第23話 大悪霊 Ⅰ

 アリスの様子がおかしい。特に、婚約式後から。


 セトは、昔からアリスのことを『何を考えているか解らない奴』だと思っていたが、近頃は一層いっそう解らない。


 アリスは頻繁ひんぱんに眉間に深いしわを寄せ、目には疑問を浮かべている。

 今日に至っては、普段は他人に関わったりしないのに、同じ学級のクロエと食事をしている。


 きっと何かあるに違いない。

 悪いとは思いつつ、二人の会話の盗み聞く。



「アリス、魔宴サバトは明日の夜。十九時に待ち合わせしましょう」



 魔宴サバト——とは、何のことだろうか。何故アリスがそれに参加するのか。

 十九時といったらだいぶ暗い。そんな時間に、わざわざ集まる意味とは何なのだろう。


 最近のアリスはセトに隠し事をしている。話してくれないのはいつものことだが、それに苛立つ。


(知りたい。だが、鬱陶しい男だと思われたくない……)


 ただの女生徒達の交流会かもしれないし、何をしに行くのかとか、行くのを止めろとか、直接言うのはよくないだろう。


(仕方ないよな……)


 気になるものは気になる。本当はしたくないけれど、アリスの後をつけるしかない。昔から、セトの嫌な予感はよく当たる。心配しすぎなのかもしれないが。


 危険な場所じゃないことが確認できたら、すぐに帰ればいい——



 そうして、アリスをつけてきたセトは、魔宴サバトとやらが行われている屋敷の前まで来る。


(ここは、人が住んでいるのか……?)


 建物はしっかりしているように見えるが、庭が荒れている。

 少し居心地の悪さを感じたが、アリスとクロエは屋敷の扉へと向かっていく。そして、扉の前にいる女と何やら会話をし、中へと入る。


 セトもそれに続こうと、扉の前にいる女に話しかける。


「あの……知り合いが入っていったんだが……これは、なんの会だ?」

「合言葉は?」

「へっ?」

「合言葉をお願いします」

「合言葉って……何だ?」


 女はにっこりと笑って言う。


「お引き取りください」



(……閉め出されたな)


 アリスは中に入ってしまった。結局、何が行われているのか全く解らない。

 どうにかして入る方法はないかと、諦めきれずに屋敷の周りをウロウロと歩く。


 ちた子どもの遊具、何も植えられていない鉢植え、屋敷の裏に生い茂る木々——


(なんか……暗いんだよな……)


 ふと、屋敷に裏口があるのを見つける。

 金具はび、塗装は色あせていたが、まだ扉としてはしっかりしているようだ。


(まさか……開いているわけないよな)


 そう思ったが、念のため、取っ手を掴んでみる。

 キィ、と音を立てて、扉は開いた。


(なんだ。普通に開放してるんじゃないか。合言葉ってのも、仲間内での遊びみたいなものなのかな)


 セトは屋敷へと足を踏み入れる。

 長い通路だ。所々に灯りはあるが、全体的に薄暗い。


(アリスはどこだ……?)


 セトは、人が集まっているだろう場所を目指して歩く。

 人の話し声が聞こえてこない。通路には、セトの足音だけが響き渡る。


 歩いて、歩いて、歩いて——迷う。


(……何っでこんなに広いんだよ!)


 外観からは想像できないほどに広い。通路がまるで、迷路のように入り組んでいる。


 一人で苛立っても仕方がない。とにかく、アリスを探さなくては——


 そう思った矢先、二人分の足音が聞こえてくる。どうやら、曲がった先のようだ。

 セトはこっそりと、足音のする方向を確認する。


「あの……これ……ついていけば、術を教えてもらえるんですよね?」


 若い女の子の声だ。なんとなく、聞き覚えがある気がする。


(あれは、同じ学級の、クロエ……?)


 そこにはクロエと、片目を髪で隠した、知らない女がいる。アリスの姿はない。


「ええ、もちろん。いじめっ子への復讐に使えるものもたくさん教えてあげる」


 セトはアリスがいる場所へとたどり着けることを期待して、クロエたちの後をつける。

 だが、二人は突き当りの部屋へと入ってしまう。


 セトは扉の前に立つ。


(中の様子が解らない……扉を叩いてみても、いいよな?)


 別にやましいことをしているわけではないのだから。普通に行ってアリスがいるか確認すればいい。


 念のため、扉の前で聞き耳を立てる。すると——


「な、なにをするんですか⁉ やめてください!」

 クロエの怯えるような声がする。


「誰かっ……! アリス! アリス!」


(……アリス⁉)


 セトは扉を蹴り開ける。そして、目に飛び込んできた光景に驚愕きょうがくする。


 部屋は、医務室といった感じだ。壁は所々に穴が空き、びついた鉄のベッドが一つ。壁には埃にまみれた棚があり、そこには使い道が不明な器具が無造作に置かれている。クロエと片目を隠した女の他に、二人の若い男がいる。男たちはセトよりも体格が良く、女の用心棒といった感じだ。二人の男はクロエをベッドに押さえつけており、片目を隠した女は刃物を手にしている。


