第9話 やくそく
「父さんのようになりたいんだ」
それは呪いの言葉だ。と今なら言える。
エイルは、それを言ったときの父の顔を覚えている。愕然としたような、とても傷ついたような顔。大人がそんな顔をするなんて思わなかった。
今思えば、あれは絶望だったとエイルは思う。
それ以後、父が剣の稽古をつけてくれることはなかった。それどころか、剣を握ることさえ嫌な顔をしていた。才があると誉めそやされれば、そんなことはないと冷たく言った。
それに躍起になって、エイルは剣を振るい、失敗した。たった数年前の苦い思い出。
それから、ふらふらとして数年。
今では主夫である。週に何日か働きに出るが、主な稼ぎは妻であるルーナだった。働かない男というのは白い目で見られがちだが、エイルはほかにしたいこともなかった。
ルーナは働くほうが好きのようだし、エイルは家のことをやっているのが案外落ち着いた。
そのうち逆になることもあるかもしれないが、エイルとしては今はこれでいいと思っている。
今日も夕食を作ってエイルはルーナの帰りを待っていた。いつもよりやや遅く帰ってきたルーナは出かけたときには持っていなかった荷物を持っている。
細長い箱。エイルはそれに見覚えがある気がした。
「おかえり、遅かったね」
「ただいま。ちょっと予定外のことがあって」
そう言ってルーナはしばし黙った。少し困ったようにエイルを見てから、エイルに箱を差し出した。
「これ、エイルにって」
ひとまず、エイルはそれを受け取った。それが彼の予想のものならば、ルーナに持たせていたくはなかった。
そっけない箱の中身は細くて重いもの。布に包まれているが、その重さは記憶にあるものと一致している。
「誰から?」
「ええと、たぶん、エイルのお母さん?」
「……え?」
「うちの息子が世話になった。とか言われたから。
あと、体調に気をつけて大事にしてとも。私もエイルも元気なのにね?」
そういって笑うルーナはどこかぎこちなかった。
「何かされなかった? 金銭の要求とか」
「ないない。ああ、そういえば、預金残高確認しなさいとか言われたんだけど」
「へ? あ、そういや、銀行に預けっぱなしだった」
エイルは小さいころからお小遣いの一部は銀行に預けていた。さらに一部は庭に埋めていたような記憶がある。
庭を今度、掘ってみようかなとちょっと考える。あの頃は地面に埋めておけばなくならないと思っていたのだ。賢いリスのように。とあの頃のエイルは信じていた。
そのリスが、だいぶ忘れているということを知ったのは割と最近の話である。そして、同じようにエイルも埋めた場所をだいぶ忘れている。
「じゃ、次の休みにでも一緒に行こうか」
「そうだね」
エイルはそのまま受け取ったものを棚の横に立てかけておいた。
「それなんなの?」
「たぶん、大人になったら譲ってくれるっていったもの。
覚えてたなんて思わなかった」
エイルは見なくてもそれが何か知っていた。子供のころ飽きもせず眺めていたのだ。
その長剣は魔人殺しなんて子供が好きそうな名前がついていた。切ったのは巨鳥と父は言っていた。今はねと母が苦笑していた。
優しい思い出は、いくつかあったのだ。
だからこそ、切り捨てがたかった。
「あ、そうだ。グースさんのところで鑑定してもらおうかな。金目のものを僕に譲るとは思えないし」
「……そうかしら」
ルーナは懐疑的に呟く。エイルはそれに答えなかった。
あの母は外面はいいところがある。にこりと笑って予言めいたことを言いだすのはよくあった。ちょろいと呟く母は父に従うだけの従順な人ではなかったように思えた。
「まあ、とりあえずごはんにしよ。今日はさ……」
いつものようにたわいもない話をして普通の夜が更けていくのであった。
次の休暇に訪れた銀行で残高に驚愕し、グースに、あ、それ本物の退魔の剣、と言われることになる。
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