したのはアダムだ。先程まで着ていた隊服ではなく、黒いシャツ姿だ。くだけた服装だが、手には黒の革手袋をはめている。


「さてと」


 アダムは向かい側のソファーに腰かける。


「んー……君たちも、もう十七歳だしな。あまり五月蠅うるさいことは言いたくないんだが。王や王妃が多忙な中、何か言ってやれる大人は十一歳年上のお兄ちゃんである俺だけだって訳で……」


 そう言って、眉間にしわを寄せる。


「まずはセト、どうして魔宴サバトにいた?」

「えっ⁉」


 セトが魔宴サバトに来ていたとは知らず、アリスは声を上げる。

 アダムの顔色をうかがいながら、セトはびくびくと話し始める。


「アリスが……学校で……友人と魔宴サバトに行くと、話をしているのを聞いてしまったので……心配で……」


 まさか聞かれていたとは。それだけで、ついてきてしまったのは意外過ぎるが。


「何故、怪しいと思ったらすぐ、ダリア隊に言わなかった?」


 厳しめの口調で、アダムが言う。


「それは、その……」


 セトは涙目になりながら何かを言おうとするが、口をつぐむ。


「……黙ってちゃ解らないぞ?」

「……申し訳ありません」


 それだけ言うと、再びセトは沈黙する。


「ふうん……アリス殿は?」


 怒っているのか、興味がないのか。よく解らない表情のアダムは、アリスに聞く。


「あ……私は、友人についてきて欲しいと言われたので……あんな危ない集会だとは知らず……」


 クロエには申し訳ないが、嘘を吐いた。

 王族であり騎士でもあるアダムに、交霊術ゴエティアについて調べていることが知られるとまずい。最悪、尋問じんもんを受ける。


魔宴サバトというのはな、魔女ウィッチ——悪霊デーモンなどに興味を持つよこしまな者が定期的に開いている、禁術研究会のようなものだ」


 アダムはため息混じりに言う。


「それが近々行われるという情報を得て、ダリア隊はあそこを張っていた。たまたま当たったからよかったものを。俺達がいなかったらと思うと……」

「本当にすみません……」


 素直に謝り、アリスはアダムを見る。やはり、感情は読み取れない。


「二人は何も知らずに、あの場にいたってことだな?」

「はい……」


 アリスは答える。セトもうなずく。


「解った。じゃあこの件については、もう何も言わない。ただ、夜は出歩かないこと。何かあるなら、先に俺や他のダリア隊の者に話をすること。アリス殿も遠慮しないでくれ。君はもう王家の人間のようなものなのだから」

「わかり……ました」

「約束だぞ?」


 アダムは優しく微笑む。

 思ったよりもあっさり話が終わってよかった。そう思った矢先——


「そうだな。少しアリス殿と二人きりで話がしたい。セトはもう休みなさい」

「えっ……?」


 アリスは驚く。予想外の展開だ。


「あっ……あの、兄様……?」


 黙っていたセトが口を開く。


「どうした?」

「もう少し、俺も兄様たちとお話ししては……駄目ですか……」

「セト」

「は、はい」

「おやすみ」


 有無を言わさぬ感じだ。少し、冷たい——と思う。

 セトは見捨てられた子犬のように、しょんぼりとして応接室を出ていった。

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