女神様のお部屋

Pawn

第1話 女神のお部屋と世界の始まり

 そこには何もありませんでした。広く開けた空間の真ん中にただ独り、女神が佇んでいる以外には、何も。


***


「さぁ、心機一転張り切っていきましょー!」

 広くて真っ白い部屋の真ん中で女性が1人、薄い石板のようなものを抱えたままで声を張り上げています。整った顔立ちに金の髪。青い瞳に白い衣。彼女こそが女神様。今まさに世界を創ろうとしているところなのです。

「スティン・ザウル、起動!」

 寂しさを紛らわせるためでしょうか。大きな独り言とともに抱えていた神器に軽く力を流します。石板の表面にうっすらと幾何学模様が生じ、そこから広がるように部屋中に透明な光の板が無数に現れました。

「まずは名前ね。レ、オ、ノ、ラっと…」

 女神は光の板に触れて、世界に自分の名を1文字ずつ刻んでいきます。名を与えられた世界は産声を上げました。女神レオノラはいそいそと世界を創り込んでいきます。これまでの失敗を思い返しながら地形を操作し、環境を細かく設定し、生物種を産み出していきます。あぁでもない、こうでもない。神は何日も不眠不休で作業を行いました。もっとも、神は基本的に眠ることはありませんので、大したことはありません。そうこうしているうちに、ようやく終わったようです。

「もうさ、こんなもんで良いよね。私、頑張ったと思うのよ…」

 レオノラは大きく伸びを一つ。その顔にはやり切ったという満足感と疲れの色が浮かんでいます。

「よーし、それじゃ行っちゃうぞー!」

 部屋の真ん中には美しい世界が浮かんでいました。それを眺めながら、彼女は微笑み、いつの間にか出現していたベッドに座って神器をその胸に抱きしめます。神器は彼女から力を吸い上げ世界に注ぎ込みます。創世の最終段階です。神の力を受けて、すべての歯車が動き出していきます。

「今度こそ、良い世界になるといいね…」


 レオノラは神としての力の大きさに恵まれていましたが、世界を創るセンスにやや欠けていました。おかげでこれまでに何度も失敗しています。生命が生まれるより先に異常気象で世界が滅んだことがありました。極めて強い魔力を持った種族に世界を乗っ取られたこともありました。その度に女神は世界を放棄し、新しい世界を創りました。神器を抱えて優しい顔つきで世界を眺める彼女の姿は、まるで赤子を抱きかかえる母親であり、慈愛に満ちた女神そのものです。もっとも本当のところは世界創りに疲れて寝落ちているだけなのですが。ビジュアルが良いとこんなときに得をする、そういうものなのです。


 しばらく経ちましたが、レオノラは未だうたた寝の途中です。その間にも胸に抱かれた神器はせっせと力を吸い上げて世界へと注ぎます。普通の神であれば、ある程度力が吸われれば気付きそうなものですが、そこは恵まれし女神レオノラ。底無しとも言うべき力と生来の鈍感のおかげで、まったく疲れを感じることも無く、力はどんどん降り注ぎます。神の力は奇跡の源。その力を強く受ければ、猿は勇者となって大地を裂き、トカゲは立派な龍となって空を翔けます。そんなものを際限無く吸わせればどうなるのか。もちろん、それが原因で何度も何度も失敗して世界を創ったということを彼女はすっかり忘れ去っているのでした。


***


 優しい鈴の音が部屋に響きます。それは世界に大きな変化が起こったときの通知音でした。初期設定ではもちろん、もっと気付かれやすい危機感を煽るような音でしたがレオノラに変更されていました。鈴の音は鳴り止みません。しゃらり、しゃらり。1つ1つは優しい音でも、10も20も同時に鳴っては、さすがのレオノラも目が覚めました。しかし、彼女は初心者ではありません。

「世界を創った最初の頃って、通知がたくさん来るのよね。小さな変化でも大げさに言ってくるのよ。私、知ってるんですからね」

 誰にともなくドヤ顔で言います。

「過保護なのは良くないんだから。手を入れすぎるのはためにならないのよ」

 手は出さない、なんなら初期は放置する。そんな彼女のポリシーをとがめるように鈴の音は増えていきます。神器をミュートにしてしまいたい。しかし、本当の危機的状況を告げてくる場合があるため、さすがにそれはマズイということも彼女は分かっています。そこでベテラン創世神である彼女は―水浴びに行くことにしたのでした。ベッドへ無造作に放り投げられる神器。ここでようやく力の供給が止まり、鳴っていた鈴の音は一気にその数を減らしましたが、レオノラは上機嫌で部屋を出ていきました。

 水浴びを終えたレオノラが部屋に戻ると、そこには見慣れぬ木箱がありました。

「なにこれ」

 木箱を開けると、中にはささやかですが色鮮やかな果物とチーズ、そして瓶に入った透明な液体が入っていました。

「これは…これはまさか…!」

 そう、これは捧げ物でした。十二分な神の力によって、世界には意思を持つ様々な種族が生まれ繁栄していたのです。その内に女神の力を宿している彼らは自然と女神の存在を意識し、女神を信仰していました。その結果として、彼女の部屋には捧げ物が届くようになったのです。世界をいくつも創ってきた中でも、これは初めての体験でしたので、レオノラはとても喜びました。その喜びは神の力となって、贈り物をした種族に直接届くことになるのですが、彼女はそんなことは知りません。ただただ果物とチーズ、そして果実酒を楽しんだのでした。