「……何やってるんだ? お前たち……」


 アリスはいない。だが、目の前の事態を放っておくわけにはいかないだろう。


「セ……セト様……?」


 クロエが涙ながらに言う。セトとクロエは一度も会話をしたことはないが、お互いの顔ぐらいは知っている。


「あら、可愛いお客さんだこと……」


 片目を隠した女は、セトに熱い視線を送る。

 セトは嫌悪けんお感を込めてにらむと、女に向かって言う。


「そこにいるのは俺の学友だ……暴力行為はやめろ。お前ら全員、王都騎士団に突き出すぞ」

「ふふ……いいじゃない、その目」


 女は微笑み、二人の男に目配せする。

 男達はクロエを解放する。

 解放されたクロエはすっ飛ぶようにセトの後ろへと回り、セトの服のすそを掴んで震える。


 片目を隠した女は、にこりと笑って言う。


「坊やの方が断然綺麗だし、坊やから頂くことにするわ……捕えて!」


 セトに向かって、男二人が襲いかかってくる。


「逃げろ!」


 そう言って、クロエを通路へと押し出す。


 向き直ると、一人の男がセトの側面から鉄棒で殴りかかる。

 セトは攻撃を見切り、身をかわす。

 すかさず男の手首を掴んで鉄棒を引き剥がし、脇腹に重い蹴りを入れる。


「ぐふっ!」


 男は苦しさに身をよじり、床に倒れ込む。


 奪った鉄棒を構え、周囲を見渡す。

 狭い部屋。戦闘には適さない。相手は三人。だが、騎士ではない。

 パーシヴァルにしごかれて泣きながら覚えた剣術が通じない相手ではないだろう。


(これぐらいなら、俺一人で——)


 王都騎士になるのだから。これぐらい切り抜けられなくてどうする。


 兄に認めてもらうためにも、こいつらを確保しなければ——


 もう一人の男が、ハンマーのような形状の武器を持ち、セトに向かって縦に振り下ろす。

 セトはたくみに鉄棒を横に振り、攻撃をいなす。

 反撃を仕掛ける。が、男はすぐに体制を立て直し、再び武器を振り下ろす。


 ゴウン、と、鉄の音が鳴り響き、武器が交錯する。


「へえ、意外と戦えるじゃねえか。女の子みてえな顔して」


 セトは何も言わない。安易あんいな挑発に乗るほど子どもではないし、馬鹿にされるのは慣れている。


「だがなあ……お上品すぎるんだよ」


 そう言うと男は、全力でセトに頭突きをする。


「がっ……!」


 頭部への衝撃でセトはよろめく。相手から目を逸らしてしまった。その矢先——


 左足の甲に痛みが走る。

 下を見ると、最初に蹴飛ばした男が這いつくばって、セトの足を刃物で突き刺している。


 後ろに退けない——


 前方から仕掛けてきた、もう一人の男の横払いを腹に食らう。


「ぐっ……! ゔぇっ……!」


 たまらず、胃液を吐き出す。そのまま膝をつく。

 男に乱暴に髪を掴まれ、喉元に鈍器を突き付けられる。


「げほっ、げほっ……」


 苦しさが押し寄せてきて、生理的に涙が流れる。


「動くなよ。これ以上傷つけたくないんだ。その綺麗な身体は丁寧にバラして、姉御が使うんだからよ」

「そうよ。さあ、こっちにいらっしゃい」


 片目を隠した女が、クスクスと笑う。

 腹部が痛んで、正しく呼吸ができない。頭に酸素が行かず、意識が遠のいていく。


 そんな中、考えをめぐらす。

 クロエは逃げられただろうか。アリスも、どこかで危険な目にってはいないだろうか。


 情けない。こんなごろつき相手に。


(兄様……)


 ——最近は顔も見ていない。何をしているのかすら知らない。

 もう、自分のことなんてどうでもいいのだろうか。

 自分がここで消されたら、少しは悲しんでくれるのだろうか。


(何もできない弟で、ごめんなさい……)


 ぼやける視界に、女が映る。


「うふふ……いい子ね……」


 女はセトに近づき、手を伸ばす。


 瞬間——ぴたりと動きを止める。


「……何の音?」


 集中して聞くと、十人、いや、それ以上の、人の足音が近づいてくる。

 足音はだんだんと近づいてきて——セトのいる部屋へと入ってくる。



「全員、動くな」



 迫力を持った、重低音の広がりを持つ声が聞こえる。


 紫の隊服に、ダリアの紋章。

 この地で暮らすものであれば、誰もが知っている。

 絶対的な秩序——王都騎士団。


「我はダリア隊、隊長補佐パーシヴァル。この屋敷は既に王都騎士団によって包囲された。諦めて降伏しろ」


 パーシヴァルは辺りを見回し、床に転がるセトを一瞥いちべつする。

 瞳にだけ激情を宿らせ、冷静な口調で告げる。



魔女ウィッチどもの逃げ場など、このエディリアには存在しない」


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