第2話 女神のお部屋と秘密の掃除屋
掃除屋フィアは今日も賑わう商業区をぶらつきながら、足元のゴミを拾っていた。別に物乞いや乞食の類ではない。これが彼の仕事だった。揉め事の多い商業区を中心として王都全体を歩き回る。ゴミを拾うこともあれば、落とし物を見つけることもある。ならず者を騒ぎになる前に処理することもあれば、迷子に声をかけたりもする。うわさ話を流し聞きながらトラブルの火種を嗅ぎ付けることもたまにある。要は便利屋、何でも屋の類。それが掃除屋フィアの生業だった。慈善事業や自警団なんて正義感のあることではなく、ギルド連合との契約で行っている立派な仕事だ。
「お、フィアじゃねーか!まーた昼間っから酒飲んでんのか!」
「飲んでねーよ!」
「千鳥足じゃねーか!」
「元からこういう歩き方なんだって言ってんだろ!」
通りに面した屋台のおやじとの会話も日課の1つ。フィアはこの街が好きだった。大小の歯車が噛み合って時計が動いているように、ここに住むすべての者が各々のスケールで命を刻んでいる。美しい調和。その調和の乱れを嗅ぎ付けるのがフィアの仕事だった。
人ごみの中を歩くフィアは気だるげに見える。騎士のように堂々としているわけでもなく、商人のように愛想を振りまくわけでもなく、盗賊のように獲物を探すギラつきがあるわけでもない。ただただ、独特の間でゆらりゆらりと歩いている。
「水路に反応あり。道順をまっすぐに辿っています。お客様かと」
すれ違った町娘がフィアにしか聞こえないような独特の声音で囁いた。フィアはうなずきもせず進路を変える。誰に隠すでもなく、しかし誰にも悟らせぬように。
フィアにはもう1つの顔があった。暗殺稼業。王都で最も手練の"掃除人"。依頼があれば誰彼問わずというわけではない。しかしだ。案件を吟味しているとは言え、法外な報酬を手にして命を掃き捨てる裏の仕事。褒められた仕事ではない。
「まともな客だと良いんだけどね」
誰にともなくぼやきながら、街にいくつもある隠し通路を通ってアジトへと降りていく。認識疎外の術式が仕込まれた装束に着替え、仮面で顔も隠す。この装備だけで家が建つと言われたことがあるが、あまり興味は無い。狭いアジト―正確にはフィア専用の窓口―に降り立つと、カウンターの椅子に腰掛ける。まもなく目の前の扉が開く。
「ねぇ!なんなの!暗いし狭いし分かりづらいし!」
扉を開けながら文句とは、元気なお客さんだ。女性、ぼろぼろの白い服、くすんだ金髪。人買いから命からがら逃げてきた御令嬢だろうか。少なくとも冒険者ではなさそうではある。いや、そもそも。
「初めまして。失礼ですが、ここへの道順は誰からお聞きになりましたか?」
名前よりも先に、すべての客に聞くことだ。偶然道に迷って辿り着けるような場所ではない。特定の道順と手順。それらを完璧にこなさなければ、ここには到着できない。
「誰って…普通に調べたのよ」
調べた?情報漏洩か。本当ならば由々しき事態だ。この女性は果たして何者なのか。フィアの警戒レベルが上がっていく。
「急いでるの。あなたが掃除屋さんでしょ?うちを掃除して欲しいの、今すぐ」
「掃除、ですか。いや、ちょっと待ってください。内容より先にここまでの道のりを」
「廃村の枯れ井戸の底にある通路を通ってここまで来たのよ!一本道よ!どこの角をどっちに曲がったとかいちいち覚えてるわけないじゃない!途中から水路に出たけど、ずっと地下だし、じとじと湿っぽいし最悪よ!変な仕掛けもあったし!ねぇ、急いでるのよ!」
本当に正規のルートを通っている。転送魔法で強引に割り込んできたわけではない。しかし、変な客だ。誰の紹介か素直に明かせば良いのに。訝しむフィアを見て、彼女は最後の切り札とばかりに口を開く。
「これならどう?あなたの本名は!」
「は!?ちょ、待て!待て!!」
こいつ今何を言おうとした?本名?そんなもの知ってる人間なんて数人だけしかいない。厄介が過ぎる。一刻も早く拘束しよう。話はその後だ。
「もういいわ!」
フィアがカウンターを飛び越えるのと、彼女が叫ぶのは同時だった。
「スティン・ザウル、私とコイツをあの場所へ…神域へ飛ばしなさい!」
いつの間にか服を掴まれ、閃光に包まれる。いや、なんなんだ。なんなんだよ、この客!