 それからは、ひっきりなしに木箱に入ったギフトが届きました。大小さまざまな木箱が女神の部屋に転送されてきます。中に何が入っているか分からないという部分もまた楽しみを加速させました。

「やった、お酒!」

「すごい、え、何の肉!?」

「こっちはチーズ!でも、この前のとは違うわ!」

「うわ、なにこの豪華な木箱。中身は…ナイフ…?こわ…」

「わ、お魚!でも待って、どうやって食べるの、これ」

「服ー!え、かわいい!すごーい!」

「これは…魔石?うーん、魔石かぁ…」

 次々に送られてくる木箱に一喜一憂する時間はとても楽しいものでした。世界に住む者たちの笑顔を見ながら、彼らと同じものを口にするのは女神にとっても幸せな時間でした。唯一の困りごとは木箱の処理に困るくらいのことでした。彼女は整理が苦手なうえ、贈り物はどんなものでも捨てられない性格でした。それはもちろん木箱も然りであり、部屋には木箱が溢れました。


***


 しかし、そんな幸せも長くは続きませんでした。女神が捧げ物を開けたときのリアクション、その一喜一憂は、そのまま種族の力の差となっていきました。女神を喜ばせた者がより富み、そうでないものは貧する。その積み重ねは遠からず争いを招きました。より良い捧げ物をするために他種族を襲う。襲う者も襲われる者も、口々に女神の名を叫びます。


「この国に生まれて良かった」

「もっと強い力をお与えください」

「僕はこの種族であることを誇りに思います」

「なぜ私たちは愛してくださらないのですか」

「下賤な者は滅ぶべきなのです」

「食べ物が足りない、子どもが死んでしまう」


 神器を通じてたくさんの祈りの声が届きます。次々と流れる感謝と怨嗟。部屋に渦巻く通知の鈴の音と民の声。こんなはずじゃなかった。どこで間違えたんだろうか。女神は頭を抱え震えました。彼女には特定の種族に肩入れした覚えが無いのです。みんな等しく幸せであれと思うことはあっても、争え奪えと思ったことは一度もありませんでした。捧げ物も極端になっていきました。黄金や宝石、豪華な食べ物が届く一方で、わずかばかりのパンや空っぽの木箱が届きます。もう限界でした。女神レオノラは神器をミュート設定にして、遠くへ放り投げてしまいました。もう見たくもありません。しばらくしたら、元のような世界に戻ってくれる。戻って欲しい。そう祈るようにして、足を抱えて座り込んでしまいました。


 部屋が静かになりました。


***


 今日も捧げ物が届きます。


 その日、部屋に届いたのは少し大き目の木箱でした。ボロボロで粗末な木材で作られた木箱。嫌な予感がしました。開けてはならない。女神の直感がそう囁きます。しかし開けないわけにはいきませんでした。ギィィ。軋む音が細く響きます。開け放たれた箱の中には―痩せ細った少女がいました。声にならない悲鳴が空間に満ちました。

 女神は必死に神器を探しました。もうこの世界はだめだ。放棄しなければ。神器はどこだ。女神は部屋中に溢れかえる木箱を掻き分けながら神器を探します。そして、やっとのことで発見しました。表面がひび割れた神器が恨めしそうに木箱の間に挟まっていました。やっとのことで掴み上げると、彼女は無我夢中で神器に力を込めました。それが良くありませんでした。


バキンッ


 神器は女神の力に耐えきれずに割れてしまったのです。破片は部屋中に飛散しました。その瞬間、鈴の音と民の声が響き始めます。女神はどうしたら良いか分かりません。近くに落ちた神器の欠片を無意識のうちに拾いあげ、握り締めました。手の平から血が流れます。落ちた涙と混ざって赤い色がぼやけました。澄んだ空気が淀み、真っ白だったはずの部屋は黒く染まっていきます。その異変の中心には、

少女の亡骸がありました。ことさら大きい神器の破片が胸の上に乗っています。欠片が少女の胸に沈んでいきます。部屋を染めた黒い瘴気も少女に向かって渦巻いていきます。鈴の音も、民の怨嗟も、欲望の祈りも、すべてが少女に向かって流れ込んでいきます。レオノラは、ただ呆然と見ていることしかできませんでした。腰は抜け、髪も顔もぐしゃぐしゃです。声を上げることもできません。


「まだそこにいたの?」


 どれくらいの時間が経ったのか。唐突に声がしました。レオノラが顔を上げると、そこには、自分と同じ顔をした女が立っていました。神の力を感じます。

「ここは私が貰うから。あなたは出ていってくれる?」

 見下すような冷たい目。レオノラはもう女神ではありませんでした。力を吸い取られてしまっていたのです。

「私はモルク。私がこの世界をいただくわ」

 女神モルクが指揮者のように優雅に振るうと、レオノラがへたり込んでいる場所が音を立ててひび割れていきます。

「あなたはもう要らないの」

 優しく微笑む自分の顔。自分の声が何か言っています。理解できません。

「手始めにこの神域を世界にぶつけて、くっつけてみようと思うの」

 大きな衝撃。ひどい揺れが部屋を震わせます。

「じゃあね」

 にっこりと笑うモルク。レオノラは割れた空間の穴からどこかに落とされてしまいました。叫び声はもう聞こえません。


***


 広くて真っ暗い部屋の真ん中に女性が1人。整った顔立ちに銀の髪。紅い瞳に黒い衣。彼女こそが女神様。今まさに世界を奪おうとしているところなのです。

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