第3話 女神のお部屋と木箱のお化け

 そこは石造りの通路のように見えた。天井部分は淡く光っている。その光が優しく照らし出していたのは大量の木箱だった。床に散らばっているのは小さめの木箱で、それがずっと先まで続いている。足の踏み場も無い。さらに、最初は床の様子に圧倒されて気が付かなったが、壁に設られた棚だと思ったものはすべて、大小様々な木箱が絶妙なバランスのもと積み上がっていたものだった。フィアが適任なのよ。レオノラは確かにそう言った。

「レオノラ。この光景に心当たりは?」

「違うわよ!」

「あるんだな。レオノラがやったのか?」

「勝手にどんどん増えていったのよ!」

 犯人はレオノラで確定。とは言え責めても仕方がない。

「先に進めば良いんだな?」

 見たところただの木箱だ。割るか、退けるかすれば何とか進める。フィアは足元にあった大きめの木箱をおもむろに自分の前に置いて、手を添えた。

「綺麗に片付けてもらえるなんて、思うなよ」

 フィアは雑巾をかけるように木箱を押していく。ズズズッ。ズズズッ。船が舳先で波を裂いていくように、木箱1つ分の幅の道ができていく。掃除術としては初歩のテクニック。初手から完璧でなくて良い。まずは大雑把に道を拓くのだ。

「レオノラ」

「はひッ!?」

 フィアがつとめて優しく声をかけると、レオノラはビクッと体を震わせる。

「別に俺は怒っていない」

「え!?」

「思ったよりゆっくりしか進めないから、おしゃべりでもしようと思ってさ」

 フィアの作戦は概ねうまくいっていたが、その歩みはとても遅く、時間を持て余していた。情報も仕入れておきたい。どうせ護衛もするし、何かあれば手伝ってもらうこともある。仲良くなっておく方が得策だと踏んだのだった。

「この木箱は何なんだ?」

「あー…私への捧げ物が入ってたのよ。私、中身以外には興味なかったし、その、めんどくさかったから」

「中には何が?」

「食べ物とかよ。あ、でも」

 会話が途切れた。フィアが振り返ると、レオノラは装飾がついた木箱を手にとっている。

「こんな感じの見た目がかっこいい木箱には決まって食べれないものが入っていたわね」

 受け取って開けてみると手のひらサイズの魔石が入っていた。

「食べれないじゃん!って思って、そのままにしちゃったのよね」

 レオノラの表情に他意は無さそうだった。食いしん坊な発想に思わず笑いがこみ上げる。同時にフィアは安堵もしていた。突然の転送で装備の持ち合わせが無い丸腰のフィアにとって、武器は喉から手が出るほど欲しいものだった。見た目で判断できるのもありがたい。

「そういうのを見つけたら回収して欲しい。中のものを回収しておきたい」

「食べれないのに?」

「食べれないのに」

 念を押して、また2人で笑い合った。床の木箱も一緒になってカタカタと鳴っていた。 


「レオノラ、早急にもう1つ。このダンジョンに魔物は?」

「ちょっと、私の家をダンジョンなんて呼ばないで!」

 ドッ!カタカタがさらに大きくなる。通路全体が揺れているような音と振動。

「ウケてる場合じゃない。コイツら、魔物だよな」

「可能性の話だけど」

「早く」

「さっき言った女神の力、もしかしたらそれが漏れてるかも」

「漏れてると…どうなる?」

「木箱がミミックになったり…ならなかったり?」

 答え合わせと言わんばかりに小さな木箱が1つ、フィアの顔の高さにまで跳ね上がり襲いかかってきた。蓋を大きく開けた様は、獣が捕食を行うときのそれと酷似している。しかし、牙が生えているわけでもない。フィアは素手で掴むと力づくで顎にあたる部分を反対側に思い切り開いて、そのまま割り壊した。

「こうなりたいなら、かかってこい」

 ミミックには目も耳も無い。生物のように振る舞ってはいるが、よく分からない存在だ。脅したところで逆効果かもしれない。だからこれは賭けだった。

「どうだ?」

 ダメ押しで掲げる。ミミックだったものから光が抜け出てレオノラに入っていく。

「なるほど、死ぬと漏れなく女神に食われるおまけつきか」

 それがトドメになった。小さいミミックたちは跳び上がって、我先にと道の先へ走り去って行った。後にはミミック化していない木箱がポツポツと残っている程度で、もう木箱を掻き分ける必要もなさそうだった。

「レオノラの家、もう立派なダンジョンだな」

 足元の装飾つき木箱を拾い上げながら、フィアはレオノラを見る。顔を真っ赤にした彼女は怒ったように、フィアを残して先に行ってしまうのだった。


 そこからはかなり楽になった。通路はすっからかんで、たまに落ちている豪華な木箱からは魔石が手に入った。ポケットが埋まってきた頃合いでマジックバッグが手に入ったのは最高の幸運だった。腰から下げるタイプの革のバッグには見た目を無視した量の魔石が呑み込まれていく。手を入れればちゃんと感触がある。不思議な感覚だ。