***
光を抜けると頭より先に体が動く。フィアは相手の背後に回り両手を捻り上げていた。
「ねぇ、なんで?私、依頼人よ?」
早くも泣きべそをかく相手にフィアをは一切動じない。
「まだ依頼を受けてないし、何より俺はアンタに拉致されているようなもんだからな」
「アンタじゃない!レオノラ!女神よ、女神!」
自分を女神だと言う奴は初めてだった。麻薬でもやってるいるのだろうか。しかも王都の聖堂に祀られている神の中にレオノラなんて奴はいなかったはずだ。胡散臭いにも程がある。痛々しいにも限度がある。
「自己紹介ありがとう。じゃ、早速だけど元の場所に戻してくれるかな」
「無理」
「怒るぞ」
「仕方ないでしょ、無理なもんは無理なのよ!さっきので使い切っちゃったのよ。あなたのこと調べて、ここまで飛んで、それで終わりだったの。カツカツだったのよ!」
ギャーギャーと喚くレオノラを前に、フィアはあれこれと思考を重ね、これ以上は意味が無いと結論づけた。もし罠にはめる気なら自分だけを転送すれば済む話だ。それが出来ていない時点で変だ。フィアはレオノラの拘束を解いた。
「ここは?」
「多分、神域」
固まった関節をほぐすように手をぶらつかせてレオノラは答える。
「不確かなのか?」
「見た目が変わってるから、自信が無いのよ」
自信たっぷりに言われてしまっては追及の仕様が無い。フィアは呼吸1つで思考に見切りをつける。
「仕事の内容は?」
「だから、掃除って言ってるじゃない。ここを進んだ先に私が失くしたものがある。私じゃ見つけられない。だから手を貸して」
「何を失くしたんだ、いったい」
「簡単に言えば力ね。女神としての力。今の私は女神だけど女神じゃないの。それから神器も壊しちゃったから直さなきゃ」
「協力できる要素が全然無いし、そもそも俺はレオノラさんが思ってるような掃除屋では無いと思うんだけど」
「レオノラで良いわ。大丈夫、フィアが適任なのよ。すぐに分かるわ」
そう言うとレオノラは転送に使った石を取り出して掲げた。辺りがぼんやりと明るくなっていく。それにつれて眼前に広がっていく光景にフィアは言葉を失う。目の前には夥しい数の木箱が転がっていた。足の踏み場なんか一切無かった。
***
フィアには薬師の知り合いがいる。風邪薬から自白剤に至るまで薬物の調合に関して圧倒的な知識と天才的な能力を持つ彼女には1つ欠点があった。工房や家を汚すことにかけても天才的なのだ。ひとたび研究に没頭すれば、運び込まれた木箱や樽は散乱し、使った薬草や素材も適当にそこらへんに置く。服は脱ぎ散らかすどころか最悪着の身着のまま。食べかけのパンから見たことも無いカビが生えていたこともあった。挙句、新発見のカビだと大喜びで研究していたのだから笑えない。おかげで定期的に大掃除を行なっては説教をするというのが彼の役目となっていた。なぜ、今そんなことを思い出しているのかと言えば、よく似た景色に遭遇しているからだった。
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