最終話 女神の部屋と箒星

「決着を…つけにきたわ」

 口火を切ったのはレオノラだった。

「なら、あなたの体をちょうだい。それで私は完全に神様になれる」

 同じ声でモルクが返す。


 この階層に踏み込む前に、フィアはレオノラからすべてを聞かされていた。この先に誰がいるのか。そもそも何があったのか。レオノラの主観にもとづいた話ではあったが、フィアはそれを信じることにした。どうせ抜けているところがある。棚に上げている部分もある。盛っている部分だってあるに違いない。だが、それも含めて信じることにした。ここで帰すこともできるという申し出は断った。報酬の交渉すらしていなかったが、レオノラはもう、フィアにとっての依頼人となっていた。


「あげられない。私はあなたを止める」

「止める権利があなたにあるの?レオノラ!全部あなたのせいじゃない!」

「権利は無い。だけど、私には義務がある。いまさらだと思われたって良い。私にはこの世界をあなたから守る義務がある」

「ほんっと、いまさらよね!私が義務も受け継いであげる!私が神の力を、権能を、あなたより上手に使って、世界から不幸せを無くしてみせる!私みたいな想いをする子が二度と生まれないようにしてみせる!だから!力を寄越しなさい!レオノラァァァァァァッ!!」

 言葉を紡ぐたびにモルクが散らかっていく。この部屋が片付いているように見えたのは、自分の中に押し込んだからだ。女神の力に耐えるため、魔物に変異した様々なものを取り込んだに違いなかった。レオノラは動かない。動けないのではない。モルクに向き合うという覚悟があった。モルクとは反対に、ここに来るまでに散らかっていた自分の中身に向き合い決着をつけていた。彼女は自らの手で掃除を終えていた。


 モルクの右手がミミックに姿を変える。

「もう、始めるぞ」

 フィアが手斧でミミックを打ち据えると、バカンと割れて、すぐさま牛に変わる。

「えぇ、掃除しましょう」

 牛は蒼炎に包まれ燃え落ちるが、すぐさま手が生えてくる。


「どこから片付けるんだ?」

 フィアは距離を取りながら、こつこつと拾っておいた魔石でスライム化した部分を狙い撃つ。ズブリと体に潜り込んだ魔石が周囲を巻き込んで凍りついたり爆ぜたりする。

「手当たり次第やるしか無いんでしょ!」

 レオノラは神器を操ると第1階層から木箱を転送してモルクの頭上に降らせる。

「散らかすのは反則だろ!」

「あとで片付ければいいでしょ!」

 モルクは降り注いだ木箱ですらも取り込んでその体を不安定に蠢かせる。顔だけは元のままで怨嗟を叫び続ける。

「助ケを求めル声が、お前にハ聞こえテいたはズだ!お前は穢レた神ダ!相応しくなイ!」

 声が二重にも三重にも聞こえる。見れば体中に顔が浮かび上がり、真っ赤な目を見開いて世界のすべてを憎むように睨んでいる。フィアにはそう見えた。

「腹が減ッた!食い物!食イ物!」

「シアワセだ!もっトしあワせ、寄越せ!」

「力ガあレバ怖くナい!チカラをくれ!」

「我ガ種族二繁栄ヲ!」

「レオのラさマ!もット愛シテテテテ」

「滅べ、イヤシきモノども!」

 レオノラの手が躊躇いで止まる。振り回された触手がその隙を突いた。

「レオノラ!」

 フィアの意識にも隙が生じて、レオノラの二の舞を演じる。壁に叩きつけられた。一発もらっただけでこれだ。全身が痛い。いや、もはや痛い場所がわからない。モルクは攻撃に適応するためか、あるいは体の形を保つためか、どんどん硬質化していく。さっきまで効いていた魔石による投擲も無効化されつつあった。着弾とともに砕け散ってしまう。レオノラの炎も効いている気配が無い。2人は自然と追い詰められて同じ場所に集められる。何度目かの治癒は傷を消すことはできても、精神的な疲労までは消すことができない。明らかなジリ貧だ。せめてもの強がりにと睨みつけた先には、フィアをここまで連れてきた女神と同じ顔が薄ら笑いを浮かべている。