 壁際に積まれた中から、大き目の豪華な木箱を探し出して慎重に引っ張り出すと、そのサイズに見合った収穫が得られた。大きめのダガーが2本にちょうど良いサイズの手斧が1つ。鞭に投擲用ナイフ。最高だ、これなら戦える。ダガーはポケットに収納して、手斧は跳びかかってきた挑戦的な中型ミミックの頭に叩き込む。叩き込んだと思ったら、そのまま両断してしまった。

「いや、切れ味おかしいだろ!?」

 喜びと戸惑いの混じった声を上げてしまった。

「ドワーフって種族だったかしら。今はいないの?」

 レオノラが首をかしげるが、フィアには馴染みのない種族だった。おとぎ話や神話で聞いたことがあるかもしれない。レオノラの言うことがすべて真実だとして、彼女が知っている時代からはずいぶんと時間が進んでしまっているのかもしれない。そんなことを考えていると、目の前の残骸から光が抜けてレオノラへ入っていく。

「それ、さっきもあったな。まさかレオノラ、ミミックの魂でも喰ってるのか…?」

 命や魂を喰う魔物や呪具は存在する。王の命を狙う貴族が手を出したという噂が流れて調査に出たこともあった。

「そんなわけないじゃない!戻ってきてるのよ!女神の力が!!」

「なるほど?力が戻った女神レオノラ様には何が出来るようになったんでしょうか」

 少なくとも、転送がもう1度使えるかどうかくらいは探っておかなければならない。フィアはどこまでも冷静に仕事をしていた。仲良くなるのも、探るのも、すべて仕事なのだった。


***


「そもそもなんだけど」

 フィアは装飾木箱の探索しながら、時々襲ってくる命しらずなミミックを薪割りでもするように両断していた。だから、レオノラの話に一瞬、不思議な顔をする。

「さっきの話よ。女神の力で何が出来るかっていう話。私、女神の力で具体的に何かしたことって、あんまり無いのよね。フィアのことを調べたのと、ここにワープしてきたのの2つだけ。だから、フィアに何が出来るんだって聞かれてからずっと考えてて」

 レオノラは生まれて初めて、力というものを意識していた。神域で世界を創る以外のことをしてこなかったから、当然と言えば当然である。

「それじゃレオノラ様には、この先に逃げていったミミックたちをまとめて焼き払っていただきましょうかね」

 挑発するフィアはもちろん、そんなことは期待していない。ただ、あの量に囲まれるのはさすがに厄介だ。逆ギレして団結して襲ってくるかもしれない。おそらくまもなく接敵する。そんな予感があった。レオノラは軽口を返すでもなく、黙って何ごとかを考えている様子だった。


 フィアの思った通り、ほどなくして通路は切れ、開けた場所が見えてきた。問題はその広間だった。中心に小屋くらいの大きさの木箱が鎮座しているのが遠目に見えた。大きすぎて、それが木箱であるとはなかなか思えなかった。加えて、その周りに逃げていったミミックが集結している。襲いかかってくる様子は無いので、あの巨大なヤツもミミックなんだろう。さすがにアレは自分の手には負えない。家屋解体の専門家でもなければ厳しい。自然とレオノラへ目が行く。レオノラはその視線を受けて、頷いた。


 巨大ミミックが起きるかどうかのギリギリの距離。フィアが見張りをする背後で、作戦は始まった。

「スティン・ザウル、起動」

 レオノラの手に握られた石は短く唸るような音を立てて、小さな光のパネルを展開する。神の言語で書かれた文字列。その中から火炎という文字を見つけ出す。力の量はギリギリ足りている。それはすなわち、失敗が許されないということでもあった。威力の保証はもちろん無い。使ったことすら無いのだ。それを説明すると、フィアはこともなげに笑った。

「ダメなら通路に逃げ込んで地道に倒す。通路の壁にあった木箱を崩してバリケードにすればミミックが殺到することは無い。コイツがあれば、ほとんど一撃で倒せる。時間はかかるけど問題無いさ」

 現実的なセカンドプランは、レオノラの背中を押すには十分だった。

「フィア、いける」

「よし、やろう」

 短く言葉を交わして、立ち位置を交換する。

「目標、前方の空間に存在する全てのミミック。威力、射程、自動調整」

 スティン・ザウルを握る手の周囲に展開したパネルをレオノラが操作していく。光を帯びた神器を掲げたレオノラの後ろ姿が、フィアに幼い頃に読んでもらった神話の絵本を思い出させた。女神なのかもしれない。そう思わせた。

「すべてを、燃やし尽くしなさい」

 レオノラは静かに告げた。世界への命令は速やかに実行される。スティン・ザウルが光ると、広間には炎が溢れた。美しくすらあった。蒼い炎が無駄に広がることもなく、ミミックが群れていた部分だけを正確に塗り潰し、そして消えていく。跡には何も残らなかった。焦げ跡すら無かった。ミミックたちが遺した女神の力がすべてレオノラに吸い込まれて、それで終わりだった。

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