第5話 ほどけたポニーテール、光の剣、寝顔

 穂花のポニーテールがほどける。

 

 その漆黒の髪を聖なる炎が炙ったかと思えば、烈火のように長さが伸び、振り払われた焔の後にはルビー色に染まった美しい髪が現れた。

 煌めく髪は自ずと結び直され、ツーサイドアップを形作る。そして白百合を模したヘアコサージュが両サイドで花開いた。


 オフショルダーのドレスは髪色よりも薄く淡い赤系をベースに、無垢なる純白を取り入れた色調。ミニ丈のスカートは意匠の凝ったレースフリルがついており、リボン付きのシアーストッキングは穂花の脚部のしなやかさと際立たせている。


「邪悪を断つ剣舞が如く、聖なる一輪――――ブレイド・リリー!」


 その名乗り口上は大樹の怪物の斜め後方すぐ、そしてクレセントが見聞きできる地点でなされた。


 怪物の意識はクレセントへの攻撃から、この突然現れた第二の敵へと移る。

 だが、その巨体が振り返った時には既にリリーの姿はなかった。


 どこへ消えたのか。

 

 それを怪物は思わぬ形で知る。邪気に侵されきった桜の幹である怪物の体躯、それがリリーの繰り出した高速の突きによって、よろめき、ついには地に伏した時になってからだ。


 クレセントが眼を見張る。


(なんて速い突き……3、いいえ、4回。あのわずかな間に叩き込んだわ)


 怪物の体勢が崩れたおかげでクレセントを拘束していた邪悪な木の根が緩む。今なら脱出できる、そうクレセントは思って全身に力を込めようとしたがその必要はなかった。

 なぜなら怪物への攻撃を終えたリリーが一気にクレセントとの距離を詰め、まるで鋼鉄の刃かのような手刀でその根を切断していたから。


「月……じゃなくて、クレセント、大丈夫? 私、ちゃんと守れた?」


 不安げな表情。そこには変身前の少女、そのままのいたわりがある。クレセントは姿勢を正して応じた。


「え、ええ。助かったわ。でも」

「まだ終わっていない。そうだよね」


 キリっと。リリーの顔が正義のヒロインのそれへと変わって、クレセントへと背を向ける。むくりと起き上がった怪物と対峙するためだ。


 クレセントは言葉が出てこないまま、単に肯いてみせた。リリーに見えないとわかっていてもそうした。


(頼もしいわね)


 自分と比べて一回り小さな背中。

 今しがた変身したばかりのド新人。それでもこの子は冷静で、それでいて熱く、この戦いに確固たる意志を抱いて臨んでいるのだ。

 

 クレセントは深く息を吸い、ゆっくりと吐く。そして一歩進んで、リリーの隣に並び立った。そして気丈な声色で言う。


「いきなりの連携は期待していないわ。それでも、一人より二人のほうがずっと強い。私たち二人なら奴を倒せる。そうよね?」

「うん。ぜったい、みんなを守ってみせる!」


 今日何度目かの春風、邪悪な気配をものともしない清らかなる風があたりに吹きつけた。


 瞬間、二人は走り出す。怪物へと両側面からの挟撃。


 クレセントの大振りな攻撃は避けやすく、その隙を突かれて反撃されやすい。しかしその弱点はあくまで一人だった時のことだ。リリーが素早い動きで反撃の隙を与えず、的確に突きと手刀とを駆使して怪物の動きを制する。そこにクレセントが強撃を確実に決めていく。


「穂花……土壇場で討影の巫女へと変身しただけでも大したものなのに、あの力量。わたくしの目に狂いはありませんでしたわね。クレセントと共にあの怪物をああも翻弄し続けるだなんて」


 霊狐は固唾を呑んで見守った。

 戦況は覆り、今や二人の少女、否、巫女が優勢である。とはいえ、大樹の邪気を祓うにはまだ時間がかかりそうだ。何か大技でもない限りは。


「よしっ! だいたいわかったよ!」


 戦いの最中、リリーは溌剌とした調子でそう言うと、構えを変えた。それまではテレビやネットでの見よう見まねの拳闘士めいた構えをしていたのを、彼女にとって馴染み深い構えへと移した。


 すなわち剣道、中段の構えだ。

 が、その手には何も握られていない。空刀とも虚刀とも言い難き、手ぶら。それを見て訝しむクレセントだったが、体力的に余裕がまったくない。ゆえにリリーの意図を直接聞くことができずにいた。


