第22話 夜の魔女 Ⅲ

 ライラの死者蘇生ししゃそせいの禁術によって作られた狂悪霊インセインデーモン


 頭部には巨大な口があり、広く、尖った歯が見える。複数の触手が絡み付いた胴体は丸く、合計八本もの脚には鋭い爪が付いている。獰猛どうもうさと不気味さを備えた、まるで蜘蛛くものような姿だ。


 狂悪霊インセインデーモンは大木の上部に張り付くと、叫声きょうせいをあげる。

 身体をぶるぶると震わせ、四方八方に黒い粘液を吐き出す。

 降り注ぐ粘液をひらひらとかわす。粘液がかかった草木を見ると、ジュウジュウと音を立てて溶けていく。


「ひっ……!」


 アリスは思わず顏を引きつらせる。この粘液に触れたら、人間の身体はどうなるのだろうか。


「こんな特殊な攻撃してくる狂悪霊インセインデーモンもいるの⁉」

狂悪霊インセインデーモンの能力は取り込んだ浮遊霊によって千差万別だからな。予測するのは難しいな」


 狂悪霊インセインデーモンの脚は細長く、柔軟で、木から木へと自由自在に移動する。


(何処から仕掛けてくるか解らない……!)


 再び叫声を上げると、アリスの下半身目掛けて粘液を吐き出す。


「ひゃあっ……!」


 咄嗟に身体をひねる。間一髪で避けるが、スカートと外套がいとうが粘液に触れ、右脚があらわになる。


(……落ち着け。何とかして近づいて、奴の胴体を貫かないと……)


 木の上から攻撃されては、手が出せない。とりあえず、八本の脚をどうにかしなければ。

 次に狂悪霊インセインデーモンが別の木に移動する瞬間——


「今!」


 伸びた脚を、斬りつける。

 狂悪霊インセインデーモンの脚は切断され、地面へと落ちる。



 ギィアアアアアアア!



 耳障りな声が響く。脚は切れたまま、再生はしない。


(地道だけど、一本ずつ、斬っていくしかない……!)


 狂悪霊インセインデーモンは地面へ降りると、七本の脚を鞭のようにしならせ、先端の爪で攻撃してくる。

 周りの木に穴が空く。恐ろしい光景を目の当たりにしても、冷静さを保ち続ける。

 アリスは舞い踊るように、狂悪霊インセインデーモンの脚を次々と切り落としていく。


(あと一本……!)


 そう思った、刹那——

 ぱちぱちと手を打つ音が夜闇に響き渡る。


 思わず振り返ると、そこにいたのは先程の、赤髪の魔女ウィッチ——ライラだ。


「すごーい! お嬢さん、強いのね!」


 憧れの存在を目にしたかのように、キラキラと輝く瞳でアリスを見る。


「久しぶりに見た! 天使と聖女セイント! 今日はなんて素敵な日だろう!」


 呆気にとられるアリス。何故、魔女ウィッチはこんなにも嬉しそうに、そこに立っているのか。


「お嬢さんは何しに来たの? もしかして私に会いに来てくれたの? 嬉しい!」


 恍惚こうこつとした表情で、ライラは続ける。


「嬉しいなあ、この嬉しさをどう表現しよう!」

「何を……」


 疑問をぶつけようとしたが、言葉が出てこない。

 ライラは自身を抱きしめるようにしながら、嬉しそうに口にする。


「……せっかく会いにきてくれたのだから、期待に応えないとね!」


 そう言うとライラは、こほん、と咳払いをし——歌い始める。


「歌……?」


 アリスは困惑したが、透明な声に心が奪われる。


 聞く者の心を浄化するような、美しい歌。


 ライラの歌は心に直接響くようで、時間が止まったように感じる。



「アリス!」



 エクスの声が聞こえて我に返る。

 見ると、先程まで戦っていた狂悪霊インセインデーモンの様子がおかしい。ギャアギャアと叫んだかと思うと、みるみるうちに巨大化していき、胴体から触手が伸びていく。


 切り落とした脚が再生し——先ほどよりも、禍々しい姿へと変貌する。


「何で……⁉」


 アリスは後退る。


魔女ウィッチによって、狂悪霊インセインデーモンが強化されたんだ。天使と似ていて、狂悪霊インセインデーモン魔女ウィッチの呪いで強くなる」


 ライラの歌を受けて、先ほどよりも狂悪霊インセインデーモンの動きが俊敏になる。

 迫りくる脚を受け止め、防戦一方となるアリス。


「これお手本な。本当は天使も歌で強化されて戦うんだ」

「そんなこと言っている場合じゃないでしょ!」


 狂悪霊インセインデーモンの脚が伸びきった瞬間、再びアリスは脚を切断しようとする。

 しかし、剣が通らない。先ほどよりも触手が強く絡み合っている。


(どうすれば……!)


 狂悪霊インセインデーモンは脚を振り回す。アリスは弾き飛ばされ、地面へと転がる。

 追撃される。身を起こそうとしたが、間に合わない。

 

 だが、次の瞬間——

 

 狂悪霊インセインデーモンの動きがぴたりと止まる。

 その場で藻掻き、叫び声を上げると、木々を掻き分け逃げていく。

 アリスは何が起きたのか解らず、ただ呆然とする。


「あれあれ? どこいっちゃうの?」


 ライラが歌うのを止める。

 辺りに静寂が漂う。しばらくして——



「ライラ」



 と、聞き覚えのある、低い声がする。

 ライラは声の主へと文句を言う。


「もう、狂悪霊インセインデーモンが逃げちゃったじゃない! 何しにきたの?」


 歩く音が近づいてくる。

 黒い外套がいとうにダリア隊の紋章。黒檀こくたんの長髪に、蒼石の双眸そうぼう

 


 何故。彼が、ここに——



「騎士……様……?」


 動揺するアリスに、黒騎士はいつもの調子で答えた。



「おはよう、アリー。いい夜だな」

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