第4話 女神のお部屋と濡れ仕事

 何もかもがうまくいったわけではなかった。すべてが終わったあと、レオノラは意識を失った。力の使いすぎか、あるいは一度に力が戻って来すぎたのか。背負って進むか、ここで止まるか。レオノラが崩れたと同時に立案されたプランは、しかしどちらも採択されることは無かった。レオノラは光に包まれると神器に吸い込まれてしまったのだ。フィアはそれを神器によって保護されたのだと解釈すると、床から拾い上げてポケットに入れた。巨大なミミックがいた場所に立つと景色が歪み、フィアは別な場所へと飛ばされた。


 粘液質な音を立ててスライムが襲ってくる。フィアはマジックバックから鞭を取り出すと、ゼリー状の体を容赦無く打ち据えて潰していく。この手の魔物に対しての基本戦術だ。氷の魔法で固めてしまう方法もあるが、フィアには魔法の嗜みが無かった。液状になったスライムからは光が浮かび、ポケットの中に入れた神器に吸い込まれた。

 うっすらと熱を持つスティン・ザウルにレオノラの存在を感じながらの探索は順調だった。普段は1人で仕事をすることが多いから、これが本来のスタイルだ。寂しいとも思わない。すべてが自分でコントロールできる。少なくともフィア自身はそう思っていた。

「静かだな」

 ぽつりと呟くと反応するように豪華な木箱が跳ねてくる。あれにはさっき意表を突かれた。切れ味が良すぎるナイフを吐き出してきたのだ。危うく殺されるところだった。フィアは全速力で接近して手斧の一撃を叩き込む。硬い。飛び道具も厄介だが、ドワーフとやらが造った木箱は殊更に頑丈だった。体勢を立て直してもう一撃。今度は体重をしっかりと乗せて確実に葬った。こんなことがもう数時間も続いていた。


 この階層にも群れのボスみたいなのがいるのだろうか。巨大スライムだったらどう蹴散らすべきか。巨大装飾ミミックは単体なら倒せるだろうか。フィアはぼんやりと考え事をしながら歩いていく。通路の脇を流れる水路から真っ直ぐに魚が飛び出してくる。ミミックが飛ばしてくるナイフに比べたら遅い。避けながら横から両断する。コイツも捧げ物だったんだろうか。レオノラは魚を捌けないだろうし、焼いて食べることもしないだろう。祭壇に捧げ物をして祈りを捧げる遥か過去の民たちに思いを馳せていると、遠くから蹄の鳴る音が聞こえた。そうか、魚を丸ごと捧げる時代があったのなら、そういうこともあるか。

「洒落になってないぞ、古代人」

 牛の魔物が真っ直ぐに走ってくる。回避は簡単だと動き出してから、倒さないと女神の力が回収できないことに気がついてすれ違いざまに腹に一撃。切れ味が良い武器で助かった。しかし、これは他の動物も出てくるんだろうか。合体とかしてなければ良いな。人型になっていればむしろ楽だろうな。人相手の殺しなら獣相手よりも慣れてるんだから。


 レオノラがフィアに白羽の矢を立てたのは、まったくの偶然であった。彼女が神器に問うたのは「腕利きの掃除人は誰か」ということだった。ここで勇者とか戦士と言っていれば、別な人間がレオノラに振り回されたことだろう。あるいは腕利きのメイドが推薦されたのかもしれない。表社会で掃除屋を自称し、暗殺対象の存在ごと抹消するような腕前に対して囁かれる掃除屋という畏敬の念を込めた呼称と、ついでに汚部屋掃除の経験を持つという情報が奇跡的に噛み合った結果、フィアは選ばれたのだった。そんなことはいざ知らず、フィアはせっせと探索と討伐を繰り返す。第1階層における大量のミミックと巨大なミミックの組み合わせこそ、苦手分野ではあったが、やれと言われていればフィアはやっただろう。フィアはレオノラにとって、大当たり中の大当たりでしかなかった。


「え、ちょっと近付かないで」

 神器から解放された女神の一言目は至極当然のものであった。仕事スイッチが入ってしまった掃除屋は殺し以外のすべてに対してポンコツとなる。必要なら水にも浸かるし、返り血を浴びることも厭わない。だから、彼は酷いあり様で立っていた。スライムの粘液と魔獣の血液に塗れ、この世のものとは思えぬ臭いを放っていた。レオノラは速やかに神器を起動し浄化を選択する。フィアは頭の先からつま先までを綺麗さっぱり洗われて、晴れて2人は合流を果たしたのだった。


***


 束の間の休息に始まってしまった、第2階層の魔物は何が変異したものだったのかという答え合わせは、レオノラにとっては地獄の説教大会でしかなかった。反論は確実に掃除指導へと発展する。

「水浴びしたときに脱いだままにした服が彷徨ってましたが」

「すみませんでした…」

「食べ残した肉がゾンビ化してたんですが」

「すみませんでした…」

「牛とか猪とか丸ごと捧げられてたのは同情する」

「…ありがとう」

「換気とか乾燥って知ってる?」

「…知らない。でも、そんなものが魔物になるなんて思わないじゃない!」

「地上世界の魔物、レオノラの神域から湧いてきたものって可能性もあるんだけど」

「うぐ」

「平和のためにもちゃんとしましょう」

「…はい」

 レオノラは逃げるように会話を切り上げ、2人は第3階層へと歩を進めた。


***


 飛ばされた先には、何も無かった。広く開けた空間の真ん中にただ独り、女神が佇んでいる以外には、何も。

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