 霊狐にもリリーの様子が変わったのが見て取れた。


「あの子、いったい何をするつもりですの? んんっ!? リリーのデバイスのあの発光、まさか……!」


 いかにも解説役らしき物言いの霊狐が驚きを露わにする。

 なぜならあの光はまだクレセントが解放できていない機能がアンロックされた証であるからだ。リリーはこの戦いの中で巫女の力に慣れ、クレセントより一段階先に進んだ。そう考える他なかった。


「――明守神器アプリケーション、インストール!」

「えっ?」


 動揺したクレセントの足がもつれ、その場に倒れこむ。しかしその不甲斐なさを恥じている暇はない。


「ダウンロード、破邪の剣っ!」


 リリーがそう勇ましく宣言すると、その手には光る剣が顕現した。


 怪物は倒れ込んだクレセントよりも聖なる武器を手にしたリリーを脅威とみなし、突っ込んでくる。


 二者の間合い、それはもちろん、ブレイド・リリーこと風見穂花が日頃より道場で意識しているものとは異なる。そうであってなお、リリーには退くつもりが毛頭なく、間合いを自ら詰めに行く。


 ダァンッ、と発砲音のようなものが広場に響く。


 リリーの踏み込みだ。

 起点となった地面が抉られ、踏み込んだ先もまた衝撃が走る。握られた破邪の剣が振り下ろされ、邪悪を断つ。


 時が止まったかのように静まり返る広場。

 穢れに満ちた影たちが浄化されていくのを霊狐は感じる。立ち上がったクレセントは、ほっと胸を撫で下ろし、口を開いた。


「実に見事な一本ね」


 率直な感嘆。

 

 邪気から解き放たれた大樹は元どおりの場所へと無事な姿で戻った。そうしてみるみるうちに広場が元どおりになる。

 賑やかな雰囲気だけが帰ってこない、人気のない長閑な広場だ。桜の大樹をそっと撫でて「よかった……」と呟くリリーのもとへ変身を解いた理乃が近寄る。


 理乃が穂花に声をかけようとしたその時、変身が解けると共に穂花はゆらりと身体のバランスを失った。あわや地面に倒れる寸前で理乃が穂花を抱き止める。


「風見さんっ。……気絶している」


 無理もない、と理乃は思う。

 理乃自身も初めて巫女へと変身をしたその日は心身の両方で疲労が一気に溜まったのだ。ふらふらで家へと帰って、すぐに眠り込んだのをよく覚えている。


 ふわっと桜の花びらが一枚舞い落ちてきて、穂花の唇へと乗る。理乃は慎重に指先で花びらを摘む。いきなり非日常的で非現実的な戦いに巻き込んだだけではなく、彼女に頼り切ってしまった事実に心を痛めながらも、しばしその可憐な口許を眺める理乃。

 

 どことなくむず痒い気持ちになってきた頃に霊狐がやってきた。


「シロ、頭に器用に乗せているその箱は?」

「理乃に会う前から穂花が持っていたものですわ。何やら美味しそうな匂いが……って、そんなことはどうでもいいですの。それよりも、穂花は?」

「見てのとおりよ。顔色も悪くないし、呼吸も穏やかだから、ただ疲れただけだと思うわ。しばらく寝かせておいてあげましょう。起きたら説明の続きね」

「そうですわね。この子とわたくしたちとの縁はしかと繋がりましたもの。主様はこの子に大いに期待しているに違いありませんわ」

「ええ、まったくよ。初戦闘で専用武器を獲得したんだからね」


 理乃は穂花の意識がないのをいいことに、もとの色に戻った髪、その黒い束に無遠慮に指を通してみた。ポニーテールはほどけたままだった。


(さらさらだわ)


 汗だくで剣道に日々勤しむ少女の髪に対する偏見を撤回しないといけないわね、なんてことを理乃は大真面目に考えた。


「あの光の剣……シャイニールミナスブレイドとでも名付けておくわね」

「勝手なことはやめてくださいまし! あれは破邪の剣ですわよ。ところで理乃、貴女は平気ですの? 貴女まで気を失うと、少々困りますわ」

「そう? 他に誰もいない桜の木の下で可愛い女の子二人が寄り添って眠るのって、なかなか絵になると思うけれど」

「やれやれ、相変わらず表情に乏しい貴女だと、冗談なのか本気なのかわかりませんわ」


 理乃は黙ってもう一度、穂花の寝顔を見た。霊狐が「どうかしましたの?」と不思議がるまで、見つめ続けていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る