「ずいぶんと悪趣味な女神像だ」

「やめて、その言い方。私はあんな顔じゃないでしょ!」

 何度目かの作戦会議。2人とも息が上がっている中で、軽口を叩き合う。

「さて、だいたいのことは試し終わっちまったな」

「…フィア」

「なんだ、とうとう力切れか?」

「試したいことがある」

「よし乗った。いこう」

「聞かないの?」

「信じた依頼人の意向には死んでも沿うもんだって、師匠に言われてるもんでな」

 フィアが遺言めいたことを言ったせいか、女神像が奇声を上げながら巨大な掌で潰しに来る。衝突寸前でレオノラが神器で攻撃を止めた。光の壁に攻撃が何度もぶつかっている。

「もはや何を言ってるか分からんし、その非常識な手のデカさはなん」

「良いから、手を出して!早く!」

 思わず出た強がりは怒られるようにして遮られる。フィアが言われた通りに手を出すと、レオノラが手を重ねた。

「汝、その名に黄金の輝きを秘めし者よ!」

 澄んだ声が耳を打つ。全身が脈打つ。

「汝、その名に掃き清める定めを持つものよ!」

 どんな音よりも強く鼓動が聞こえてくる。2人の鼓動だ。

「汝、その名のもとに務めを果たせ!レオノラの名のもとに力を行使せよ!」

 自然と体に力が入る。手を伝わって光が体に流れ込んでくる。行ける。フィアは跳躍した。普段の何十倍も高く跳び上がって、巨大な女神像の首に狙いを定める。大丈夫、スケールこそ違えど手順を踏めば良い。


「自然体でいろ。体が固くなっちゃ台無しだ」

 育ての父の声がする。声に従って呼吸を1つ。


「仕留めようとなんてしなくて良いの。ただ真っ直ぐに落とすだけ」

 育ての母の声がする。手斧の重さを体全体で感じる。


「行きなさい、掃除屋!」

 女神の声がする。応えなければ『箒のフィア』の名が廃る。


「箒星」

 フィアは自身唯一の技の名を唱えると、脱力とともに自らを彗星のように加速し、女神像の首を斬り落とした。それは"息の根を止める"という概念そのものであり、防ぐことの叶わぬ攻撃であった。モルクの体は霧散していく。その中心に一瞬だけ見えた幼子の骸にレオノラはそっと祈りを捧げた。モルクの首も落ちながら解けていった。地に落ちる寸前に漏らした言葉は、しかし、誰の耳にも届くことは無かった。

 モルクを構成していた物質は、そのすべてが光の粒子となってレオノラに流れ込んでいく。部屋に立ち込めていた暗い瘴気も同様だった。女神の体は輝きを取り戻している。神器も石板の形を取り戻していた。一方、フィアはその様子をぐったりと地に伏せて眺めていた。着地と同時に酷い脱力感に襲われ、そのまま崩れ落ちた結果だった。


***


「ありがとう、掃除屋さん」

「どういたしまして、女神様」

 気合いを入れて立ち上がるとレオノラが支えた。

「どうする?このまま帰る?」

 レオノラは顔を覗き込んで聞いてくる。

「もう、依頼は完了してるからな…」

 フィアは目をそらす。復活したレオノラは神々しいうえに美人が過ぎる。目に毒というものだった。レオノラは半ば抱きつくようにして、フィアの耳もとに顔を近付ける。

「また、なんかあったらよろしくね」

 囁く声は甘いが、同時に聞き捨てならない台詞でもあった。

「ふっざけんな!今後はちゃんと自分で掃除しろ!もう二度と呼ぶんじゃないぞ!」

「はーい、善処しまーす」

 反省した様子の無い女神の背中に掃除屋は蹴りを入れる。多分、これから死ぬまで、何らかの厄介ごとに巻き込まれ続けるんだろうなと予感しながら、それでもフィアは今このときの勝利に、少しだけ酔いしれることにした。

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女神様のお部屋 Pawn @miutea

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